僕が読んでいる新聞の今日の編集手帳にこんなことが書いてある。
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小学校の卒業式。恩師を前に、涙ながらに「仰げば尊し」を歌う子どもたち。瀬戸内海の小豆島を舞台に、教師を教え子の師弟愛を描いた1954年の映画 「二十四の瞳」のワンシーンだ。
合唱する歌は違っても、時代を超えて変わらない情景が今年も見られないことがあるという。「密」を避けるために卒業式への保護者や在校生の出席を制限し、校歌や卒業ソングの合唱を見送る学校も少なくないと聞く 以下略“”
僕が略した部分には、そういう流れを受けて音楽のプロの方々の間で卒業ソングのオンライン配信をすすめる動きもあることなどが紹介されている。
校歌を歌えないのは本当に、残念なことだなと思う。
数年前に、僕になついてくれた小学生の子が 卒業式で僕たちはこんな歌を歌うんだよと言っていわゆる今どきの卒業ソングをスマホで僕に聴かせてくれた。
僕はそれを聴いて「あ、そう、いい歌だね」とその子に言った。
確かにいい歌だと思った。
しかし、心の中では同時に、いま、スマホで聴かせてもらった卒業ソングは確かにいい歌だけれど「仰げば尊し」と比べると歌の格が違うなと思った。
よく格が違うという言い方を私達はするけれど、あえて僕の本音を言えば、音楽や歌にも格というものがあると思う。
その小学生の子がスマホで聴かせてくれた歌のタイトルは忘れてしまったけれど、やはり僕は仰げば尊しが好きだと思った。
仰げば尊しがあまり歌われなくなった理由として、一般に、歌詞の内容が教師礼賛で現代にふさわしくない。
身を立て 名を上げ やよ はげめよ という歌詞の下りは立身出世を推奨しているようで民主主義的ではない。
歌詞が文語なので子供には理解できない、などがよく言われる。
しかし、こういうことをネットで言っていると、ああいえば こういうで、それこそ言い合いのオンパレードになってしまうけれど、卒業式という機会にこういう襟を正すような歌を歌うことで養われるものというのもあると思う。
ちょっとだけ理屈を言わせてもらうと 身を立て を立身と訳すのは単に漢語の読み下し文を元の漢語に直しただけで、本当の意味での訳ではないように僕は思う。
例えば ミッフィーという固有名詞を うさこちゃん と訳したのは石井桃子さんだと記憶しているけれど、ものを訳すときは単に逐語的にするだけでなく そういう想像力を働かせるのが大切な場合もあるように思う。
僕が開いた仰げば尊しの現代語訳が載っているサイトには
「身を立て 名を上げ やよ 励めよ」 という 部分には
「一人前になり、世に認められ さあ はげもう」
という現代語訳がついている。
個人的にはかなり妥当な現代語訳であると僕は思う。
少なくとも
立身出世して有名になり さあ 頑張れ
というような 身を立て 名をあげ の部分に目くじらを立てるタイプの人が好んで引用する現代語訳よりも僕には妥当な訳のように思える。
しかし、それは言っているととキリのないことだから、ここでやめておく。
僕が小学生の頃、もちろん 僕は、この歌の歌詞の意味をよく理解していたわけではなかったけれど、子供心に、ようわからんけど、なんしか、恩とかそういうのもの大切さを歌っているんだろうと感じながら真面目に歌っていた。
ちょっと内輪の話で恐縮だけれど、僕が小学生の頃、K先生という先生がいて、その先生のことを僕の母はあまり好きではなかった。
母が僕にK先生は好きでない と直接言ったわけではないけれど、親の口ぶりとかそういうのを見ながら子供は親の思っていることを何となくさとっている場合というのは結構多い。
K先生のことを母があまりすきでなかった理由は はったりが強くてスタンドプレーをすることが多い
特定の生徒をひいきすることが多い という二点だった。
それも母が僕に直接言ったわけではないけれど、子供というのは親の言葉やものごしから親が思っているのをそれとなく察しているということは結構多い。
K先生はそんな先生だったので、卒業式の練習のときは、仰げば尊しに限らず、卒業式に歌う歌は全部、他の先生よりも、あまらさまに大きい声で歌っていた。
そのことを家で母に話すと、母はなぜかその時だけは「そうなの K先生は立派やね」と言った。
僕が通っていた大学の校歌は、それほど有名な校歌ではなかったし、みんなも まあ 校歌の斉唱なんて 適当にやればいいと思っているようだった。
大学生って多かれ少なかれそういう年頃だ。
有名な校歌を携えている大学の学生は別かもしれないけれど、、、。
ところが、僕は、なぜか、その時の気分で、その校歌を卒業式のときに 極めて真面目に歌った。
特に大きい声で歌ったという意識はないけれど、僕は地声が自分で言うのもあれだけれど、並外れて大きいのでクソ真面目に歌うと必然的にどうしても大きい声になってしまう。
ぶっつけ本番で歌う大学の卒業式の校歌で フォルテ ピアノなんて意識しなかったし、、、。
その卒業式の日の夜、近くのホテルで打ち上げ会があった。
そのとき、おめかしをした、クラスメイトだった女の子が僕のところによってきて
「ナカシマくん、校歌 めっちゃ大きい声で歌ってたでしょう」と言った。
彼女はそれだけ言っただけなので、それで彼女が僕のことを褒めてくれたのか、あきれていたのかそれは僕にはわからない。
でも、彼女が僕にそう言ってくれたことは、はっきり覚えている。
懐かしいな。彼女 今 どうしてるだろう。
わかるわけないけれど。きっと元気だと願っている。