中野坂上に住み始めたのは、僕が小学校三年の時。京都の西院小学校から転校してきた。
お昼前仕事場を出た。ポツリと雨が僕の頬を濡らした。一瞬迷いった。テレビの降水予報は18:00から。それに賭けた。 延期すれば行くのがいつになるか判らない。初志貫徹。
新宿でメトロに乗り換え中野坂上に着いた。そこに方南町行きの電車が停まっていた。
高校生の頃、新宿区に住んでいた僕は、新大久保から新宿経由で中野坂上に。そしてこのローカル線に乗り換えて方南町まで行っていた。思い起こせば半世紀以上前だ。
この日は中野坂上駅で降りた。目と鼻の先に高層ビルが現れた。変わったな、というのが第一印象だ。過去の中野坂上を知っている人は、このあまりの変貌ぶりに驚くに違いない。青梅街道に面していた山本洋品店も細野の寿司屋も跡形もない。
山手通りを新宿方面に渡り東中野方面に向かって歩いた。覚えのある角に来た。距離感が前と違う。更に道幅もかなり狭い。子供の頃と大人になってからの体格の差が、そういう錯覚を生むのだろう。
新宿方面に向けて歩を進めると坂にやってくる。この辺りは、再開発を逃れた地域だ。かつて右には味噌屋跡の荒れ地があってその奥には防空壕があった。子供の頃、その防空壕探検に行った。さすがに今ではここにマンションが立ち並んでいた。普段の自分の速度より、ゆっくりと歩いた。十字路にやって来た。懐かしい名前が眼前に現れた。小淀。小淀東通り。まだ名残があるんだ。ノスタルジックな思いが胸に広がる。今は、小淀町ではなく本町と変わっていた。
この角を左に折れる。かつてここにはヒロタのシュークリーム工場があった。のんびりと歩を進めると、……まさか! サインポールが見えた。床屋さん! まさか、石野理髪店か? 近づいていった。マジか。あのころのまま営業している。ここの近くにあった宗広薬局がない。浅見菓子店も米田建設も山内クリーニング店も、三井物産の宿舎もない。小淀診療所の名前が突然でてきた。まだあったんだ、ここは。驚きを隠せなかった。僕はある事情でここで診てもらったことがなかった。別の意味でよく覚えている。
そうこうしているうちに、善福寺川まで来てしまった。この川の麓には丸十のパン屋さんがあって、食パンにあんこ入りにしてもらったサンドイッチが大好物だった。でも、めったなことでは買ってもらえなかった。少し高かったから!^ ^;;
来た道を戻った。神田川を新宿区に渡る橋。伏見橋を見つけた。僕はおしくらまんじゅうをしていてこの欄干に額をぶつけ大出血の大けがをした。勿論、そんな時も医者に行けずタオルをおでこに巻き徹底して止血してもらい事なきを得たことがあった。
僕が4~5年住んでいた家も既になくアパートに変わっていた。
藤田の家はあった。更に東京電力の重役の娘と噂されていた大谷の家もまだその場所にあった。
帰りに中野区立十中に寄ってみた。十中は61年の歴史に幕を閉じ工事中だった。角の中華屋さんに入って四川麻婆豆腐丼を頼んだ。
ま、僕の歳など拘らなければ、少しはこの日記も読めるだろう。ある老人の他愛もない思い出話。
僕の年齢は? まぁまぁ。(笑)