僕が読んでいる全国紙の今日の紙面に、4月から天王寺動物園の園長に就任される、向井猛さんの談話を記者がまとめた記事が出ている。
その中に向井さんが札幌円山動物園時代の思い出を語る言葉として次のような話が出ている。
「ある時、ラクダがお尻を柱にこすりつけて真っ赤にしていました。かゆくてかわいそうなのですが、危険なので近づけません。どうやったら薬をぬってやれるだろう。そこで柱に薬をつけてみたら、自分でお尻をこすりつけてよくなりました」と。
そうか、ラクダはかゆいと言葉でいうわけではないけれど、かゆくてかわいそうと、判断する、
そしてなんとかしようとする気持ちがこういう結果につながるのかと思った。
危険なので近づけない、という冷静な判断も理系の方らしいなと思う。
助けようと思って自分が大怪我したり、死んでしまったりしたら、ある意味なんにもならないわけだし、、、。
ところで、昨日から僕の自宅最寄りの私鉄の駅の改札の中や外に、銀色のホイルをまきつけた短冊がいっぱいぶら下げてある。
短冊がぶら下げてある位置から判断してその銀色の短冊が燕よけであることは、毎年見ていればすぐにわかる。
一昨年、改札の中に燕が巣をつくってしまってからは、改札の中に、入念に銀色の短冊、つまりは燕よけが設置されるようになった。
今年は、改札の外も中も入念に燕よけの短冊が施された。しかも、僕の記憶にある限りは例年よりも早めに。
私鉄の駅の方は僕の想像では燕には割と寛大で、一昨年、改札の中に燕が巣を作ってしまったときにはさすがに難儀されていたようだけれど、改札の外に燕が巣を作った場合には燕の糞を受けるダンボールを床に置いて、「燕の巣立ちまでお見守りください」というような張り紙がしてあった。
今年は、改札の外も入念に燕よけがしてあるのは、あるいは、コロナの影響で、ツバメの巣が不潔だという苦情がくることを想定しておられるのかも知れない。
もっとも、それは、あくまで僕の想像だけれど、、、。
でも、こういう燕よけをつける鉄道会社の方も、きっと、燕を嫌っているのではなく、むしろ燕が好きだから、下手に燕が巣を作ってそれを途中で壊す羽目にならないようにあらかじめ、燕のためを思ってしておられるような気がしてならない。
そして、そういう気持ちが、ものや人を大切にする気持ちにつながっていくような気がする。
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昨日は、雨だったから、ぬかるみにはまらないように下を向いて歩いていたら、隣のマンションの敷地を通っているときに、もう桜が散っているのをみかけた。
雨だと桜がもう散るのかと思って、桜の木を眺めると、そのマンションの敷地の桜は駅前の桜よりも咲くペースが早くて、もう5部咲きくらいになっていた。
駅前の桜はまだちらほら咲いた程度なのに。
岐阜県の郡上節という民謡の歌詞の中に
“”咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る“”
※駒は馬の意味です。
というものがあるけれど、桜はやはり、咲いた桜を美しいと思う気持ちと、散るのを惜しむ気持ちの両方があいまって私達をひきつけるというのは今も昔もきっとかわらないだろうなと思う。
そういえば松尾芭蕉の句の中に
“”ゆく春を近江の人と惜しみけり“”
ってあったっけ。
どこにも桜と書いてないけれど、惜しみけりの中には何となく桜の花も想像できるところがいいなと思う。
僕は近江路は、電車では頻繁に通るけれど、近江の街をじっくりと散策したことはない。
じっくりと散策すれば、きっと近江の人と惜しみけりと、近江という地名を出した作者の気持ちも想像できたりするのかもと思ったりする。
僕が想像しても何も出てこないかも知れないけれど、、、。
地名で思い出したけれど、昔、ユーチューブで忌野清志郎さんがたしか大阪でやった、野外ライブで、ステージの上に50ccのバイクがおいてあって清志郎さんが曲の合間に
「イエーイ。このバイクはなあ、大阪寺田町の木村さんからもらったんだぜ。イエーイ」と叫んでいる映像があった。
今、検索しても、僕の検索の仕方が下手なせいか出てこないけれど、、、。
しかし、そのライブの映像を見たとき、「大阪寺田町の木村さんからもらったバイク」って、本当に絶妙な固有名詞の選び方だなと思った。
たぶん、東京出身の清志郎さんのことだから大阪の人にもいろいろ話を聞いて決めた固有名詞なのだとは思うけれど、やはり、四天王寺を中心とした界隈って大阪でも最高の場所の一つのような気が僕にはする。
そういうエリアの中から、寺田町というちょっと微妙に地味な地名を選んで、木村さんというみんなに親しまれた名字と組み合わせる。もうそういう固有名詞の選び方がいかにも清志郎さんらしいと感心してしまった。
やっぱり芭蕉も清志郎さんも、アーチストは固有名詞の選び方も違うんだなと思う。