『フック』(91)(1992.8.10.日本劇場)
マギー・スミスはウェンディ・ダーリング役
ピーターパン・シンドロームと揶揄され続けてきたスピルバーグがついに撮った本物のピーターパン映画。だが志向的には甚だピーターパン的であった『未知との遭遇』(77)や『E.T.』(82)を超えてはいなかったし、アクションの面白さから見ても「インディ・ジョーンズ」シリーズには及ばない。
贔屓目に見ても、スピルバーグの力量低下やアンブリンプロ製作映画のマンネリ化は否めない。こうなると、スピルバーグもジョージ・ルーカスのように、プロダクションを作った時点で監督ではなくプロデュース側に回った方がよかったのかもしれないと思えてくる。
なぜなら、彼はもはや若いうちに自らの映画的な夢は達成してしまったのだから、あとは何を撮っても、かつての栄光と比較されてしまうからだ。
もちろん、ルーカスとは違い監督にこだわり続けるスピルバーグの方に好感は持てるのだが、そこに何らかの新味がなければ観客は離れていくだろう。今日のように、彼の映画をガラガラの客席で見るのはつらいものがあった。
とはいえ、百歩譲ってこの映画を弁護すれば、この、大人になってしまい、夢と現実のはざまで悩むピーターパンこそ、スピルバーグ自身の投影なのではないか。そしてこの直球ではない、変化球ピーターパンこそ、彼の映画をピーターパン・シンドロームと揶揄する世評に対する彼流の答えなのではないかという気もする。
この映画が彼のピーターパンに対するエンディングであるならば、それを乗り越えたところで、新たな展開に移行する可能性も大いにあるのだ。
【今の一言】今から思えば、この頃のスピルバーグはスランプ期だったと思うが、それを見事に乗り越えて、いまだに現役の監督であり続けているのだから感服する。
『天使にラブ・ソングを…』(92) 修道院長
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/e18d403aa1902cfed9b1d5bce3adef04
『天使にラブ・ソングを2』(93)
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『ハリー・ポッターと賢者の石』(01) ミネルバ・マクゴナガル先生
『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(07)
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