丸井・マルイというと、今では知っている人の方が少ないのではないか。
昔は誰でも知っていた。僕の印象では、当時月賦という概念を初めて取り入れたのが丸井だった。
ここの歴史は古い。インターネットで簡単に調べれば一発で分かる。
初めは、当時名の通っていた丸井太郎が社長さんかと思っていた(笑)
1977年に池袋西口のマルイが開店した。そして今年2021年の夏、池袋丸井・マルイが閉店した。
実は、その半年ほど前久しぶりにマルイに行った。店内にGAPがあるのをこの時初めて知って二点ほど買った。そこで店員さんからマルイ閉店の話を聞いた。
1962~1963年ころ父がテレビと冷蔵庫を買ってきた。
貧乏だったから、へー、うちにこんな高価なものを買う余裕があったんだと、言わなかったけど内心そう思った。
実は後にわかったのだが丸井西新宿店で買ったということ。この時丸井・月賦という存在を初めて知ったのだった。
父は1963年に池袋西口の立教通りに面したところに会社を創業した。
池袋駅を降りて西口に出ると大きな通りが正面にある。そこを少し歩いて行くと大きな十字路にやってくる。その一角は建物など何もない空き地があって、その中にバッティングセンターがあった。後にそこに池袋の丸井が建った。
ある日、会社に行く用があってそのバッティングセンターの傍を通りがかった。その時その脇の小さな空き地に、50センチほどの茶色い小さな物体が目に入って何となく気になった。その時代は、街の美観などになかなかお金を掛けられない。おそらく至る所に廃棄された粗大ごみの一つだろうと思った。どうして気になったのか、それはそこに名状しがたい異様さを感じ取ったからだった。
無視することよりも好奇心が勝った。そっと近づいてみた。すると物体の中で何かうごめく小さな虫の群を見つけた。すぐに何かを悟ると目を背け後ずさりしそこを小走りで跡にした。
こんなエピソードのある空き地に、のちにマルイが建ちあがったのだった。
おそらくこのぞーっとするエピソードを知る人は、当時の役所の担当者と僕くらいだろう。
あ、今日は敬老の日だ。ヤバいね。こんな日記を書く人は間違いなく敬老の人だろうな(笑)^^