

■本能寺の変!■
こんにちは。
受験シーズンなので
受験勉強の日本史インスパイア。
本能寺の変!
本能寺の変!

(画像提供:matome naver)
本能寺の変の後
豊臣秀吉がどう動いたかを思い出してみると。
就活のヒントにもなるのではないかな。
★★★定期更新は★★★
今年も原則週1回(土)+増刊で予定です。
◆2016年スタート◆
★★★☆☆☆☆★★☆☆
■秀吉の行動力■
本能寺の変の原因には
いろんな諸説があります。
ただ秀吉の取った行動については
はっきりしていますね。
※※※※※
信長が本能寺で光秀に討たれたのは、天正十年六月二日の明け方、その知らせが秀吉の許にもたらされたのは翌三日の夜、まったく思いもかけぬ大凶変だった。
秀吉は本能寺の変をきくや否や信長の死を秘したままただちに毛利方と和睦の交渉を開始し、四日、高松城主清水宗治を切腹させ、その日のうちに和睦の誓詞を毛利と交換し、五日、高松城を受けとって籠城の兵を毛利方へかえし、半日の間に数万の味方の退陣を指揮号令し、六日午前二時にはもう馬首を東に向け居城姫路に向かって走り出している。
十一日尼ヶ崎着、中一日おいた十三日山崎合戦で光秀と激突、一気に蹴破って戦勝をおさめた。
迷い、まどい、決断を変えたら後日の秀吉はない。
※※※※※
邑井操「決断の法則」三笠書房から
本能寺の変の情報が届いてから
十日間で光秀を討った秀吉の行動力に注目しよう。
十日間というのは「現代の感覚でいえば十時間くらい」(渡部昇一)らしいよ。
■情報の受け手の想像力■
秀吉の行動力についての解説です。
※※※※※
問題は、「信長殺さる」という情報を得ていたのは、秀吉だけではなかったことである。
第一報が秀吉のところに届いたのとほぼ同時期に、越中にいた柴田勝家や上州にいた滝川一益をはじめ、織田家の主だった武将には同じ情報が届けられている。ところが、このなかで「今ぞ!」と思ってすぐに行動を起こしたのは秀吉だけで、他の武将は右往左往するだけだった。
同じ情報を同じ時期に入手しても、受け手である人間の能力によってこれだけの違いが出てくるわけである。
※※※※※
渡部昇一「指導力の研究」PHP文庫から
戦国時代の武将のエピソードは
仕事の世界でもよく使われるから
知っておいて損はないと思うよ。
『同じ情報を同じ時期に入手しても、受け手である人間の能力によって違いが出てくる』
今の時期、就活生は少なくとも
同じ情報を同じ時期に入手できる段階にあります。
あとは
すぐに行動あるのみだから
リズミカルに体を動かさなきゃ、ね。
来月からどんどん具体的な準備をしていこう。
みなさんを応援してます!!

2016.1.30
★★★定期更新は★★★
今年も原則週1回(土)+増刊で予定です。
◆2016年スタート◆
★★★☆☆☆☆★★☆☆

