ドラッグストアのレジのところに僕は並んでいた。
僕の後ろにはお母さんと 5歳くらいの男の子が並んでいた。
レジの付近にはお菓子などついでにもう一つ買いたくなるような品物が置いてある。
どこのお店でもやっている、プラス一品で客単価を上げる作戦だ。
5歳くらいの男の子はお菓子の棚とお母さんの所を行ったり来たりしている。
あわよくば、お母さんにお菓子を買ってもらうことを子供は狙っているのかもしれない。
しかし、「お菓子を買って」とお母さんにダダこねてねだる子ではなく、棚とお母さんの間を行ったりきたりして様子を見るというタイプの子だった。
子供だから行ったり来たするときにも、時には駆け足で、時には早歩きでというように動きがせわしない。
そうこうしているうちに、僕は足元に軽いショックを感じた。
そのショックを感じた瞬間に、僕は ああ、子供が僕の死角に入ったときに僕の足につまづいたんだなとわかった。
しかし、それほど強いショックではなかったので、あの程度のつまづきで子供がこける危険はない、と判断した。
あと、子供の足が僕の足に引っかかったくらいで、短気を起こしてはいけないと自分の心に言い聞かせた。なにしろ相手は子供なのだからと。
それで、僕は、足にショックを受けても、それに対するリアクションは一切しないで、いわばそのまま直立不動でその場に立っていた。
すると、子供というのは面白いもので、その瞬間から子供の興味が、お菓子の棚から、僕の方に移ったのだと思う。
子供は僕の後ろから、僕の膝の裏側や、太ももの裏側あたりを、手や指で 用心深くツンツンし始めた。
いやあ、子供に足をツンツンされるのも恥ずかしいなあと思いながらもしばらくは我慢した。
しかし、そういう時間があまり長く続くのもちょっと嫌だなと言うかまずいなと思って、僕は後ろを振り返って、お母さんと子供に、もうそのくらいでやめといてね というような表情で目配せした。
するとお母さんが子供に「距離が近すぎ、ね、距離が近すぎるでしょ。距離をもっとあけないと」と言った。
普通なら「やめなさい」と子供に言うところだと思うのだけれど、今のソーシャルディスタンスの時勢にかこつけて「距離が近すぎ」って子供に注意するって、味のあるお母さんだなと思った。
僕がその時、短気を起こしていないことを観察した上で
子供が、僕の足をツンツンしていても、しばらくは、なすがままにしておくような余裕のあるお母さんだから子供にそういう言い方ができるのだろうかとも思った。
それで、これまた面白いことに、子供は、お母さんの言うように距離をあけて、それからは僕に一切触ってこなかった。
お菓子の方に走っていくのもやめて、本当にいい子になってしまった。
やはり、子供のこれ以上やったら、自分の身の危険がやってくると子供なりに察知したのかもしれない。
本当に子供って不思議なものだなと思う。
しかし、ほとんど言葉をかわさなくても、目配せだけで、僕と子供とお母さんの間でこれだけのコミュニケーションが成り立つというのも、それは、それで、気持ちのイイものだなあと思った。
こう言う場面に遭遇すると僕は金光さんの
“”子供をしかるときは「アホ やめとけ」というと子供は「どうせアホじゃ、もっとやってやれ」と余計に手がつけられなくなる。「お利口だからやめておけ」というと、子供はお利口だからやめようと思ってしなくなる“”
という言葉をしみじみと思い出す。
その足で立ち食いそばのお店に、
まず、わかめそばを注文、これは僕の場合、最近ほぼワンパターンになっている。
ここもプラス一品ということで、カウンターの棚にいつも、おにぎりなどが置いてある。
今日はカウンターの棚には、ちらし寿司と バッテラと おにぎり2個が置いてあった。
ちらし寿司、これは僕の祖母と母がかなり得意にしていた料理。
ご飯粒の大きさ、テカリ具合、全体の湿り気、ご飯の上に乗っている焼き卵の色合いを見ただけで、僕にとっては、祖母や母が作ってくれたちらし寿司の足元にも及ばない味であることが見た瞬間にわかる。
まあ、立ち食いそばのちらし寿司だからそうと割り切って食べるというのもありだけれど、ちょっとその気にならなかったのでパス。
それから、バッテラ、なかなかいい感じだけれど、ちょっと今は生臭いものはやめようと思ってパス。
それから おにぎり。
立ち食いそばのおにぎりにしては サランラップがえらい丁寧に巻いてある。
僕、手先が不器用だから、こんな丁寧に巻いたサランラップうまくはがせるやろうか、とちょっと憂鬱になったけれど、まあ、落ち着いて剥がせば大丈夫と思った。
それで、僕はおにぎりを2つトレーの上に乗せて「このおにぎりと一緒で、お勘定お願いします」と言った。
わかめそばの準備ができると、女性の店員さんは、おにぎりと一緒にお勘定をしてくださった。
それを、立ち食いのカウンターに持っていってそばを食べ始めた瞬間に、その店員さんはもう一人いらした女性の店員さんと話を始めた。
「これで、おにぎり2つなくなったなあ」「新しいの作らな」「いくつにしよう、4つか、4つやと余るかも知れへん、やっぱり2つか」という具合に。
店には客が僕一人しかいないし、僕はスマホを見ながら食べるということは一切なく、食べるときには食べることだけに集中する。
だから、そんな、おにぎりを作る話をしたら、僕に丸聞こえということはわかるだろうに、どうしてあんな話を始めるんだろう。
僕が、ちらし寿司や バッテラや おにぎりを観察して決めたことを、店員さんもさりげなく観察していたのだろうか。
おにぎりが、その店の手作りであることを、さりげなく宣伝しているのだろうか。
それは、よくわからないけれど、女性のおしゃべりというのは本当に男の理解の範囲を超えた不思議なものだなということだけはわかる。