『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
岡田准一起用で時代劇継承の可能性を示した
『蜩ノ記』
名台詞は↓
「心を変えることができるのは、心をもってだけだ」
by戸田秋谷(役所広司)
詳細はこちら↓
http://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/970929
名画投球術 No6.「史上最低の映画が観たい」エド・ウッド
「どんなひどい映画でも必ず何か一つは見どころがあります。それはストーリーとは直接関係ないシーンかもしれない、または脇役、小道具、なんでもいいんです。とにかく自分で見付けることが大切なんです」とは、私たちが“迷作”と出会ってしまった際の淀川長治先生からのアドバイスだ。
ところが、そんな苦しい見どころすら持たせない映画を作り続け、“史上最低の映画監督”と呼ばれた男がいた。エド・ウッドことエドワード・D・ウッドJr.である。
ほとんど忘れられた存在だった彼に光を当てたのは、ティム・バートン監督が撮った伝記映画『エド・ウッド』(1994)。(作品の出来はともかく)映画作りに狂気的な情熱を注ぐエドと仲間たちの姿を、時におかしく、時に悲しく、愛すべき存在として描いてみせた。
おかげで今日、私たちはエドの迷作群をDVDなどで目にすることができる。ただし寛容な心と忍耐力が必要だが…。
エラー 『グレンとグレンダ(1953・米)』
精神科医が語る女装マニア、グレンの日常とは…。自身女装癖があったエド・ウッドの監督デビュー作。ダニエル・デイビス名義で自らグレンを演じているほか、当時の恋人ドロレス・フラーを恋人役に起用するなど、公私混同、“私映画”的な要素が強い。
往年のドラキュラ俳優ベラ・ルゴシの出演を条件にプロデューサーを口説き落としたエドの執念は買える。ただしルゴシが演じる「人間の運命をつかさどる聖霊?」の姿が、ストーリーとは無関係に何度も挿入され、しかもカメラの位置が一定でないため、語り部たる精神科医がいったいだれに語っているのかよく分からない。
おまけにエドとドロレスの稚拙な演技! 見ているうちに頭が混乱してくる。本人は「女装は悪くない」と言いたかったらしいのだが…。
凡打に打ち取ったのに次々と野手にエラーされる投手の心境が味わえるかも。
パスボール 『怪物の花嫁(1955・米)』
放射能によって人間を強化する実験を密かに行うマッド・サイエンティスト。その研究所に紛れ込んだ女性記者の運命は…。1950年代に乱造されたチープなSFホラー映画の1本。
エドの目の付け所は悪くない。ただしまたも私たち観客は肩透かしを食らう。マッド・サイエンティストを演じるベラ・ルゴシの大げさな演技とほかの素人同然の出演者たちがまったくかみ合わないし、意味不明なシーンやセリフが飛び交う。なぜ? どうして? の連続。
おまけに見せ場とすべきワニや大ダコが登場するホラー・シーンはほかの映画から拝借。アメリカではB級、C級を遥かに飛び越えて“Z級映画”の評価? を得ている。
ワイルドピッチ 『プラン9・フロム・アウター・スペース(1959・米)』
地球に無意味な戦争をやめるように忠告しに来た宇宙人。だが聞く耳を持たない人間たちに激怒した彼らは、ゾンビを使って地球を征服する最終計画「プラン9」を実行に移す。
映画にも文法というものがあるとすれば、エドはそれをまったく無視している。否、本人はそれに気付かずに撮り続けたのだろうか。この作品もアラを挙げればきりがないのだが、本来コメディー映画として作られたものではないだけに笑うに笑えない。
一言で表現すれば、「妙な」「変な」世界にずるずると引きずり込まれていく感じがする。
次々に投げ込まれるエドの暴投を受けてみる勇気ある捕手=観客は存在するのか? 同種の名作とされるロバート・ワイズ監督『地球の静止する日』(1951)と見比べてみるのも一興だ。