『JFK』(91)(1992.7.3.丸の内ルーブル)
近代史における暗殺は、洋の東西を問わず不可解さと陰謀のにおいを含んでいる。特に暗殺された人物が、もし生きていたら歴史は変わったかもしれないと思わせるほどのインパクトの持ち主ならなおさらである。この映画が描いたジョン・F・ケネディなどその最たる人物だろう。
そして、悪い意味で60年代にこだわり続けるオリバー・ストーンがそこに目を付けるのは必然で、その意味では作られるべくして出てきた映画であり、相変わらずうるさくて押しつけがましくて高圧的という、ストーンの悪癖は改まってはいなかった。
とはいえ、ケネディの暗殺事件自体がすでにミステリーとしての要素を十分に備えているのだから、何も3時間以上も高説を垂れる必要はなく、もっと絞り込めば傑作足り得たかもしれないという気もする。
そこで浮上してくるのが、今では全く無視されている『ダラスの熱い日』(73)の存在である。あの映画が初めてリー・ハーベー・オズワルドの単独犯説を覆して見せてくれたのだし、この映画のように主義主張を述べることもなく、実に淡々と事件に関する一説を示してくれたのだから。
つまりは、しゃべり過ぎ、情報過多は、使い方を間違えると、かえって本質から遠ざかってしまうとい典型がこの映画だったのではという気がするのだ。
ところで、ラストのケビン・コスナーの大演説は、エイブラハム・リンカーンの名せりふを引用したりしたものだから、何だかフランク・キャプラの『スミス都へ行く』(39)のジェームズ・スチュワートの姿が重なって見えて、甚だストーンらしくないと思いきや、やはり苦いアンハッピーエンドになっていた。
これはストーンのひねくれと言うよりも、アメリカそのものの病の深さ、時代の移り変わりが如実に表れた結果なのかもしれないと思った。
ドナルド・サザーランドは、謎のX将軍を演じた。クレー・ショー役のトミー・リー・ジョーンズ、オズワルド役のゲーリー・オールドマンらと並んで、その怪演が記憶に残る。
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