今日は新聞が休刊日なので、久しぶりにタブロイド紙を買った。
普段、一般の新聞を読んでいて、たまにタブロイド紙を買うと、記事の質が、ニュースというよりゴシップという側面が強いなと思ってしまう。
まあ、それは、それとして
そのタブロイド紙のコラムに今、定年後の働き方の著書などで話題の方のコラムがあって、そこには定年が70歳に向かって動き出すという話が書いてあった。
本当にコロナですっかり霞んでいたニュースだけれど、そういえば定年が70歳に向かっていくっていう話、コロナの前は盛んに話題になっていたなと改めて思い出す。
そして、こういう定年70歳という問題に、頭や、心を悩ますのはすでに60歳を超えてしまっている人ではなくむしろ現在40代 50代の人なのだということが、ネットで関連サイトを調べてみるとわかる。
それは、そうだろうな、と思う。
僕は、現在、団塊の世代と言われるような、70歳を超えている、あるいはそれに近い年齢の人に接することが多いけれど、その人達は、基本的には60歳で会社を定年になっている人が多い。
一方40代 50代の人はこれから70歳まで働くということを考えていかなければならない。
僕は今58歳で、事実上、仕事をリタイアした生活を送っているけれど、そういう生活を送っていると、自分ではいろいろ考えて、一生懸命、生きているつもりでも、世の中が70歳まで働く流れになっているのに、なんだかちょとした後ろめたさを感じてしまう。
自分は、社会のあるべきレールから、はずれてしまって、なにか、よからぬことをしているのではないかという何とも言えない後ろめたさを。
働き続けている人は、働き続けている人で、何とも言えない不安を感じていると思う。
これだけ社会のIT化が進むと、どうしても高齢になるとITの操作には疎くなってくるし、おっくうになってくる。
村上春樹さんのエッセイに、医者に、老眼にならない人はいないんですかと質問したら、そういう人はいない、早く亡くなったりしない限り、誰でも必ず老眼になるという答えが返ってきたという主旨の記述があった。
本当に、目と歯は誰でもある年齢になると必ず衰えてくるように僕も思う。
それは、自分や自分の親や親の周りの人を見ているとわかる。
どうしてもIT機器の操作は苦手になってくる。
そういう時代に、70歳まで働けって言われても、、、。
それに働くって、どんな働き方にせよ、とても気力のいることだ。
60歳を過ぎてさらに10年そんな気力が続くのか。ということを思う人もすくなからずいるように思う。
僕の主観だけれど、70歳定年の流れ(今はまだ努力義務であるけれど)で悩むのは、女性よりも男性のほうが多いのではないかと思う。
いくら男女平等の社会が形成されていると言っても、日本では、まだ、男のほうが、仕事を続けるべきという考えも根強いし、そういう、働き続けなければならないといういわば、社会的圧力のようなものは男性のほうがより受けやすいように思う。
なかなか、自分の過去のキャリアを生かした仕事を年取ってから続けることが難しいからと言って、みんながみんな、清掃とか、そういう仕事を割り切ってできるというわけでもないだろうし。
また、70歳を超えた人と話をすると、足腰が痛い、とか、血圧とか、そいうことで病院に行くことが毎月の予定の中に組み込まれている人も多いわけで、そんな、健康寿命ぎりぎりまではたらいで、あとは、仕事をやめたら好きなことをする気力もなく、死をまつばかりということになったら、人生一体何なのだろう、という、単なる労働問題を超えた人生のありかたという観点からの心の悩みも出てくるわけで、、、。
歳をとると、男より、女のほうが元気、というご夫婦はいまでも結構多いけれど、こんなことになったら、ますます男は歳をとったら、元気がなくなってしまうのではないかと心配になってくる。
本当に、そういう時代だからこそ、人から受ける一般的評価というのを気にしないで、自分の考えを大切にするべきだと思うのだけれど、その、気にしないということが、意外と、できそうでできないわけで、、、。
でも、結局は、信じたように生きていくしかないのだと思う。
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今日は、隣の街のお宮に参拝した。
僕が手水のところに行くと、社務所から、宮司さんの奥さんが鼻歌を歌いながら出てきた。
鼻歌を歌いながら社務所から出てくる宮司さんの奥さんというのもいいなと思う。
奥さん、何かいいことあったのだろうか。
僕は、心の中でそれを思っているだけでそれをねたに奥さんのこと冷やかしたりすることができない。
ただ、心の中で想像しているだけというようにいつもなってしまう。
もっと気軽に女性に話しかけられればと思うのだけっれど、それが、なかなか、、、、。
ここの宮司さんはなかなか粋な方で、お宮のお堂の脇の立て札には
「境内の通りぬけは禁止。やむなく通り抜ける場合は、お堂に一礼」と書いてある。
こういう書き方 好きだなと僕は思う。
クリスマスの頃には手水のところには、クリスマスの花が浮かべてあった。
クリスマスの花って何か僕にはわからないけれど、花の色合いを見て、ああ、これはクリスマスの花だと思った。
これはきっと宮司さんの奥さんの思いつきだと思う。
神道なのに、クリスマスかと思ったけれど、神道って、西洋の言葉と同様の意味で宗教とは呼べないと思う、宗教と言うよりは、読んで時のごとく、道という色合いが強いので、こういうこともありなのだと思う。
今日も、手水に花が浮かべてあった、今は春の花なのだろうか。
きっとコロナで、手水の柄杓が取っ払ってしまってあるから、宮司さんのご夫婦で考えて、みんなの心をなごませようとしておられるのだと思う。
観光地にあるようなお宮の社務所は、誰でも気軽に声をかけられるけれど、隣町のお宮のように特に観光名所でないようなお宮の社務所って、意外と声をかけにくいという場合も多い。
こののお宮は、それでも何となく気軽に、社務所でいろんな質問とかしやすい雰囲気になっている。
やはり、宮司さんご夫婦が、そんな人柄だからだと思う。
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お宮に行った足で、花屋さんに行く。
母の誕生日が3月21日(今年は違うけれど3月21日が春のお彼岸という年が多い)父の誕生日が3月25日なので、両親の分まとめてフラワーアレンジメントを花キューピットで送る。
受け付けてくれたのは、朝子さんという方。
なぜ、僕がその方を朝子さんと知っているかと言うと、レシートにレジを打った子の名前がこの花屋さんでは出る仕組みになっていて、感じのいい子なので、その名前を見て朝子さんと覚えた。
僕が朝子さんと覚えていることを彼女は知らない。
なぜなら、それを彼女に話してないから。
高校の頃、隣の席の女の子の名前が朝子さんだったことがある。
「なんで、朝子やの?」と僕はあるとき彼女に聞いた。
「朝生まれたから、朝子」と彼女は行った。
「そのまんまの名前やね」と僕は行った。
「どうでもええ子やったから、お父ちゃんが、簡単に名前つけたんや」と彼女は言った。
高校を卒業して2年くらい経ったとき、朝子さんの家に電話をしたことがある。
そうしたら、そのお父さんが電話に出て「すみません、朝子はもう結婚しました」と言った。
そうですか と言って僕は電話を切った。
あの、お父さんの一言は忘れられないなと僕は思う。
どういう動機で朝子さんに電話をかけたかは忘れてしまったけれど。
今のように、ラインで女の子とやりとりするような時代ではなかったから、女の子の家に電話するときは、まず、お父さん(お母さん)の壁を突破するというのは一つの大きなテーマだった。
その分、緊張したけれど、そのスリルがまたよかったなとも思う。
そんな話を、花屋(フラワーショップ)の朝子さんにもしてみたいなと思いつつも、いまだに、最低限の用件だけの話しかできていない僕だけれど、、、。