久しぶりに尊台兄キン兄さんの話をしよう。彼が素晴らしいのは、誰もが認めるところ。老いることに何の疑問も抱かないし、抵抗もしないところ。そして僕が思うには、超ロマンチックなところかな?
そして彼は物持ちがとてもいい。何十年も前の腕時計を大切にしている。モノを大切にするという習慣は、戦後物資が枯渇した頃から始まった。彼はモノを大切にする超ロマンチック老人、いや若人!^ ^;;
街中で、ピアジェのような斬新なデザインの時計が1000円で売っている昨今。その方が、ずっと格好もいい。なのに、彼は拘る。今風の使い捨てという考えは彼には通用しない。歳をとると頑固になる。彼は僕ら若者たちの手本なのら^^ さらに、素晴らしい!と彼を褒め称えると、僕の頭を撫でてくれる。僕はそれが嬉しいのら^^
話を元に戻そう。たしか、武道館に行った翌日のことだ。傍にフサフサ頭のヨシノリがいたから、よく覚えている。僕ら2人は、兄キン爺さんの行動を眺めた。そこで、ふと思い出したことがあった。昔、よくジャイアント馬場にそっくりだねと、他人から誉められ、それを自慢げに僕に話していた。背が高かったのもそのときだけ、今は歳のせいで僕より低い。そんなことはどうでもいい。今回はこのことではない。
話を元に戻そう。時計のバンドは、時計にとっては必要不可欠なもの。人間でいうとまさに下着のようなものである。そのバンドを彼はかつてやっていたことがある。彼が38歳の時に始めたバンド。それも50年ほど前の話。そのバンドとは東京ロマンチカという。三条正人はかつての市原であって、彼は鶴岡雅義。たしか、僕はここにはいなかったと思う。
話を元に戻そう。何十年も前から穿かせ続けたその下着がボロボロになった。で、新調しよう、と彼は考えた。切れてしまったのか、もうツギができなくなるほど朽ち果ててしまったのか、心優しい僕は彼にその理由を訊かなかった。
きっとその下着を持ってくるのが恥ずかしかったのだろう。ま、言うなれば彼は、素っ裸のままの時計を持参したのだ。そして、ビックカメラの店員に呂律の回らぬ口調で「これに合うのわにゃいのきゃ?」と訊いた。
店員はまだ二十代半ばの青年。その時計が生産された時代には、まだ彼の両親すら決まっていなかったはず。流石にその店員もびっくり仰天。汚いものでも見るように、親指と人差し指でそれを挟み、離れたところに運んでそれを遠目にして見ていた。「もう、これに合う下着は生産してないですよ。一応訊いてみますが」悲しそうに言っていたのが印象的だった。
ダメだ。彼のことを書き始めると止まらなくなる。♪ロマンティック!止めて!♪こういう歌、あっただろ? だから、僕は、もうじき血圧を測り、風呂に入って、ドライヤーでフサフサの髪を乾かし、そして寝る。どうだ、まいったか?^^ZZZZZZZZ