遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉275 小説 ある女の風景(5) 他 禅家語録

2020-01-05 14:31:22 | つぶやき
          禅家(ぜんけ)語録(2019.12.15日作)

   月はあらゆる水に陰を落とす(夢想国師)
            (澄み切った空の月は、あらゆる水にー澄んだ水でも、濁った水でもー
    分け隔てなくその姿を映す
   人の心もこうありたいものですね)
  
   求道の心さえしっかりしていれば
   吉野の山奥に入って修行する必要はない(白隠)

   人の心掛けられてよい座禅は
   目覚めた意識での修行の努力であり
   不断の座禅に過ぎたるものはない(白隠)
   (日常生活の中での不断の意識的行いに勝る修行はないと言う事か ?
   白隠禅師はまた、日常行為の努力なくして、いくら座ってみても(座禅を
   してみても)、老いぼれ狸が穴倉の中で居眠りをしているようなものだ、
   と言っている)

   座禅とは日々、日常行為の中にある(鈴木大拙)
   
   概念はいつも変わらない
   変わらぬものは鋳型になる
   変わらぬものを変えてゆくのは
   それを取り扱う人である
   この 人 は 生きたものでなくてはならない
   禅は人である(鈴木大拙)

   人間の知恵はいつも自ら殻をつくって
   その中に安らけく寝たがる(鈴木大拙)

   不安の心持は  
   経験に裏付けられない思想だけの生活
   分別の上にのみ築き上げられた生活から出て来る(鈴木大拙)

   経を読んではならない 座禅しろ
   掃除をしてはならない 座禅しろ
   茶などもてあそんではならない 座禅しろ
   馬に乗ってはならない 座禅しろ
   商いをするな 座禅しろ
   畑を耕すな 座禅しろ(道元禅師 一休和尚)
   (この座禅とは単に膝を組んで座る事ではない。日々の行いを座禅をする 
   時の心そのもので行えと言う事か ?)

   賀茂神社の勇ましい競馬はどう思うか
   駆けて行ったり 戻って来たりするのも
   あれはすべて座禅である(大灯国師)


          -------------------


          ある女の風景(5)

 夫と知り合う前の学生時代には、友達としばしば足を向けていた。夫と知り合ってからは、夫の会社が丸の内にあった関係もあって、銀座に出る事が多かった。
 新宿の街は、わたしが来ていた頃とはすっかり、その顔を変えていた。
 通りには変わりはなかった。細い様々な道筋もわたしが来た頃そのままに変わってはいなかった。にも拘らず、そこに佇む街の顔が何か馴染みのなさを抱かせた。昔、悪戯気分で恐る恐る仲間達と細い階段を降りたジャズ専門の喫茶店が懐かしさを誘ったが、それでいて、街全体に馴染めなかったのはいったい、何故だったのだろう ?
 自分が歳を取ったせいか、とわたしは思った。新宿はやっぱり、若い人たちの街なのか ?
 コマ劇場の近くには、女同士で何度か入った感じの良かった地下のバーが、その頃のままに名前を出していたが、その上には「スナック」と、当世はやりの名称が付されていた。それに気付くとわたしは、自分が何か場違いな場所に足を踏み入れてしまったような気がして来て、一抹の寂しさを覚えるのと共に、居心地の悪さにも囚われていた。ーーあの物腰の柔らかく、感じの良かった中年のバーテンダーさんは、今でもあの店にいるのだろうか、わたしは淋しい気持ちの中でなんとはなくそんな風に思ったりもしてみた。
 歩き疲れるとわたしは昔、何度か入った事のある喫茶店「高原」を眼にして、里見一枝に会うまでの時間をそこで過ごす気になった。
 店内はすっかり変わっていた。この店の特徴として印象的だった店名と同じ、高原の風景を映したパネル写真が四辺の壁をぐるりと取り囲んでいたものが、全く姿を消していた。天井に設置した照明に、それらの写真の中の風景が暗い店内から浮かび上がって迫って来るような、迫真力に満ちた空間を演出していたものだった。
 あるいは、時の流れの中で、それは当然の事と言えば言えるのかも知れなかったが、リノリュウムに似た材質の壁紙が、乳白色の単一色彩で四辺を被った店内風景は無味乾燥の味気なさを抱かせた。僅かに、店内を二つに区切るように置かれた大きな棕櫚の木かと思われる植物が、そんな店内に些かの彩を添えていた。
 わたしが体を沈めた席では、テーブルがそのままテレビゲームになっているのにも驚かされた。無論、百円硬貨を入れなければ機械は動かないが、あまりの殺風景さにわたしは、興ざめしたまま、憮然としてウエイトレスが差し出したおしぼりで汗の浮かんだ手のひらを拭いた。
 時刻は午後五時を過ぎていた。
 店内の混みようは相変わらずだった。
 外には既に黄昏があった。僅かに見える通りの向こう側のネオンサインの輝きが鮮明になっていた。

 里見一枝と会う約束の時間までの相当の間、わたしはただ、ぼんやりとその喫茶店で物思いに耽っていた。どれ程の時間そこに居たのか、定かではなかったが、その間、わたしの頭の中では、走馬灯のように今度の事態に至った様々な経緯が飛び交っていた。それでもわたしには、決定的にわたしを動かした動機がなんであるのか、はっきりとは掴めなかった。ただ、漠然としたこれまでの日常への不満感だけが胸の中に充満して来るばかりだった。夫の実家の両親に対するべったり振り、この事には常に辟易させられていたが、あるいは、これが総ての嫌悪感の因になっているのかとも思ってみたりしてみる。だがまた、それだけでは、子供達と過ごす単調な時間に対して抱く、言い知れない焦燥感のようなものは説明出来なくなる。かつてはそんな生活を夢のような生活だと思った事もあったのだが。
 わたしはそんな思考に疲れ果てるとようやく席を立つ気になった。
 外に出ると自分の腕時計に眼をやった。
 まだ約束の時間までには一時間近くの間があった。それでもわたしは待ち切れなくなって里見一枝に電話をしてみた。
「時間を持て余しちゃって」
 と言うと一枝は、
「いいわ。じゃあ、もう一つ、人と会う約束があるんだけど、付き合ってくれる。原宿駅へ迎えに行くから」
 と言った。

            五

 わたしは新宿駅から原宿の駅に向かい、里見一枝を待った。
 一枝は十分ほど遅れて小型の瀟洒な外車で乗り付けた。
「ごめん、遅くなっちゃって」
 一枝はわたしを見つけると車の運転席から言った。
「ううん、わたしの方から無理を言ったんだから」
 わたしは一枝の車に近ずくと、なんとなく昔に帰ったような気分で機嫌よく言った。
 一枝がドアを開けた運転席の隣りに乗り込みながらわたしは、
「悪いはね」
 と言った。
「それはいいけど、これから赤坂まで行かなくちゃならないの。ちょっと長く掛かるかもしれないから、遅くなるわよ」
 一枝は言った。
 いかにもテキパキとした物言いや動作が、現役で働く人間の生き生きとした感じを醸し出していて、わたしにはそんな一枝が眩しく見えた。
「ええ、それは構わないの。その積りで出て来たんだから」
 わたしは言った。
 


         ----------------

         takezilsan様

         有難う御座います
         ブログ毎回楽しく拝見させて戴いております
         それにしても、よくお出かけになりますね
         わたしはほとんど外出しませんので、毎回
         あちこちのお写真、楽しく拝見させて戴いております
         野菜の写真も楽しいですね
         これからもこれ等のお写真、宜しくお願いします