『明日を夢見て』(95)(1995.12.25.ヘラルド試写室)
1953年シチリア。ある田舎の村にやってきたジョー(セルジオ・カステリット)は、自ら映画プロデューサーを名乗り、中央広場にテントを張り、カメラを構え、俳優の新人オーディションを行うと大々的に宣伝を行う。
オーディションに参加するには 1500リラが必要だという。村中大騒ぎになり、人々は「夢」を求めてオーディションに参加し始める。だが、実はジョーは詐欺師だった。
言わずと知れた、あの『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)を撮ったジュゼッペ・トルナトーレの新作。今回も、彼の映画(フィルムというべきか)への偏愛に満ちた、ノスタルジックでイタリア色の濃厚な映画に仕上がっていた。そして音楽は、またも見事なエンニオ・モリコーネだった。
ただ、トルナトーレは、自分よりも4つほど年上なだけだから、『ニュー・シネマ・パラダイス』もこの映画も、生まれていない時代の話なのだが、そこに実に巧みに創作とシチリアの風景を盛り込んで、不思議なうその世界を作り上げている。
そして、前作の『みんな元気』(90)が、小津安二郎の『東京物語』(53)的だったのに続いて、この映画はフェデリコ・フェリーニの『道』(54)の影響がうかがえる。
その意味では、まだ先人のものまねの域を出ていないとも言えるが、かつてピーター・ボグダノビッチが示したような、映画好きの気持ちがストレートに伝わってくる映画だという見方もできなくはない。
ただ、一つ心配なのが、トルナトーレの今後についてである。彼にもやがては基になった映画を感じさせない、“独自の映画”を撮る時がやってくると思うが、その時、あまりにも過去の映画にとらわれ過ぎた結果、その反作用として、ボグダノビッチのように萎えてしまわないかということである。
そこを見事に乗り切れば、その時こそ、監督ジュゼッペ・トルナトーレの名が過去の映画から解放され、独自のものとして認知されるはずだ。そういう映画も見てみたい。
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