子夏が今年いっぱいで店を閉めるという話を聞いた。
驚きよりも、遂にか(でもよく頑張ったなぁ)というのが僕の印象である。
半世紀近くに亘ると言われ、改めて指を折ってみる。ふ~、嘆息する。
初代のママは、岸部一徳(サリー)の親戚で二代目アッコの母親。気風がよく度量があり、威風堂々とした貫禄と畏怖を兼ね備えている。当然ながら、銀座という土地柄からしてこれくらいのものを持ち合わせていないと商売はやっていけない。だけど、ひとたび仕事を離れると、すごく心優しく面倒見のある、冗談の面白くないナイスなおばさんだった。
子夏以外にも、新宿三丁目に喫茶「モナミ」を開店しその後喫茶「のっぽ」と名をかえ、副業としてもママは大成功を収めていた。その「のっぽ」に僕は面接に行って採用された。僕みたいなこわっぱをよくぞ拾ってくれたものだと思う。そして食事や住居等など(暗黙の了解?笑)いろいろと世話になったし、細かいことをくどくど言わない清水のおばちゃんと純子ママの懐の深さには、しみじみ感服させられた思いがあった。僕が辞めてから数年後に店を畳んだようだ。その後三和ゴールドという店が入った。切手や商品券、航空券等などを扱う店で、先日兄の金蔵とまことちゃんの三人で新宿三丁目で落ち合ったとき、ちょっと覗いてみると閉店という張り紙が貼ってあった。のっぽが閉店した後早々に入った店だから、ここは40年くらい経っていたことになる。
子夏は、いつのまにか娘のアッコが継いでいた。
本通りを一歩裏道に入るとそこは銀座特有の迷路のような路地。小さな店が点々と軒を並べるその先に子夏の看板を見つける。いかにも小料理屋といった名前だが、10人も入れば満員になる小さなカウンターバー。
チト大げさすぎるが、店の名が銀座の歴史に残ることはないだろうが、僕の心に残る一店が幕を閉じる。
いずれにせよ今年、懐かしさが二つ消えることになる。…………。
兄の金蔵に、忘年会をここで? というようなニュアンスで誘いをかけたが、「子夏は柿の種とピーナッツしかないから、忘年会にならないぞ」と返信があった。確かに、、、、、、。ここでは、アッコと内輪話に花が咲くとは思うが、まことちゃんは蚊帳の外で気の毒だ。
というわけで、今回この企画はボツとなった。
兄の金蔵は、前回暑気払いの時に入ったなんとかいう店の、中国小娘のことが頭から離れないのかもしれない。その店に、まんまと誘導されてみようかなと考えてみたのだが…。どうやら、さらなる彼の罠にはまったようだ。駄々をこねた彼は渋谷にしようと言い出したのである。彼が一番有利だ。僕ら二人は、終わった後果てしなく遠い埼玉県の僻地まで帰らなければならない。
でも僕は優しい。仙人になってしまった兄の金蔵を満足させたい。それに悦びを感じる僕は素晴らしすぎる。いやいや、そんなに褒めなくてもいい。僕はこれでいいのだ。