遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(522) 小説 <青い館>の女(11) 他 金木犀 ようやく咲いた 

2024-11-03 12:15:11 | 小説
            金木犀 ようやく咲いた(2024.10.18日作)



 
 金木犀がようやく咲いた
 例年より ほぼ三週間遅れ
 毎年咲く時期が来ても
 花芽一つ無く 驚きと失望
 猛暑のせい ?
 諦めていた矢先 
 思わぬ開花
 猛暑の夏が漸く終わった気配
 秋の空気の中
 気温の低下と共にみるみる
 花芽を着け 遅れ馳せながらの
 開花となった
 植物の持つ力強さ 生命力
 改めて思う
 地球温暖化 異常な猛暑
 地球上 総てのものを狂わせ 壊す
 数年前 数十年前とは大きな違い
 この地球に満ちる空気
 この先 地球は一体 
 何処へ行き 何処へ辿り着く ?
 月下美人の開花は今年 この夏三度
 これまで年に一度だった開花が 去年は二度
 今年は三度 その いずれもが
 見事な花形 豊かな香り
 これもまた 異常な夏
 猛暑の影響 ?




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             <青い館>の女(11)




 そのうち店長も顔を見せた。
 三人で今後の営業方針に就いて意見を交わした。
 地元で生まれ育った店長は、この地方の商業的環境に就いては詳しかった。
 彼の話し振りから改めて、この店長なら旨くやって呉れるだろう、と満足のゆく感触を得た。
 午後四時過ぎに店舗を後にすると一旦、ホテルへ帰り、そこからタクシーで空港へ向かった。



                              (2)



 
 再び北の小さな漁港街を訪ねたのは五十日後だった。
 新しい店舗は十五日間の開店セールが終わった後も、順調な営業状態を保っていた。
 一日の終わりに送られて来る営業報告書には、予想以上の数字が記入されていた。
 期待と不安の中で毎日の数字に眼を凝らしていた息子も、一先ずの安心を得た様子だった。
 しかし、東京本社ではその間に一つの問題が生じていた。
 千葉県産野菜の供給を一手に引き受けている「松田農産物販売」が支払い条件の改定を求めて来ていた。
「はっきりした事は分からないんだけど、後ろで<ピノキオ>が突(つつ)いているんじゃないかと思うんだ。ひと月決済にしてくれって言ってるらしい。もし、それが出来ないんなら、他へ廻すって言われたって、中園が言ってた」
 支店廻りが無くてわたしが会長室に居た日に息子が顔を出して言った。
「それで、返事はしたのか ?」
「いや、まだ正式な話しが無いんで、そのままにしてあるんだけど、何れ来ると思うよ」
「松田農産への支払いは今も四十五日か ?」
「うん。ずっと変わってない」
「それで、要求を駄目だって言ったらやめるって言うのか ?」 
「うん」
 その問題は正式な申し入れがあった時点で会議に掛けられた。
 決済を三十日に短縮しても取引を続けるべきか ?
 わたしの意見は続けるへきだというものだった。
 社長としての息子の意見は、副社長のわたしの妻と同様やめても構わないというものだった。
「もし、一社がそうなれば、あっちもこったもという事に成り兼ねない」
 仕入れ担当の中園は取引続行を希望していた。
「大田市場でその分、揃える事は出来ないのか ?」
 息子は中園に聞いた。
「品物はなんとか揃えられるとは思うんだけど、寄せ集めという事に成り兼ねないので、品質や価格にばらつきが出ると思うんですよ」
 中園は言った。
 社長の息子はそれでも強気だった。
「大田市場の仲卸業者が今まで通りでやるって言うんなら、そっちへ移した方がいいよ。松田農産からは膨大な金額の仕入れをしているんだし、四十五日の支払いが三十日になったら金利だけでも相当な違いになる。それに後ろで突いていると思われる<ピノキオ>なんか、家(うち)の半分も仕入れが無い筈だし松田農産だって、そのうち分かるさ」
 息子のそんな強気の姿勢が又してもわたしに彼の祖父を連想させた。
 彼の祖父もまた、後(あと)へ引く事を知らない人間だった。
 その上、そんな父親をひたすら崇拝していたわたしの妻も今また、何事に於いても息子の意見に賛同している。
 義父と妻は正反対とも言える遣り方をするわたしをよく批判していたものだった。
「あなたはがそうして甘い顔を見せて譲歩するから、相手は強気に出て来るんですよ。もう少し、毅然とした態度を見せて呉れなくちゃ困りますよ。五パーセントの販売協力費だって、結局、削られちゃったじゃないですか」
 義父はかつて、買い上げ高の五パーセントを販売協力費の名目で仕入れ先に返還させていた。
 妻はそれを口にしたのだ。
 しかし、かつては通用した義父のそんな手法も最近の厳しい経済状況下では通用しなくなっていた。
「お義父さんのやっていた時と今とでは時代が違うよ。多少の譲歩をしても、こっちがやっていける限りはいろいろな方面と良好な関係を築いて置いた方がいい。いざという時の事を考えて置くべきだよ。何時、何があるか分からない」
 わたしは妻に言った。
 妻の後ろ盾を得た息子は依然として、松田農産との交渉には強気の姿勢を崩していなかった。
 わたしは北の街へ足を向けるまでの五十日間、四十日近くを支店廻りに費やしていた。
<マキモト>では四半期毎に支店長会議が東京本社で開かれたが、各支店の引き締めを図る為にはわたしの巡回もまた欠かせなかった。
 各支店の幹部の気持ちの入れ方が、わたしの訪問が有るのと無いのとでは大きく違った。
 わたしに見られているという意識が彼等の行動の励みになって、その評価が昇進に繫がる事を知っていたのだ。
 北の街の新店舗では相変わらず順調な営業が続いていた。
 支店長への評価は東京から目付の様な役割で送り込んだ川本部長も合格点を付けていた。
「なかなか良いと思いますよ。人間的にも真面目ですし、社長の眼に狂いはなかったですね」
 その支店長は、わたしが<サロン 青い館>の女、加奈子から聞いたロシアの漁船員達の話しは当然の事ながら知っていた。
 既に、彼等を呼び込む為の店造りも始めていた。
 現在は電気製品が主な販売品だったが、
「社長にも話したんですが、中古車なんかでもいい商売が出来ると思いますよ」
 支店長は言った。
 わたしの気持ちの中ではこの街へ来るに当たって、小さな葛藤が生じていた。
  日帰りにしようか、それとも一泊しようか  ?
  北の街には序でに足を延ばしてみるという、滞在を延長する為の口実になる店舗も無くて、東北地方から入ったその日のうちに東京へ帰る事は充分、可能だった。
 それでいながら、わたしの気持ちの中にはそれを素直に受け入れ難い、葛藤の様なものが生まれていた。
 それがサロンの女、加奈子に依るものかどうか、わたし自身にも判断が付き兼ねる程の小さな心の揺れだった。
 開店式に主席して東京へ帰ってからのわしは、多忙な日常の中で加奈子を思い出す事はほとんど無かった。
 似たような経験は過去にも幾度もあって、その街を離れると共に忘れてしまう事が多かった。
 もし、北の街での出来事がわたしの心に僅かでも小さな跡を残したとすれば、かつて経験した事の無い、加奈子という女の幼さから来るものに他ならなかった。
 それでも、わたしの心の中では物珍しさへの興味はあっても、心惹かれたという意識的なものは無かった。わたしは何時ものわたしに還っていたのだ。
 北の街へ向かう日の朝、わたしは妻に言った。
「東北地方を廻ってから行くので、二、三日係りになると思う
「会社へは ?」
「行かない」
「直接、向こうへ行くんですか ?」
「うん」
「孝臣は松田農産を切るらしいわよ」
「切る ?」
「ええ」
 初めて耳にする言葉だった。




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               桂蓮様


               久し振りの記事 面白く拝見しました
              修行と鍛える 微妙な違いはあると思いますが
              結局 修行も精神の鍛練という事で究極に於いては
              鍛えに 通じるのだと思います
               何れにしても 人間 精神も肉体も常に働かせていなければ
              衰える一方だと思います ですから ちょっとした不調なら
              薬に頼らず身体を動かす事によって治す様にしています
              痛みの出た膝も指圧などの方法を混じえてほぼ治しました
              ツボへの刺激 これは驚く程の効果をもたらします
              二 三日まえNHkでもツボ刺激の効果を放送していましたが
              眼を見張るものが有りました 
              母親の胎内で逆子だった赤ん坊が母親の足の小指に灸をする事で正常に戻り
              元気な誕生を迎えました
              西洋医学でもツボ効果は注目されている様です 
              どうぞ これからも薬に頼らず バレーという薬の下
              お元気でいて下さい
               家庭内のいざこざ ちょっと気に掛かる言葉です
              大事でない事を願っております
               冒頭の写真 相変わらず羨ましい風景です
              広々としたアメリカの環境にだけは何時も心惹かれます
              日本の秋は遅れていますが 一作夜 これもNHKで京都 嵐山の
              紅葉を放送していました それは見事なものでした
              日本という国は前にも書きましたが 国土的には宝石の様な国だと思います
              ただし 災害王国でもあります
              総て良し という訳にはなかなかゆかないものです
               どうぞ これからも 何事も無理をなさらず 
              良い日々をお過ごし下さい
              有難う御座いました




               takeziisan様


                日毎 駆け足し
               月日の巡るのは早いものです 今年もあと六十日足らず
               年齢と共に早まる季節の移り変わり
               若き日の頂上を目差した日々は終わり 絶壁断崖の待ち受ける
               行き止まりの世界が日毎に深く身に沁みて来ます
               谷川岳山頂の飲食 その爽快さが想像出来ますが それも過去の世界
               身につまされます
                ブールの閉鎖 今まで当たり前だったものが日毎に失われてゆく
               入れ替わりに立ち現れる世界は何処か馴染難い世界ばかり
               深まりゆく秋の気配と共に人生の秋の深まりも実感します
                隣家の庭で実る柿 柿は日本国中に見られる秋の風物誌
               美しい世界でもあります
                川柳はやはり何処かにピリリと利いた山椒の味が欲しいですね
               それも笑いという甘味に包まれて
               選者 実力を認められたという事ではないのでしょうか
               自分の作品も満足に創れない者が選ばれる筈がありません
               これからも楽しい作品をお作り下さい  
                日々の散歩にしてもプール通いにしても川柳創作にしても
               人間 何かをして常に動き 働いている という事が大切な事ではないのでしょうか
               使わない金属は錆び付いてゆく 人間も気持ちの持ち様一つだと思います
               どうぞ これからも良いブログをお続け下さい
               有難う御座いました
 


 
























































 

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