ぐーちゃんgoo日記

ぐーちゃんgoo(倶輔丼)の独り言、つぶやき。

H26.12.24.B級グルメ

2014-12-24 22:29:45 | Weblog

目の前にB級グルメ準優勝と書いた看板が立っていた。

ここはナポリタン専門のスパゲティ屋。最近よくこのB級グルメという言葉を耳にする。外から少し様子を眺めていた。あまり客は入って行かない。ということは、混んでいないということだ。入ってみようと思った。店は地下にあって階段の壁にはところ狭しと準優勝の時の写真が貼ってある。言ってみれば汚ならしい。降りると狭い中にテーブルが五つあった。一応二十人が座れる計算。六人が黙々と食べている。ナポリタンでも幾つか種類があった。ごく単純に「ナポリタン」を頼んだ。五分くらいでやってきた。フムフム!ん?暫し沈黙。お座なりな盛りつけを我慢する。麺にフォークを入れ、麺を巻くとソーセージ、タマネギがパラパラと落ちた。無視し、口に入れた。うむ。……。

柔らかすぎの感アリ。若者には向かないが、僕にはちょうどいい。モグモグ。ふとフォークを止めた。チト炒めすぎか? 麺が真っ黒なお焦げと化している。うむ!あの苦味が嫌いな小生、脇に避けた。結構な量になった。

結論、B級はやはりB級。KAGOMEケチャップの味がやけに効いていた気がする。それともキューピーか?特に隠し味的なものはなく、普通のナポリタンだった。

かつて『のっぽ』で小生が作っていた伝説のナポリタン。もしかして、その方が旨かったかもしれない^^

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H26.12.10(水) 緊急告知!潮時か「幕を下ろす」

2014-12-09 21:30:17 | Weblog

子夏が今年いっぱいで店を閉めるという話を聞いた。

驚きよりも、遂にか(でもよく頑張ったなぁ)というのが僕の印象である。

半世紀近くに亘ると言われ、改めて指を折ってみる。ふ~、嘆息する。

初代のママは、岸部一徳(サリー)の親戚で二代目アッコの母親。気風がよく度量があり、威風堂々とした貫禄と畏怖を兼ね備えている。当然ながら、銀座という土地柄からしてこれくらいのものを持ち合わせていないと商売はやっていけない。だけど、ひとたび仕事を離れると、すごく心優しく面倒見のある、冗談の面白くないナイスなおばさんだった。

子夏以外にも、新宿三丁目に喫茶「モナミ」を開店しその後喫茶「のっぽ」と名をかえ、副業としてもママは大成功を収めていた。その「のっぽ」に僕は面接に行って採用された。僕みたいなこわっぱをよくぞ拾ってくれたものだと思う。そして食事や住居等など(暗黙の了解?笑)いろいろと世話になったし、細かいことをくどくど言わない清水のおばちゃんと純子ママの懐の深さには、しみじみ感服させられた思いがあった。僕が辞めてから数年後に店を畳んだようだ。その後三和ゴールドという店が入った。切手や商品券、航空券等などを扱う店で、先日兄の金蔵とまことちゃんの三人で新宿三丁目で落ち合ったとき、ちょっと覗いてみると閉店という張り紙が貼ってあった。のっぽが閉店した後早々に入った店だから、ここは40年くらい経っていたことになる。

子夏は、いつのまにか娘のアッコが継いでいた。

本通りを一歩裏道に入るとそこは銀座特有の迷路のような路地。小さな店が点々と軒を並べるその先に子夏の看板を見つける。いかにも小料理屋といった名前だが、10人も入れば満員になる小さなカウンターバー。

チト大げさすぎるが、店の名が銀座の歴史に残ることはないだろうが、僕の心に残る一店が幕を閉じる。

いずれにせよ今年、懐かしさが二つ消えることになる。…………。

兄の金蔵に、忘年会をここで? というようなニュアンスで誘いをかけたが、「子夏は柿の種とピーナッツしかないから、忘年会にならないぞ」と返信があった。確かに、、、、、、。ここでは、アッコと内輪話に花が咲くとは思うが、まことちゃんは蚊帳の外で気の毒だ。

というわけで、今回この企画はボツとなった。

兄の金蔵は、前回暑気払いの時に入ったなんとかいう店の、中国小娘のことが頭から離れないのかもしれない。その店に、まんまと誘導されてみようかなと考えてみたのだが…。どうやら、さらなる彼の罠にはまったようだ。駄々をこねた彼は渋谷にしようと言い出したのである。彼が一番有利だ。僕ら二人は、終わった後果てしなく遠い埼玉県の僻地まで帰らなければならない。

でも僕は優しい。仙人になってしまった兄の金蔵を満足させたい。それに悦びを感じる僕は素晴らしすぎる。いやいや、そんなに褒めなくてもいい。僕はこれでいいのだ。

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H26.12.3(水)この時、メンバーは?

2014-12-03 21:48:57 | Weblog

1966年(昭和41年)のビートルズの初来日のときは、僕は学生。抽選だったにせよ、元々お金がなかったから行けなかった。

その後、ロックバンドのレッド・ツェッペリンが世界を席巻した。彼らの来日は1971年9月。だがその二か月前の7月17日、あるハードロックバンドが来日した。その名はグランド・ファンク・レイルロード。彼らは、どこか野暮ったくてベタ。

現在は屋根付きドームだが、当時は屋外の後楽園球場。日本初のハードロックバンドの来日という前宣伝よろしく、超満員と化していた。

こういった大きな会場でライブを見るのは初めて。球場に入る寸前から、気持ちは高ぶっていた。しばらくして、彼らが特設ステージに現れた。生で見そして聴く、このハードロックに熱狂し酔いしれた。さらにこのとき、自然界の粋な演出があった。突然、ヒョウの混じる大豪雨がここを襲ったのである。それでも演奏を続ける彼らに、興奮は頂点に。その彼らのエネルギーが僕に乗り移らないわけがない。やがて彼らの音楽の虜になる。

カラダ全体がシビれ誰彼かまわず笑顔を振りまいたのを今でもよく覚えている。

ふと思った。この時アルファードのメンバーが傍にいたのかいなかったのか、影が薄くどうも思い出せないのである。

 

懐かしいころを思い出して書いてみた。

え~、このころを知ってる? ということは、僕の年齢は? 計算すれば判るさ。5歳の時に観に行ったと仮定すれば、そう今38歳だよ^^ ま、こんなこと取り上げても何も面白くもない^^

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