遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(370) 小説 十三枚の絵(7) 他 名経営者の言葉

2021-11-07 12:44:40 | つぶやき
          名経営者の言葉(2021.10.20日作)



 「 オムロン(旧 立石電気)創業者 立石一真さん
  京セラ創業者 稲森和夫さん
  二人に 経営の教えを乞うたが
  教えてくれなかった
  立石さんには
  まず 君の考えを言ってみろ 
  と言われた
  経営は理屈だけでは出来ない
  現場でいろいろ困難にぶち当たり
  答えを出してゆくしかない 」

  あばら屋工場から出発して
  一代で売り上げ高 1兆6千億
  世界一の総合モーターメーカーに育てた
  日本電産会長 永守重信氏の言葉
  禅の極意に通じる言葉
  禅は理屈ではない
  直覚だ と言う
  感覚 自分の感じるがままに行う
  理論 理屈は後から付いて来る
  理論 理屈より まず行動
  自身の体で知る 体得する それが
  何事に於いても肝要 肝心 最も 大切 重要な事





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          十三枚の絵(7)


 結城さんが亡くなってから森本が飼うようになったメリーも、森本の二頭の猟犬と一緒にわたし達に付いて来た。
 猟犬たちは久方振りの山歩きに興奮ぎみで、盛んに走り廻ってはキジやウズラなどを追い出した。
 北山は様々な雑木の密生した原生林と思われた。一面に繁茂した熊笹の中に野茨や蔓草、藤づるなどが絡み合っていて、歩行は困難を極めた。辰っあんの持参した樫の棒や大型ナイフが功を奏した。時折り、太陽の光りが樹々の間から洩れて来たが、全体的に鬱蒼とした感じで暗かった。
 道筋は緩やかな勾配を描いていた。一足進むごとに高みを辿っているという感覚だったが、わたしと森本は辰っあんが樫の棒やナイフを振るっては切り開いてゆく、その後に従って歩いていた。
「いったい、結城さんは本当に、こんな所にまで入って来たんだろうかね」
 森本が行程の困難さに辟易した様子で、思わずといった調子で呟いた。
 わたし達に背中を見せて歩いていた辰っあんは、
「さあ、なあ」就いて
 と言ったがその声も、さすがに息切れの色を滲ませて上ずっていた。
「この奥にその沼っていうのは、本当にあるのかね」
 わたしは汗にまみれながら、信じかねる思いで言った。
「あるっていうのが、村の中で信じられている噂なんだ」
 森本が息を切らしながら言った。
「どんな沼なんだろう」 
 疲労感に辟易しながらもわたしの興味は尽きなかった。
「いや、村ん中の年寄りでせえ、実際(じっせい)にはよぐ知んねえだよ」
 辰っあんは言った。
「昔、精米所の爺さんが、沼さ行って帰(けえ)らねがったこどがあったつうけっど、いぐら山ん中(なが)ば探しでもめっかんねえがったつう話しだ」
「今の親父の親父かい ?」
 森本が聞いた。
「そうだ。今の親父がまだ十二か十三の頃だっつうこった。今の親父だって六十にはなっぺえ。だもん、はあ、五十年近ぐも昔(むがし)のこった」
「その間、誰も沼に行かなかったのかね」
 森本が聞いた。
「行ったつう話しは聞いでねえ。第一、こんな山ん中(なが)、わざわざ苦労して来る事はあんめえ。沼の主が住むとがあんだとが噂ばする人間もいるもんでなあ」
「迷信なんだろう」
 わたしは言った。
「迷信だよ、迷信。そんなもん、居るわげあんめえ」
 辰っあんは明快だった。
 小高い山の頂に登るまでには一時間以上かかった。
 頂上に上ると暫くは平坦な地形が続いた。
 雑木の密生や熊笹の中に蔓草や野茨などが絡み合うのは、此処でも変わらなかった。積年の枯れ草や落ち葉の堆積で、足元が厚手の絨毯を踏締めるようにふわふわした。
 この山の中の何処に沼があるのか ?
 密生した樹々に覆われた視界の中ではすぐには信じ兼ねる思いがした。
 わたし達は長い時間の困難な歩行の後での疲れと共に口数も少なくなっていた。ただ、何時かは現われると思われる沼を脳裡に描いて歩き続けた。
「沼があるっつうんなら、そごだけは明かりいはずだがら、すぐ分かっぺえ」 
 辰っあんは迷いを見せなかった。
「そうだよな。樹々がないんだから、太陽の光りが見られるはずだもんな」
 森本が応じた。
 この北山が何処まで続き、その果てがどうなっているのかは、辰っあんにも分からないらしかった。
 わたし達は平坦な地形に出てからも三十分近くも歩き続けた。
 わたしは辰っあんとは違って、些かの疲労感と共になんとはない不安な感覚に捉われ始めていた。
「このまま歩いて行ってもいいのかね。それこそ結城さんじゃないけど、迷ってしまうんじゃないの ?」
「うん、そうだなあ」
 森本も頼り無げだった。
「ああに、大丈夫だよ。陽の光りの差し込みぐえば見れば、方角が分がっから、心配(しんぺえ)ねえよ」
 辰っあんは樹々の間から差し込む光りを仰いで言った。
「今、何時だ ?」
 辰っあんが森本に聞いた。
「一時三十分を少し過ぎた」
 森本が答えた。
 確かにこの巨大な樹々に覆われた西も東も判別し兼ねる空間では、唯一、太陽の光りだけが頼りに違いなかった。
 それから暫く歩いた時だった。
「ほれ、見ろ ! あすこだ」
 突然、辰っあんが指差して、わたしと森本を促すように言った。
 わたしと森本はその唐突さに思わず足を止め、辰っあんの指差す方角を見た。
 確かに、樹木の間に微かに透けて見える明るい空間があった。
「本当だ ! 」 
 わたしも森本も思わず言っていた。
「あれが沼だっぺえ」
 辰っあんは言った。
「そうだよ。沼だよ」
 森本が確信したように声を弾ませて言った。
「早く行ってみよう」
 わたしは急に湧き上がる元気な気分と共に言っていた。
 明るさはわたし達がいる場所から四、五十メートル程先かと思われる、やや左寄りの位置にあった。
 辰っあんは、今までより一層乱暴に野茨や蔓草などを切り払い、なぎ倒しながらどんどん進んだ。わたしと森本が後に続いた。
 ようやくの事で辿り着いた沼はだが、わたし達が想像していた程に立派な沼でも、大きな沼でもなかった。ごくありふれた平凡な佇まいを見せた沼だった。結城さんの絵からは想像も出来ない平凡さだった。
「なあんだ、思いの外、小さな沼なんだなあ」 
 森本が期待はずれの気持ちを露骨に滲ませて言った。
「うん、もっと大きいかと思ったよなあ」
 わたしも言った。
 沼は恐らく、直径五十メートルか六十メートルと思われる程の水面を見せて、ほぼ歪みのない円形に広がっていた。そして、わたし達はその淵辺に立って水面を見下ろした時、だが、思わず誰もが眼を見張ると思われるような驚きに捉われていた。
 さざ波一つない水面には沼の縁を彩る緑が、そのまま水の中に移動したかのように鮮明に映し出されていた。陸の上の景色がそのまま水の中にあるかのように見えた。わたしも森本も辰っあんもその鮮やかさにはしばし、言葉を失って見入っていた。
 暫くしてから辰っあんが、
「これは凄え。底まで見えるみてえだ」
 と、水底を覗き込むようにして言った。
「うん、凄い !」
 と、森本も言った。
「でも、どうして、こんな所にポツンと、こんな沼が出来たんだろう」
 わたしは言った。
「うん、そうだなあ」
 森本も言った。
「結城さんは、この沼を見て幻覚に襲われたんだろうか ?」
 わたしは理解出来ないままに言った。
「多分、そうだっぺえ」
 辰っあんが水面に視線を落としたまま呟くように言った。





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          桂蓮様
 
          有難う御座います
          新作のない時の何時もの逍遙 今回は
          未来の幸せ 過去の思い出 を
          拝見しました 以前にも拝見した記憶がありますが
          英文との合わせ読み 英文の素養がないため
          改めて 新鮮に感じられるのです
           それにしても 人との出会い 大切ですね
          良き人との出会い これに勝る人生の宝物は
          ないと思います 冒頭の写真 背後の人は人形
          ではないでしょうね ほのぼのとした気持ちで
          拝見しました 人の幸せな姿を見るのは 見る側も
          幸せな気分で包まれます
           バレーの練習 何事も無理は禁物 まず下準備
          大切な事ですね それにしても こうして打ち込める
          物があるのは好い事だと思います 何もする事のない
          人生ほど詰まらないものはありません どうぞ
          何時までも若々しく 頑張って下さい 人生
          頑張りばかりでも辛いですが 頑張る事の無い人生も
          また 辛いものです
           お忙しい中 わざわざお言葉を御寄せ下さり 
          御礼申し上げます 有難う御座いました



          takeziisan様

          有難う御座います 今回もブログ
          楽しませて戴きました
          鳴子温泉 今朝(11.7日)NHK 小さな旅で 鳴子温泉
          放送していました コケシ作りなども紹介しながら
          それにしても紅葉 見事です また 日光 ここも
          思い出深い場所です 昭和二十八年 修学旅行は日光で
          中禅寺湖を背景に全員で記念写真を撮りました また
          2010年10月には家族旅行もして 改めて当時を
          思い出し 懐かしさを覚えました 湖畔に一本の桂の樹
          があって 修学旅行時に校長先生が これが映画
         「愛染かつら」で有名な 桂という木だと教えてくれた事  
          を覚えていて 家族旅行で行った時 たまたまその木を
          眼にし 改めて感慨にひたりました 当時は細い木だっ
          たのですが 見上げる程の木になっていました なお
          わたくしのブログにも 中禅寺湖畔 桂の木 と題して  
          当時の事を NO157に掲載しました 
           ジャニ ギター 良いですね この曲 大好きです
          ペギー リー この気だるさ 甘さ ぞくぞくします
          この曲 ジャニ ギター と題されているので 初め
          旅のギター という意味かと思っていました それが
          何年か前 初めて映画 大砂塵 を見て 主人公
          ジョニーをテーマにした唄なのだと納得しました
          ジョニ ギターなんですよね ペギー リーの歌を
          聞いてもなんとなく ジャニ ギターと聞こえるので
          ああ そうか と思ったわけなんです 映画は
          ペギー リーの歌ほどの魅力はありません 
          わたくしには平凡な西部劇のようにか思えませんでした
           十三夜 榎本美佐江 久し振りにあの細い声 
          聴く事が出来ました わたくしの母などはこの人の
          大ファンで 末の妹の名前を美佐江とした程です
           その他 後追い三味線 の写真も出ていましたが
          この歌 あまり歌われませんでしたが 好きな歌の一つ
          です 都都逸 昔の風情はすっかり 消えて
          しまいました せめて公共放送のNHKは やたらに   
          民放番組の真似などせずに 地道にこういうもの
          薄れ 消えてゆく日本の文化の紹介 保持などに努めて
          貰いたいものです
           川柳はいいですね ユーモアに交えて皮肉が言える
          いいです
           人生 上り坂下り坂 悲喜交々 連れ添う人のいる
          幸せ 今 この時を大事にしたいものです
           様々なお写真 今回も楽しませて戴きました
           有難う御座いました