ケンのブログ

日々の雑感や日記

五月二十六日

2018年05月26日 | 日記
だんだん夏らしくなってきているなと思う。
梅雨がいつからかチェックしていないけれど
梅雨になってそれがあけたらきっととても暑い日々が続くのかなと思う。
吉野家に行って豚丼を食べた。
吉野家の豚丼は新しく生まれ変わったようで
あっさりとした油分の少ないお肉と玉ねぎのバランスが
とてもよく配合してあると思う。
それにゴマもほどよく混じっている。
最近新聞の全面広告でおくれをとるまえにセサミンという
宣伝文句がよく踊っていた。
遅れをとる前ってどんな遅れかよくわからないなとおもいつつ
その文句を読んでいた。
しかし、いずれにしてもゴマの成分セサミンは体にいいということだろう。
ちょっとしらべたら生姜もガンになりにくい食材の上位にランクしている。
僕はタバコを吸うのでその他の食品はできるでけ病気になりにくいものが
いいなと思い、紅しょうがもたっぷりかけで豚丼を食べた。
その時の気分にもよるけれど豚丼も牛丼よりあっさりしていて
いいなと思う。
半年ほど前吉野家では従来の黒カレーに加えて白カレーも
発売になった。白 黒と選択肢が増えていいなとおもいつつ
白カレーはなんだかカレーだかシチューだかよくわからない面もあるなと思っていた。
そうしたら先日白カレーを注文したら「白カレーはもうおわりました」
とお店の方がおっしゃった。
きっと白カレーうれなかったんだろうなと思った。
売れないものは発売をやめて顧客のニーズにあった新商品を
展開していかないと厳しい業界の競争に負けてしまう。
本当にせちがらい世の中だなと思う。
山田征さんという方の本を読んでいたら
安いもの安いものという風に追いかけていくと
企業は安い労働力を求めて生産拠点を
労働力の安い海外へ移すことになる。
その結果国内の人は仕事を失うことになる。
なので、安いを追いかけるだけでなく
何事も適正価格というものが大切。
という趣旨のことが書いてあった。
よんでいるとまったくご道理ごもっともと思うのだけれど
それでもなるべく安いものをと思ってしまう自分がいる。
今日僕が食べた食材も外国の安い労働力で生産されたものかも知れない。
また、征さんの本にはいくら貯金に励んでも
日本が戦争に負けたときのように通過の価値が
戦争を前と後ではまったく異なるようになると
せっかくの預金もパーになってしまう。
このようなことはいつ何時誰にでも起こりうる。
そして今の日本のように海外に生産拠点をどんどん移してしまうと
ひとたび経済制裁をくらったらひとたまりもないと書いてある。
そういわれてみれば現在経済制裁を食らっている国の現状を
見るにつけなるほどそうだなと思ってしまう。
征さんのような広いこころになればそういった心の割りきりが
逆に安心を生むのだと思う。
金持ち、貧乏と言ってもつかの間のかりそめの姿にすぎないと。
僕はまだそこまで大きな心にはなかなかなりきれていない。
ついついなるべく安いもの、そしてなるべく節約するように
と思ってしまう。
もちろん征さんも節約はしておられるようだ。
ユーチューブでお姿を見るといつも古着のようなカットソーを着ておられる。
電気も使っておられない。
封筒や新しい紙も一切使わず古紙ですべてまかなっておられるようだ。
旅行にはよくいかれるようだけれど。
それも遊びの旅行ではなく貧困の視察などそういう類いの旅行だけれど。
また征さんは人の優しさは結局その人の生活態度に現れる
とも書いておられる。
そういわれればそうだなと納得する。
世の中にはすごい人がいるなと思いつつも
やはり今の自分にできることからコツコツとということしかないのかなと思う。

五月二十四日

2018年05月24日 | 日記
昨日の雨模様の天気とうって変わって今日は晴れている。
夏のカッターシャツというかブラウスというか上着の
ボタンが取れかかっていたのでお直しの店に持っていった。
「ボタンの取れかかっているところ直してください」と僕は言った。
「ああ、取れかかってますね。これ機械でやるからこんなんなるんですよ」と
お直しの方が言った。
「そうですね」と僕は言った。
前回やっていただいたときの値段を思い出して
「料金は200円ですよね」と僕は言った。
「ボタンによっては300円のもありますけど、これは200円です」とお直しの方は
言った。
「そうですか」と僕は言った。
確かに同じボタンでもコートのボタンをつけるのと
ブラウスのボタンをつけるのでは手間が違うような気がする。
でも「200円ですよね」と言わすに
「おいくらですか」と聞けば
「200円です」とすっと答えていただけたけも知れない。
あるいはなしくずし的に300円になっていたかも知れない。
そこは可能性の問題だけれどおいくらですかと聞いた方が
会話がすっと通ったような気がする。
ここ、大阪は商人の町だからちょっとした言葉遣いで
会話の流れが違ってしまう。
先日の歌声サロンである女性に「ズボンがよくお似合いですね」と言ったら。
「いえ、最近私太ってただズボンがピチピチになっているだけです」と女性は言った。
そういわれてみればちょっとお腹の辺りがぽっこりでているような気がする。
いわなきゃわからないのに。
なんか大阪での会話はえてしてこういう風になりがちだ。
お直しの係りのかたに
「自分ではボタンがなかなかできないので
こうして気楽に持ってこれるところがあるとありがたいです」と僕は言った。
「最近女の人でもできない人が多いんですよ
女性のかたも持ってこられる方がけっこういます」とお直しの係りの方が言った。
なんか係りのかたの口調から察するに
女性がボタンを付けられないことを嘆かわしく思っておられるような
気配が感じられた。
それは布施明の昔のヒット曲の歌詞の一節に
君にできることはボタンつけと掃除 だけど満ち足りていた
とあるくらいだもの。
布施明と同じくらいの世代かそれより上の世代の女性ならば
女性はボタン付けくらいと思われるかたもいるかもしれない。
女性もいまやもっと社会に出て働けと言われ
ボタンもつけられないのという目で見られたら
しんどいだろうなと思う。
男もイクメンとか家事をとか言われてもしんどいだろうなと思う。
男の家事や育児って生理的にもう女性にはかなわないもの。
いつか3才くらいの男の子が電車から降りるとき
「はいピョンして」と子供に声をかけていた女性がいたけれど
そんな声のかけ方、できる男はそんなにいないと思う。
でもスーパーマーケットなどで小さい子供に
「あんた、そんなとこにおったら邪魔」と子供に声をかけている
お母さんを見ると
この子供もやがて成長して他人に、邪魔や邪魔やと言うように
なるのかなと思うとなんだか悲しくなってくる。
やはり幼い頃に脳細胞の奥の方に刻まれた言葉って
なかなか消えないことが多いもの。
できればいい言葉をかけていきたいなとは思う。

五月二十三日

2018年05月23日 | 日記
雨模様のお天気。
ちょっと涼しいようにも思えるけれど
けっこうむしむしするといえばむしむしする。
先週の土曜日学生の頃の友達N君とその奥さんのM子さんと食事をする。
さいしょ京都で待ち合わせてN君と二人でランチをする予定だったけれど
気づくとM子さんと一緒に来ていた。
そういえば二人がまだ結婚前に大阪の難波であったとき
さいしょN君と二人で会うつもりだったのがM子さんもなぜか
一緒に来ていた。
「いやあ、こいつも一緒に来ちゃったんだよ」とその時
N君は言った。「今日はもうしょうがないから
適当に宿をとって泊まるよ」とN君は言った。
シチュエーションがあの結婚前のときににているなと思った。
「あのときにシチュエーションがにてるね」と僕は言った。
「私は思いきってその日に行動を決めることがけっこうあるから」とM子さんが言った。
「そうね。昔からそうやったね」と僕が言った。
「車はN君が運転してきたの」と僕は言った。
「それがね、来るときは私が運転してきたの
帰りはNさんに運転してもらうわ」とM子さんが言った。
「N君もうじき定年って聞いたけど定年後も働くの」と僕は言った。
「働くよね。じっと家にいてもしょうがないもんね」とM子さんは言った。
「そうだなあ」とN君は苦笑いして言った。
「定年になったら、続けて働いても役職は離れるの」と僕は言った。
「そうだね」とN君が言った。
ランチはK女子大に上っていく坂の途中に四軒ほどレストランが
並んでいてそのうちのどこかですることになった。
僕が坂道を案内した。
二軒目の店の前で「ここにしよう」とN君が言った。
こういうところはけっこうN君決断力がある。
僕だったら四軒全部見てから決めるのに
さすがN君と僕は思った。
レストランではN君夫妻が二人でご飯中盛りってどのくらいの量なんだろう
というような話をしている。
「少なくとも大盛りとは書いてないから
150グラムから180グラムぐらいでしょう」と僕は言った。
その店はタブレットで注文する店だったので
N君はご飯中盛りで頼んだ。
M子さんはご飯の指定は特にせずに頼んだ。
料理が来た。
しばらく食べたところで
「ところでご飯どうやった」とM子さんが言った。
「いや、おまえのと変わんない」とN君が言った。
「仲がいいんだね」と僕は言った。
「もうあきらめてるもんね」とM子さんは言った。
しばらく沈黙が続いた。
息子さんは国立大学の工学部の情報工学の専攻らしい。
「俺が息子になんの勉強してるのって聞くと
息子は、おまえにはわからんやろう、といって教えてくれないんだよね」とN君は言った。
「おまえにはわからんってはっきり言ってくれるだけまだましだよ」と僕は言った。
「そんなもんかなあ」とN君は言った。
「そうだよ、そんなのどこの親子にもあることだよ。
おまえにはわからんと言ってもらえるうちが花だよ
なんにもいってくれなくなる親子の方がむしろ普通だよ」と僕は言った。
「そんなもんかなあ」とN君が言った。
「そんなもんだよ」と僕は言った。

昨日歌声サロンに参加した。
若者たちというフォークソングを歌う前に
ピアノの伴奏の先生が「最後ゆっくりのばしましょか
それともすっといきましょか」とおっしゃった。
「どちらでもお好きに」と歌の先生は言った。
伴奏の先生は最後かなり音を伸ばして
低音をかなり強く厚く鳴らす伴奏をなさった。
「なんか若者たちがすごい大曲のような伴奏でしたねえ、本当に
N先生はいろいろしてくださるから」と歌の先生は言った。

京都市交響楽団第623回定期演奏会

2018年05月22日 | 音楽
5月19日に京都コンサートホールに京都市交響楽団第623回
定期演奏会を聴きに行った。
指揮は広神淳一さん。
最初に演奏されたのがバーンスタインの交響組曲 波止場
遠いところへ響くようなホルンが鳴る。
そこにいろいろな管楽器の音色が重なる。
ティンパニが鳴る。
ジャズ風のモチーフが混沌と出てくる。
不安げに緊張を持っておどろおどろしく音楽が進む。
ファゴットの音が船の汽笛のように印象深く響く。
音楽が静かになってフルートが美しく歌う。
バイオリンが線の細い旋律をそれにつづいて奏でる。
ビオラが映画音楽のようにある情景を想像させるように歌う。
一瞬マーラーの交響曲第5番の第四楽章を思い出す。
広上さんが指揮台の上で機会仕掛けの人形のように踊っている。
再びホルンが遠くに向かって歌う。
深く、情感豊かな弦のメロディーがつづいて出る。
旋律が少し東洋風に聞こえるところもある。
混沌とした高まりのなかで音楽が終わる。
全体にステージのそで、客席からは見えないところから出ている音が
効果的だった。
次に演奏されたのがショスタコーヴィチの交響曲第9番。
第一楽章
ちょっとライトな入りかた。
広上さんは指揮棒を放して指揮台の上でコミカルに踊っておられる。
こういう指揮の仕方もあるのかなと思う。
演奏は少し旋律の鮮やかさにかけるようにも思える。
ダンスもいいけれど指揮者は体幹を固定させることも
大切と思う。
指揮者の体幹が柔らかくなると音楽の体幹も柔らかくなるように思える。
もちろんそれが狙いでなさっているのかもしれないけれど。
バイオリンのソロが少し過度におどけすぎかなとも思った。
第二楽章
クラリネットのソロがたっぷりと歌っていてうまい。
木管相互の掛け合いもとてもうまい。
それにつづく弦もいい感じで音楽が進む。
フルートもたっぷりと旋律を歌っている。
バイオリンを中心とした旋律もうまく出ていた。
第三楽章
クラリネットがおどろおどろしく歌う。
弦楽器も緊張感のある音を出している。
かなりすばらしい。
ファゴットと金管の重厚なファンファーレもかなりうまいと思った。
第四楽章
ファゴットが慎重に歌う。
バイオリンがそれに続く。
続いてクラリネットなど木管が入るところから
テンポが速くなる。
うまく音楽が進んでいく。
指揮台では広上さんがいろんな種類のダンスを踊っている。
弦の突っ込みが少しあまいと思うところもある。
音楽終盤にむかっての盛り上げは気合いが乗っている。
コーダに向かって指揮者のダンスはうまいなと思った。
20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが
バーンスタインの交響曲第2番 不安の時代。
木管に続いてピアノがフランス音楽風の和音を奏でる。
そこに弦と管が加わって音楽が華やぐ。
ショスタコーヴィチを思い浮かべる場面があったり
ラヴェルを思い浮かべる場面があったりする。
はじめて聴く曲なのでボケーっとしている時間もあったけれど
途中で河村尚子さんのピアノがかなり熱演であることに気づく。
はじめて聴く曲なのでボーッとしていた時間も結構長く
演奏の印象がまとまらないうちに音楽が終わってしまった
側面もあった。
広上さん最後は指揮台でジャンプして音楽が終わった。

五月二十日

2018年05月20日 | 日記
今日は歌声サロンのN先生のピアノデュオコンサートに行った。
ピアノデュオ3組計6人が出演してN先生はそのうちの
一組だった。
N先生がSさんとデュオを組んで演奏されたのは
ラフマニノフの交響的舞曲第一楽章。
先生は音楽のモチーフをそれがモチーフであると
わかるようにバシッとお弾きになるので聴いていて
気持ちがいい。
僕の好きなタイプの演奏。
穏やかなところと激しいところのコントラストも
よく出ている。すごいなうまいなと思った。
続いて演奏されたのがピアソラのオブリビオン。
こちら方はピアソラっていいなと思っているうちに
演奏が終わってしまった。
ボーッとしているうちに演奏が終わってしまうというのも
僕によくあるパターンかなと思った。
次に演奏されたのがモーツァルト グリーグ編曲
ピアノソナタK545
こちらの方はいかにグリーグの編曲とはいえ
モーツァルトのシンプルな原曲に音を
付け加えてそれで原曲を越えることは
決してないなと思っているうちに演奏が終わった。
でも、ラフマニノフがよかったので今日は
それが収穫かなと思った。
帰りにロビーに立っているN先生によかったと
言おうとしたのだけれど先生はみんなの
挨拶を受けるのに一生懸命でなにかを
語りかける余裕がなかった。
その時、目の前に歌のD先生とばったり顔を会わせた。
「先生も来てらしたんですか」と僕は言った。
「ええ」と先生は言った。
「N先生よかったですね。バシッと音が出ていて
穏やかなところと激しいところのコントラストもよく出てましたね」と僕は言った。
「そうですね」とD先生はにっこりしておっしゃった。
N先生に言いたかったことをD先生に言ってしまったけれど
それもまあいいかと思った。