南口にあるラーメン店「よってこや」。ここで昼食を終え店を出た。
コロナ禍になって新宿に来るのは久しい。少し時間があったので思い出となりつつある懐かしい場所を探索してみることにした。前回来たのは6~7年前くらいだったか? はっきりとは覚えていない。
まず「よってこや」の斜め前にある山田屋ラーメン。あれ? 山田屋がない。山田屋というのは、かつて新宿三丁目の「のっぽ」のすぐ近くにあった。それが6~7年前にここに移って来ていたのを初めて知ったのだった。だがその名前も大勝軒の名前に変わっていた。山田屋ラーメン、半世紀以上の歴史に幕を閉じたのだった。
歩を進めた。新宿中央通りに出た。ここで思い出すのは風月堂。ヒッピーのたむろ場所として名が通っていたを。しかし実際は芸術家や詩人、作家なども多くここで皆、憩いのひと時を過ごしていたという。以前ブログにも書いたがだいぶ前になくなっていて一旦三越になってそれから大塚家具になっていたのだ。今でも大塚家具は残っている。
珈琲らんぶるが見えた。ここも昔からあった。ちょうど風月堂の前にあって場所も変わっていない。店内のゴージャスな雰囲気は健在で外観もレトロ調で変わっていない。
サリーのバイト先だったDisk unionも健在だった。だがだいぶ規模も縮小されていた。サリーとは、僕の友達で苗字は沢田といった。顔がタイガースのサリー(岸部修三、岸部一徳)にそっくりなところからこういうあだ名がついた。
大塚家具の横の路地に入った。ここは僕が昔よく通っていた「プレイメイト」がある。思い出深いところだ。青春時代のひとコマはここにある。フーボー、タロー、サリー、写真家の大和田ヒデキ、学生の佐藤ひでき、まさみ、皆ここで知り合った。
前のブログにも書いたが、階段を降り二十扉の二つ目の扉を開けると、当時流行っていたサウンドが流れてくる。クール&ザギャング、サム&デイブ、オーティスレディング、テンプテーション等、ソウルありポップスあり。ないのは、交響曲、演歌、民謡、唱歌など。そんな狭い店内で汗を流し踊りまくる。ここは学歴不問。これが僕らの青春だった。
前回探索したときには、既に建物は解体されていた。駐車場のままだ。奥行き7m×幅2×8m=120㎡くらいの面積、40坪程?こんな狭かったんだ、と嘆息した。
明治通りと甲州街道の交差点の方に向かった。旧新宿アシベがあった松井ビル。ここは今でもあった。その地階はテナント募集中。
とりあえず、今回はここまで。次回は新宿三丁目、二丁目周辺へと。