京都コンサートホールに京都市交響楽団第654回定期演奏家を聴きに行く。
指揮は広上淳一さん
最初に演奏されたのは
ドボルザーク 序曲自然の王国で 作品91
最初にコントラバスやチェロが低い音をゴーッと出す中で、フルートの美しい旋律が出てくる。
夜明けのイメージかなと思う。なんか そんな感じだった。
広上さんが指揮すると、見ていて指揮棒の発する気がオーケストラにダイレクトによく伝わっているという爽快感がある。
こういう意味での爽快感を感じさせてくれるという点では広上さんは本当に日本でも指折りの指揮者だなと思う。
ちょっと他に類を見ないような指揮ぶりだし、、、。
ドボルザーク特有の、民族色に彩られた幸福感に満ちた楽想がしばしば出てきた。
リズムが元気になるところは、ドボルザークの交響曲第8番の第一楽章の元気なところをイメージさせるようなところもあると感じた。
木管が、全体に小鳥のさえずりのようなイメージに聴こえるのはある点でシベリウスに似ているとも感じた。
要するに自然の王国というタイトルの通り、自然を感じさせる側面の大きい音楽と感じた。
次に演奏されたのが
ブルッフ バイオリン協奏曲第一番ト短調作品26
バイオリン独奏 小林美樹さん
ブルッフのバイオリン協奏曲は 録音 実演含めて初めて聴いたと思う。
僕はコンサートで協奏曲を聴くとき、しばしば、指揮者に照準を合わせて聴くべきか、ソリストに照準を合わせて聴くべきかわからなくなってしまうことがある。
今日の場合は、全体で三楽章ある曲の中で
最初の2つの楽章は、広上さんの主導で演奏が進んでいるように僕には思われた。
いつか、広上さんの指揮でショスタコーヴィチのバイオリン協奏曲第一番を聴いたとき、ソリストはどなたか忘れてしまったけれど、広上さんの指揮の気合にバイオリンがついていっていないと感じたことがあった。
今日も最初の二楽章はそれに似た印象をもった。
オーケストラのみで演奏が進むところは広上さんが思い切り伸びやかに、演奏されるのでそこに引き込まれるということもあったけれど、バイオリンは今ひとつ平板であるように思われた。
特に、悲愴な曲想、シリアスな曲想にバイオリンが充分に食い込めていないと感じることが演奏中何度かあった。
第三楽章は躍動的なダンスを思わせる音楽。
ここは、バイオリンが主導で音楽が進んでいると思ったし、聴いていて楽しかった。
うまく盛り上がって曲が終わった。
バイオリンがアンコールをやった。
何をやったのかわからないけれど 曲の感じから判断してバッハの無伴奏の、ソナタか パルティータ、そういうものの中から一曲選んでやったのだと思う。
率直な感想として、バッハのアンコールをしないで、ブルッフの第三楽章で盛り上がって、そのまま終わっておいたほうがが印象がよかったかもと思った。
20分の休憩を挟んで次に演奏されたのが
ドボルザーク 交響曲第7番 ニ短調 作品70
僕はドボルザークの交響曲は、第8番と9番はしばしば聴くけれど7番はCDも持っていなくて実演で聴くのも今日が初めてか二回目くらいかも知れない。
第一楽章 第二楽章では、幸福感に満ちた楽想がしばしば出てきて、そういうところは、いいなと思って聴いていた。
第三楽章は、スケルツォでダンスの要素が強い音楽。
広上さんも指揮台の上で指揮をしておられのかダンスをしておられるのかわからないような様相になってきた。チャールズチャップリンも、広上さんのダンスを見たら参考になる部分があるのではないかとさえ思った。
楽章の最後の方は、どんどん盛り上がっていって最後に、広上さんの頭を扇の要として、広上さんの両腕が逆ハの字を描く形で、天井に向かってパッと開いて楽章が終わったとき、これで全てが終わったと信じ切って拍手をした人がいた。
そのくらいすごい盛り上がり方だった。
第四楽章もシリアスな楽想や幸福感に満ちた楽想があったけれど、もう最後の方はどんどん盛り上がっていった。
ほとんど初めて聴く曲だから、もう、その盛り上がりに身をまかせていたけれど、もし、この曲をCDなどで何度も聴いていて、よく知っていたら、ちょっと盛り上げ過ぎかもと思っていたかもしれない。
でも、輝かしく音楽が終わってよかったと思った。
最後に広上さんが、皆さん、京響はみなさんとともにあります。どうぞ癒やされにきてください
というような感じの挨拶をしておられた。
広上さんらしい挨拶だなと思った。
定期演奏会にしては珍しく、挨拶に続いて、アンコールも演奏してくださったけれど、コロナのせいかどの曲をやったのかホワイトボードで確認してくるのをわすれてしまった。
たぶんスラブ系のダンスの音楽のように聴こえたけれど、ちょっと記憶に自信がもてない。
全体として充分に満足できるコンサートだった。
あと、今日のオーケストラの弦楽合奏はかなり素晴らしかったと思った。
コロナはまだ続いているけれど、コロナの中でのコンサートにはだんだん慣れてきたようなきがするのでそれはありがたいことだなと思う。