2週間続けて雨降りの日曜日。
僕の家の近所は、どこも桜がほぼ満開になっている。けれど、雨でちょっと残念な気もする。
北原白秋の作詞した雨降りという童謡が僕は好き。
“”雨 雨 ふれ ふれ かあさんが じゃのめでおむかい うれしいな
ピッチ ピッチ チャップ ランランラン“”
大人になると雨降りが楽しいという感覚はだんだんなくなってくると思うけれど、子供 特に男の子は、買ってもらった長靴の性能を試すかのように、水たまりをさけるどころか、むしろ、長靴で、水たまりの中に入っていこうとする子もいる。
お母さんは、靴下が濡れたらとか気が気でないだろうけれど、子供はああいうの結構嬉しい。
僕も子供の頃そうだった。
北原白秋の詞にはそういう嬉しい子供の気持ちがよく出ているなと思う。
新聞を見ると、大阪ではまた、コロナに感染する人が増えていると出ている。
本当に、緊急事態があけるとまた感染者が増えるという先の見えない状況が続くなと思う。
新聞を見ると全面広告で 「何もしたくなーい これって不安疲労」「元気スイッチ成分○○で不安疲労を溜め込まない毎日を」という文句が踊っている。
こういうの見ると、全面広告を出された方には本当に申し訳ない言い方になるけれど、なんかコロナの不安につけこんだ便乗商法の宣伝を見ているようでブルーな気分になってくる。
今は、経済が苦しいときで、どこかに商機を見つけなければならないときなので仕方がないこととは思うけれど。
しかし、新聞には、また、希望退職を募集する会社も増えているということも書いてあり、経済の先行きもわからないものになっている。
緊急事態を解除すると、感染者が増える、緊急事態が続くと、それによりストレスがたまり、また経済も駄目になる。
本当に、どうすればいいのかわからなくなってしまう。
マスク、手洗いなどできる努力はして、同時にこういうコロナという状況にいろんな意味で慣れていくことも大切なのかなと思う。
本当に、できる範囲の努力をしながら、同時に、なるようになると信じていくことが大切なのだと思う。
最近は、家でモーツァルトを聴くことが割と多くなった。
モーツァルトの音楽はとても多彩に表情が変化するので、家で聴くのは逆にしんどいような気がして、避けていた時期もあるけれど、今は、そういう深いところで多彩に変化する表情というのをきっと心が求めているのだと思う。
この世のものともあの世のものとも区別のつなかいようなモーツァルトの音楽のピュアな感覚が今は心にしみるなと思う。
本当に、聴きたくなる音楽も、その時の状況や気分に左右されるところが大きいなと思う。
どうか、一日いちにち無事にすごせますようにとそれを一番に考えている。