硝子戸の外へ。

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改めて、なぜ「老害」と呼称されるのか考えてみる。

2023-02-04 20:43:09 | 日記
時頼、高齢者の人を「老害」と呼称する場面をみかける。

これは、今に始まったことではなく、時代に関係なく、高齢者は事あるごとに「老害」と呼称され蔑まれていたように思う。
僕自身も、そろそろそちら側の人になりつつあるので、なぜ、老害と呼称されてしまうのかを改めて考えてみた。

これは、あくまでも僕個人の感覚なのですが、残された時間も体力も失いつつある高齢者が「俺を失望させるなよ」という自分本位な視座から、時間も体力もある若者に対して、「失望させてしまう立ち居振る舞い」をするのだから、軽んじられてしまうのではないかと思う。

時間と若さという普遍的な格差の前では、どうすることも出来ない事を理解せず、感情の赴くまま発言し、聞く耳持たぬを貫き通そうとするのだから弊害が生じてしまう。

幾つになっても「俺からの信頼を無くすな」を通すのではなく、幾つになっても、若者から自然に「信頼される」人であれば、「老害」等と呼称されたりはしないのだと思う。

と、言いながらも、「偏屈」だから、あと数十年もすると老害と呼ばれてしまうのかもしれない。(笑)