ぐーちゃんgoo日記

ぐーちゃんgoo(倶輔丼)の独り言、つぶやき。

R4.10.29(土)暮れなずむ頃

2022-10-29 12:48:09 | Weblog

数日前の夕暮れ時だった。西の窓には真っ黒い富士山そしてその横には丹沢山脈が連なった姿が。

そんな残像の残る翌日、朝起きて窓外に目を向けた。

思わず息を呑んだ。そこに壮大で他を寄せ付けない景観があった。

一夜にして富士山は装いを冬の色に変えていた。

この日が初冠雪と思っていた。すると既に9月末に発表されていたのだ。

とはいえ全体的に白い鎧を被ったのはこの日が初だろう。

 

そういえば今、外国人観光客が多く訪れている。

ちょうどよかった。

日本の象徴富士の山を見るには今が最適、とくと鑑賞し堪能していってもらいたいものだ。

 

その日の朝は冷え込んだ。仕事に着ていく服装のことを考えた。

もう冬物のコートを着てもおかしくない。そう考えた。久しぶりにヴィンテージもの、デロリンマンコートを引っ張り出し羽織っていこう。その姿は、行き交う人に感動を与えるかもしれない。

 

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R4.10.10(祝)遠い昔のフォルム(2)

2022-10-10 17:51:26 | Weblog

物心ついたころ僕は西院の父の実家にいた。そこには祖父母、叔父叔母そして実の妹がいた。が、父と母はいなかった。しばらくすると妹もいなくなった。「みっちゃんが外に遊びに行っている間にお母さんがやって来てな、千砂子を連れてってしもうた」叔父さんがそう言った。

何が起こったのかわからなかった。それからいつまでたっても妹は帰ってこなかった、そして父も母も。

 

西院小学校二年が修了し三年生になる直前のことだった。

「今度みっちゃんはな、東京の親戚の家に行くことになった。向こうに行ったら河野の伯母さんがいるし、みんな優しくしてくれる。元気で頑張るんやで」どこか諭されるように叔母さんから言われた。河野とは父の姉の嫁ぎ先だった。

生まれてこの方京都以外に住んだことがない。慣れ親しんだ家そして祖母と叔父叔母それから仲の良かった友達、みんなと別れなければならない。自分ではどうすることもできない。大人の都合に従うしかなかった。

何と表現すればいいだろう、一言で言い表せないあらゆる負の感情が渦巻いていたように思う。

京都駅から祖母と一緒に蒸気機関車に乗った。平坦でない人生の始まり…………。

 

転向先は東京中野にある搭の山小学校といった。

京都弁しか知らない僕にとって初めに発する言葉はものすごい抵抗があった。好奇の目で見られた。しばらくは大人しくしていた。

「かまへん」→「いいよ」、「あかん」→「ダメ」、「ばば」→「うんこ」などなど初めはからかわれたりもしたがやがて徐々に友達もできていった。

近所の仲間との遊びは、ポコペン、缶蹴り、馬乗り、ワッカ、三角ベースの野球、結構京都とは違う遊びが多かった。

その年の冬、神田川の橋の上。5~6人でヒマワリという一種おしくらまんじゅうのような遊びをしていた。ところがその遊びの最中、僕が押そうと思った相手がかわしてよけた。すると僕は勢い余って鉄の欄干に向かっていった。額がもろにぶつかった。目から火が出た。痛いのと大流血に自身が驚き、伯母さんの家まで飛んで帰った。

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R4.10.1(土)遠い昔のフォルム(1)

2022-10-01 17:22:48 | Weblog

1973年の3月にバンドは解散した。

「じゃ、またな」

誰からともなく放たれた言葉は冬の虚空に吸い込まれていった。

この日を境に皆が各々の新たな道を歩みだす。

かつてあった熱い息吹は不完全燃焼に終わり名状しがたい思いだけが残った。その一方どこかさばさばした思いも生まれていた。

帰路に就くさ中、禁じられた遊びの曲が夜のはざまに聴こえてきた。中学生の時に買ってもらったガットギターでこの曲をよく弾いたことを思い出した。

禁じられた…遊び……か……。

 

小学校中学校と勉強もせず遊び惚けていた。危険な悪戯、いわゆる禁じられた遊びもいっぱいした。

遊び仲間三人がすぐ近くの西院春日神社に集まった。

京都の天神川に亀を取りに行った。ここは平地を掘りさげて周囲をコンクリートで固めて壁面にし淀川まで水を放流しようという水路のような役割の川だった。僕らは夢中になって亀やザリガニを取っていた。遠くで雷の音が鳴った。上を見上げると青々とした空が広がっていた。しばらくして水かさが急激に増してきた。やがて濁流となった川の水が襲ってきて危うく吞み込まれそうになった。間一髪だった。

その帰り道、土砂降りの夕立に見舞われた。

びしょびしょになった三人は四条通りを走るトロリーバスの停留所に雨宿りで入った。早くやまないかなーと空を見上げると真っ黒な雲の合間から青い空が見えた。それから少しして雨がやんでまたカンカン照りの太陽が僕らに降り注いだ。

 

阪急西院駅近くにトンネルがある。この時もいつもの三人だった。「電車が来るぞ」枕木で作った柵の陰に隠れた。通過した電車はトンネルの中に消えていった。そのすぐ後、線路の方に駆けていった。持ってきた釘を線路の上に何本も置いた。そこで10分以上待った。するとまた電車が近づいてきた。すぐ柵の脇に隠れた。電車がトンネルに消えるのを待って、線路の方に駆けて行った。大成功だった。何本もの釘がペッちゃんこになっていた。砕石の中にうずもれたものも拾い集め、先っちょを金づちで叩くと忍者の手裏剣が出来あがる。それを皆に自慢した。

本来三人の永遠の秘密だったこの出来事、遂にベールを脱いだのである。ジャンジャン。

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