ケンのブログ

日々の雑感や日記

先行き不安な時代

2021年03月14日 | 日記
科学技術の進歩と言っても、昭和の高度成長期、テレビが買えるようになった、車も買えるようになった、高速道路が開通した、新幹線も新大阪から、岡山、そして博多まで伸びた、と言っていた時代くらいまでは、科学技術が発達していくと、みんなの暮らしが豊かになり幸せになるような気分でいた。

僕が小学校2年生の頃(1970年)、クラス担任のM先生は朝のクラスショートホームルームで、Fくんを立たせてクラスのみんなにこう言った。

「昨日、Fくんの家に電話が引けました。今日からFくんに用事があったらFくんの家に電話すればつながります」と。

僕は子供心に、それはよかった、Fくんの家にも電話が引けたんか、それは便利になったなあ。と思った。

Fくんの顔も、そんなプライベートなことで先生に立たされてみんなに電話が引けた話をされても、決して迷惑そうな表情ではなかった。

むしろ、Fくんは嬉しそうな顔をしていたし、クラスのみんなもそれはよかったと思っているように僕には思えた。

当時は、本当に、電話が引けた、車を買ったというのが、幸せや進歩につながっていくことのようにみんな思っていた時代だったと感じる。

今は、科学技術の進歩と言っても、本当にそれで、みんなの暮らしがよくなり、進歩につながっていっているのかどうか、本当にわからない時代になってしまったなと感じる。

あるメガバンクのATMのシステムがうまく働かなくなったというニュースの中で、ATMの機械の中にキャッシュカードを吸い込まれて、そのまま出てこなくなってしまった人がかなりいらしたと新聞で報じられていた。

そうすると、みんながあわてて、ATMに備え付けてある電話でコールセンターのヘルプを得ようとする。

みんなが一度にそうするから、コールセンターのキャパも限界点を超えてしまった、電話をしてつながった人は一割程度だったと報じられている。

残りの9割の人は普通に想像すれば、キャッシュカードがATMの機械に食べられて、手元にもどらなくてもなすすべもなかったということだと思う。

きっと、不安で生きた心地がしなかったと思う。

昨日の新聞の経済欄を見ていると、別のメガバンクに関して次のような記事が出ている。
「○○銀行は2022年入社の新卒採用から、初任給制度に差をつける給与制度を導入する。金融工学やデジタル技術など専門的な能力を備えた人材が対象で、大卒1年目から年収が1000万円を超える可能性があるという。これまで一律300万円程度だった年収を大幅に引き上げ。外資系企業などに流れていた優秀な人材を獲得する狙いがある」と。

こんなニュースを読むと、逆に大丈夫だろうかという気持ちのほうが僕の場合強くなってくる。

主に、エリート大学の理系学部で大学院まで進んで優秀な成績の人を想定していると思うけれど、まだ、若くて、銀行にお金を預ける人の気持ちもろくにわかっていない、銀行の窓口など現場で働く人の気持ちもわかっていない、金融全般に関する経験値も高いわけではない、ただ、金融工学やデジタルの専門的能力を備えているという人をそれだけ高待遇して、本当に銀行として、妥当な経営判断ができるのか、むしろ不安になってくる。

僕自身、会社で給料が、その会社の中では低い方で、劣等感を持っていたことがあるけれど、会社って多かれ、少なかれ、そういうところで、給料1000万円も、もらえば、新卒でも、もう俺は会社の中ではえらいと思ってしまう人も少なからずいることは容易に想像できる。

給料の低い人は、システム以外のことでは、いろんな経験があっても、立場上ものが言いにくくなるということがあったりはしないか。

本当に心配なことだなあと思う。

こういうことを決めるメガバンクの方も、必ずしも、それがいいと思って決めているわけではなく、技術革新にともなう、過当競争で、それをしないと生き残れないという、恐怖感やあせりからそうしているようにも僕には感じられる。

本当に、私達の時代は、どこへ行こうとしているのか、58年生きてきて、こんな気持ちになったことって初めてだなと思う。

そう思うのが、歳をとった証拠なのだろうか。

僕の感じ方では、決してそうではなく、きっと若い人の中にも僕と同じことを感じている方が多いように思う。

かと言って、僕も、どうすればいいか、わかるはずもなく、本当に今はなるようになると思って、様子をみていくしかない時代なのだろうと個人的には感じている。

そのとき、そのときの、自分の感覚も大切にして、危険と思ったところからはなるべく離れる。
そういう感覚だけはできるだけもっているようにしたいと願っている。