当年とって90歳。5年前は88歳だったのに、それ以降は成長が止まってしまったかのように遅い。家に閉じこもってずいぶん月日が経っていた。パイロット万年筆は出なくなって久しいし、万年布団、それと万年普段着はそれぞれ年季が入り穴が開いてしまった。いまどきツギをする人は滅多にいない。ツギは金蔵の友人俱輔丼、それと山もっちゃんくらい。
金蔵は重い腰を何とか重機で持ち上げてもらい、三十年ぶりに渋谷109に出かけた。すると数十年前とずいぶん変わった服装の人たちに出会い仰天。当時はパンタロンやロングコートの女性たちであふれていた。
「いらっしゃいませ」
若い女の子は異様なものを見るように金蔵を凝視した。それも下半身を。
「あ、ま、り、見つめないでネ。ふふ」
「……」女の子は踵を返した。
「ちょっと待って」
「はい、なんでごぜーましょ? パンツでもお探しなんですか?」と女の子が訊いた。
うん? パ、パンツ? 何ということを。このスケベ。驚いた。こんな若い女の子が異性(一応爺さんでもまだ男と思っている)に平気でパンツなんて言う。それも、ここは下着売り場じゃない。よくもまぁ、いけシャーシャーと。逆に金蔵の方が恥ずかしくなって顔から火が噴きはじめた。
「あ、の、ね、ねえちゃん。僕はブンドシ派。パ、パンツは穿かないんだし」
「はっ?」ーーなんだ、このジジイ。何言ってんの!このハゲ!
金蔵は、ニッと黄ばんだ歯を見せた。
「ところでこのズボン、ちょっと穿いても、いいかな?」
「いいともー! おじいさん、これパンツだけどね」
なんで、パンツと言うんだ。はっ! やっと金蔵は気づいた。数十年の間にズボンのことパンツというようになったのだ。
突然女の子は鼻をつまんだ。
「どうしたんだ、ねーちゃん」
「試着室はそこですから、早くー、シッシー」
追い払われた金蔵の背中が遠ざかっていく。それを確認した女の子はふーと息を吐いた。このジジイ。くせーんだよ。
数分後。
「ネエチャん、どう? このパンツ、いいんじゃねー、パンツパンツ」
「気に入ってくれたようですね。このパンツは特別でして、最先端の装置が施されています」女の子は、しかじかこうこう、延々と説明を始めた。「よし、決めた」
「パンツ買ってきたよ」妻に見せた。