田中雄二の「映画の王様」

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渡辺武信 その2『映画的神話の再興 スクリーンは信じ得るか』

2024-12-26 12:51:37 | ブックレビュー

『映画的神話の再興 スクリーンは信じ得るか』(未来社・1979)

1.夢の再確認
夢の再確認-ロベール・アンリコ『ラムの大通り』
夢として語られる無垢の憧憬-ジョン・ヒューストン『ロイ・ビーン』
古典的夢とその回帰-『カサブランカ』『カサブランカ』に憑かれて
映画を包む至福の闇-フランソワ・トリュフォー『アメリカの夜』
青春映画の内にひそむ映画論的構造-羽仁進『午前中の時間割』

2.夢からの覚醒-痛ましき覚醒者としてのピーター・ボグダノヴィッチ
ある至福の時の終り-『ラスト・ショー』
爆笑に隠された映画的憧憬-『おかしなおかしな大追跡』
映画はただの映画じゃない-『ペーパー・ムーン』
六000本の映画を見た男-ボグダノヴィッチ論

3.アクション映画の啓示性
アクションの啓示性-『ダーティハリー』『フレンチ・コネクション』
ヒーローとは暴力に病んだ者の呼名か?-サム・ペキンパー『わらの犬』
鮮烈な暴力と甘美な叙情-サム・ペキンパー『ガルシアの首』
銃声と流血の中に香る感傷-ジョン・ミリアス『デリンジャー』
血まみれのアリスの悪夢-マイケル・リチー『ブラック・エース』
ギャングたちの野獣的精気-テレンス・ヤング『バラキ』
死によって報われる自己愛-ドウチオ・テッサリ『ビッグ・ガン』
男たちの死闘をおおう組織の影-マイケル・ウィナー『スコルピオ』

4.日活アクションの残照  
あるプログラム・ピクチャーの終焉-ダイニチ映画の崩壊に想う
算出された映画・日活ニュー・アクション-文芸座の四0本連続上映を見ながら考える
遊戯による存在の挑発-藤田敏八論
アクションによる空間の蘇生-長谷部安春論

5.任侠・また旅映画の崩壊
任侠映画の閉鎖性と視覚性-山下耕作『博奕打ち・総長賭博』の回顧上映
任侠映画の変質と退潮-石井輝男『現代任侠伝』加藤泰『日本侠花伝』
侠花は還らず 加藤泰『昭和おんな博徒』加藤泰『日本侠花伝』
股旅映画に希望はあるか-中島貞夫『木枯し紋次郎』
世界の寒さの中で若者たちはくたばる-市川崑『股旅』
サムライ的自己完成への西欧的視点-シドニー・ポラック『ザ・ヤクザ』

6.ぼくたちにとって映画とは何か

装丁、絵:和田誠


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