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3月31日をメモしておこう!◆いつか振り返る事もあります◆

2010-03-31 11:08:37 | 日記
こんにちは。

先日、東京駅近くでお客さんと待ち合わせしていたら
SUPANDA(すっぱんだ)とサイパンダという
パンダキャラに遭遇しました。

同じパンダでもいろんなパンダがいますね。
今日は3月31日、明日から新人が入社して
それぞれの社会人生活がスタートするのを連想しました。


日記でもブログでもいいので「今日の日」を
書いておくと人生のメモリアルになりますよ
ではいきます。


◆3月31日を本にメモしておけば


私が最初に入社した会社の本社は名古屋にありました。入社式前日の
3月31日に東京から新幹線に乗って名古屋に向かいました。
その車内で、読んでいた文庫文に、なにげなく

1991年3月31日(入社式前日の新幹線の車内)

とメモしてみました

「社会人に生まれ変わる、出産直前の記念日」の感覚です。

この本には、その後「退職の日」や「転職した日」など
いろいろな節目に思い出したように日付を記入して今も続いていますよ


この日は何の日なのかというと、
人生とキャリアの出発点なのだと思います

4月1日では遅いので、今日の3月31日を記憶していくのがいいですよ。
なぜなら今日までが友人との最後の日なのだから!

◆後戻りなしの「鳥のひな」


3月31日までは学生にとっ友人同士は
お互いが「鳥のタマゴ」に見えてます。

大きさや色は違うのですが、基本は「鳥のタマゴ」なので
アヒルのタマゴなのか鷲のタマゴなのかは見えてきません。

4月1日から「タマゴ」のカラが割れてくるので
そこで初めてアヒルのひな鳥なのか鷲のひな鳥なのか
才能や個性や性格の片鱗(へんりん)が見えてきます。


タマゴ同士なら付き合えますが
アヒルと鷲ならどうでしょう?

鳥の個性や特徴がはっきりしてきたら、だんだんと「タマゴの付き合い」は
できなくなってくるのです。


◆「タマゴの付き合い」から「鳥同士の付き合い」に


「タマゴの付き合い」というのは学生感覚と言い換えてもいいでしょう。
アヒルでも鷲でも、タマゴなら一緒なんですよね


それが社会人になったら一緒にはならず、カラが割れた瞬間から
・アヒルはアヒル同士
・鷲は鷲同士
同じような感覚を持った仲間にしか寄り付かないようになります。


これは案外、社会人になっても気がつかないことが多くて、
卒業してもお互いが「タマゴの付き合い」感覚の意識でいるうちに

なんだかすれ違うよね・・という寂しさを抱え込む人もいます。

アヒルだと思った相手は、実は社会に出たら鷲になったんだ。
その逆もあるのです。
こういう予測は知恵として理解しておくのがいいかと思います。


◆自分はどの「ひな鳥」なのだろうという問い


3月31日のタマゴラストの日には
未来への期待も不安もありますよね

自分がどの「ひな鳥」なのだろうかという問いを今日は
考えてみたら面白いですよ。
その想像をメモして書いてみてもいいです。

明日から生涯にわたって出てくる自分の「鳥」としての
個性・能力・役割を想像し、もしそれがぴったりするなら
スタートは順調なのかもしれません


自分はいったいなんの「ひな鳥」なのだろう?

これをいつでも考えておく訓練こそ
人生の荒波を乗り越えていくときの武器になります。


アヒルでも鷲でもダチョウでも白鳥でも
それぞれにふさわしい個性・能力・飛び立つ空間はあるはず

力強く羽ばたく準備を今日のうちにね!!

ではまた

キャリア教育が来年春から大学に義務化◆やっと来ました♪

2010-03-30 10:47:51 | 日記
こんにちは

2011年春から、全国の大学・短大に「キャリア教育」が義務付けられることが決まりました。文部科学省の「就業力」向上5ヵ年計画の柱となるようです。

私自身は、7年前に大学で携った仕事がようやく実を結んだような感慨があります

ここからインスパイアでいきますね。


◆武蔵野大学キャリア開発プロジェクトから

平成15年度の文部科学省「特色ある大学教育支援プログラム」第1回公募で
キャリア教育分野で採択されたのが武蔵野大学キャリア開発プロジェクトです。

この仕事に携ったことが、私の今の仕事(トータル・ライフ・コンサルタント)
の源流でもあります。


キャリア教育というのは簡単にいうと
「卒業後に必要な社会人・職業人としての基礎的な資質・能力の育成」
をめざすものです。武蔵野大学(平成15年当時)のキャリア開発概念図では

・職業観・勤労観の涵養
・職業に必要な知識・技能の習得
・主体的に進路を選択する能力・態度の育成

の3つが柱になっていました。
今の時点で考えて、とても先進的・画期的な取り組みをしていたと思います。

こうした武蔵野大学などの先進的なキャリア教育事例が、当時から
大学教育全体の改善へつながることが期待されていたのです。

そういう意味では7年越しですね。
キャリア教育の大学必修義務化の先鞭(せんべん)の一翼を担った
武蔵野大学関係者の皆さんの努力に敬意を表したいなと思います


◆大学の「教養科目」としてのキャリア教育を



キャリア教育、というのは就職指導のノウハウだけではありません。
キャリアと人生を生涯にわたってささえる「教養」という部分も
大切に考えたいと思います。

今、40代以上の社会人であれば大学時代には「一般教養科目」を
学んだ経験がありますよね

当時パンキョウという呼び方をしていたと思います。

でも30代以下の大学での学びの記憶は変質していますよ

1990年代の大学改革で、「一般教養科目」というのは
事実上壊滅してしまいました

大学設置基準の緩和として「教養科目は各大学で自由に学ばせる」
ということが、いつのまにか「無駄な一般教養科目を廃止」という
ことで風潮になっていきました。


一見ムダな教養も、長い人生では武器になるものです。
教養教育がなくなってしまったら
人は簡単に人生をあきらめちゃうような気がするのです


「キャリア教育」が人生を生きていくための基礎教養として
義務化されるなら大賛成です


◆実務においてキャリアと人生を伝えたい。


大学の職場から離れて、今の私は実際にキャリアと人生の途中にある人たちを
トータル・ライフ・コンサルティングしています。
こういうのは車の両輪です。

大学で学ぶことと、社会で実践していくこと。

これから社会に入る皆さん、社会人の人生は今までの人生より長いですから
しっかり道を踏みしめていきましょうね

ではまたっ

人には役目あり◆ライトハウス社長、皆川一さんとの対話から

2010-03-29 11:17:50 | 日記
こんにちは。
先週の金曜日、ラジオ日本「ハッピーデイズ」(1422KHZ:毎週土曜日7:00~7:35)のメインパーソナリティ若尾裕之さんからのご紹介で、株式会社ライトハウス社長の皆川一(みながわはじめ)さんとお会いしました。


どんな人でしょう。
皆川さんは1957生まれ。キーワードは
・自殺未遂
・自己破産
・借金
・会社倒産
を乗り越えて「七転び一起き」で「何か」をつかんだ人です。


「何か」とは「何か?」

という部分でインスパイアして書いてみますね。


◆他人への限りない興味関心の度量


皆川さんの多忙なスケジュールの中、夜の8時から1時間ほど会社で時間を頂けることになりました。

経営者というのは何の目的もなく(無意味に)人と会うことはありません。そういう部分で見てみると、皆川さんは「他人への限りない興味関心が豊富」な度量があるなあと思いました。

会話の中で感じた部分をまとめてみます。


◆七転び一起きの人生から



「七転び一起き」
皆川一著 2009年 角川学芸出版

皆川さんの人生でキーワードに示した体験が書いてあります。

文章のリアリティと個性について、皆川さん本人との会話で納得した部分があるので「経営者の自伝によく見られる作為的なストーリー」ではないのだな、ということが理解できました。


◆経営者だけに課せられる孤独な戦い


せっかく壮絶な人生体験をしてきたはずなのに
その経験値を有効活用できない経営者も過去には事例があります。

例えば人材業界でかって有名だったG社やF社の経営者の自伝を今読み返すと
「人を信じることや社会のルールを守ることの大切さを身をもって体験」
しているはずでした。

両社が躓いたきっかけは法令違反や裏切りでした。


経営者というのは宿命的に波乱万丈の人生経験にさらされます。

「俺はものすごい試練を与えられて乗り越えたんだ」

というのは
・経営者ではない人
・これから経営者を歩もうとする人
に確かに福音になります。

しかし同じ体験を乗り越えた経営者同士には、またさらに弛みない研鑽を積まないといけなくなる孤独な戦いがあるようです。


◆これから人生を歩む福音としての「七転び一起き」


最初にかえりましょう。

「七転び一起き」で皆川さんが掴んだ「何か」

「何か」とは「何か?」


自分の体験を伝えることによってできるだけ間違いのない人生を
同じ失敗を繰り返させないという使命感に裏打ちされた

メッセンジャーの役割
ではないかと思いました。


あとから続く20代、30代への人生啓蒙という部分では
皆川さんを先達とし、私も同じ役割にたつものです。


◆段階に応じた人生の峻別(しゅんべつ)競争にむけたチャレンジ


皆川さんのこれまでの人生経験は
キャリアと人生の問題解決のヒントを我々に提供しております。

同時に皆川さん自身には今後、まだまだ厳しい
「経営者同士の人生経験の峻別(しゅんべつ)競争」
を孤独に戦うようです。


人生経験や学びには、成長段階別の目標クリアがあるようです。
20代~30代には皆川さんクラスの人生の知恵の獲得が目標となり

皆川さんクラスになるとさらに60代~70代経営者からの
悟りの獲得が目標になってきます



成長段階は違いますが、私も皆川一さんもまた皆川さんを紹介いただいた若尾裕之さんも
それぞれの領域で

キャリアと人生の問題解決のヒントを提供する仕事を
しているものなのかなと思っています。


それでは新年度に向けて
よいスタートを

菅家利和さん足利事件の冤罪から◆調書は「主観的な作文」

2010-03-26 14:03:31 | 日記
こんにちは。

足利事件の菅家利和さんが冤罪で無罪ですね。

17年間の服役というテーマは重いものですが
「キャリアと人生」という視点では重要ですので
インスパイアで書いてみます。
(今日は長文になります)


私の視点は、冤罪を含めてすべての出来事の中に

人は真剣に間違えることがある

というものです。
客観的な事実として先に書いておきます。
それではいきます。


◆私も調書を作られました


犯罪容疑者や犯罪被害者が、事件について取調室で
述べる事件内容を記述した「調書」というものが

かなり独特な主観的作文であることを見てみましょう。
見るというよりも実際に体験しましょう。

私も作られたことがあります。
(もちろん犯罪者ではないですよ)
貴重な体験からどうそ


◆取調室に入る私


以前、ある事件に巻きこまれた「被害者」として
警察署の「取調室」で一日中、刑事さんと対面した事があります。

「被害の事実を聞いて調書を作るから来て欲しい」
ということで警察署に行きました。


本当に「取調室」はドラマのセットそのままでした。
狭い部屋の中に

・机と椅子
・机の上にはライトスタンド
・刑事さんと対面


5分もしないうちに

「なんだか私は実は犯罪者で、これから取り調べが始まるんだ!」
という雰囲気になりました。

そう、取調室というところは
「心理的に追い込む見事な舞台装置」なのだと実感しました。


◆アウェイにおける真実と事実の乖離


サッカーの試合でいうと完全なアウェイです。

同じ実力のチームでもホームとアウェイでは
アウェイは不利です。

これは理解しなきゃ!


たとえ「真実が一つ」であっても、
その主張はアウェイでは
「不利という事実」があります。


◆事実は捻じ曲げられやすいもの


私が実際にこの時体験した「事実の捻じ曲げ」
というのは

警察は自分が犯罪被害にあった心理状況を
「勝手な言葉で勝手に置き換えていくもの」
ということでした。

そして
「勝手な言葉」
というのは
「調書作成」の形式的な文言(もんごん)
があるみたいということです。


具体例で言うとね。

私→そのときはたしか「嫌な気分」だったんです。
としゃべったのに

調書→私はそのときに「調子が悪い」状態でした。
とさせられました。

しゃべった言葉のニュアンスを調書の文体に整える
作業段階で勝手に変換されてしまうので「嫌な気分」でした・・


嫌だった、という気持ちの表現が伝わらずに
調書では
調子が悪い、という機械の不具合のような表現になるので

ここからもう
「調書」は警察の主観で勝手に表現されちゃうものなのだ
とイメージできました。


◆まるで自分で書いたような作文になります。


調書は控えを貰えません。
対話しながら、刑事さんが作成した文章を一方的に読み上げて
「これでいいよな」と一行ごとに確認させられます。

ここでの反論はしずらいです。
前に書いたようなアウェイ状態ですよ。


形式はまるで小学生の作文で、単純に書くと


私は○○と申します、生まれは○○年で・・

の自己紹介からはじまり、


○月○日、このような事件に遭遇しました。
(事件のあらまし)

最後の言葉は決まり文句のように

このような事件を私は絶対に許せません。
刑事さんどうか犯人を捕まえてください。


で終わってました。

あくまで私の記憶の範囲からなのでご了承ください。


こんな内容であれば、自分で文章作成したほうが早い。
そして自分の感情をはっきり主張できます。

なぜこんな形式になっているのかは疑問ですが、
長年の慣習で成立した独特の文章体なのは確かです。


◆想像するのは動機解明という観点から


調書がまったく客観的な事実記載であるなら問題ありません。
犯行日時・手順・被害額・などの部分はそうでしょう。

食い違いが生じる部分はたいてい
犯行や犯罪被害などの心理動機の記述にあります。


以前、ライブドア事件の堀江貴文が調書にサインをしなかった
時に「事件を起こしたのに往生際が悪い」という意見もありました。

調書作成の実態を知っていると、たしかに
「おれの言ったこと(特に気分や動機の心情)が書いていないじゃいか!」
という堀江貴文の主張には一定の理解ができました。


◆人は真剣に間違えるもの


私の体験談ですが、刑事さんが後日
「調書の文字を打ち間違えたから訂正したいので印鑑持ってきてくれ」
と言われて持っていきました。

取調室で

調書を取り出し、罫線引いて訂正箇所に印鑑を押してその脇に
「○○字削除、○○字追加」(だったかな?)と
丁寧にペンで楷書していました。

公的な書類なので仰々しい訂正スタイルですが

なぜか
「真面目で几帳面な作家が一生懸命に作品を作っている」
ようにも見えました。


最初の事実にたちかえりましょう。

人は真剣に間違えることもあります。



冤罪は被害者にしても苦しみですが
調書作成の警察官、検察官、司法関係者すべてが
職務に真剣であるがゆえに間違ってしまうこともあります。


私の被害の犯人もいまだに捕まっていません。
(時効にはさせませんよー)


◆真剣に間違えるほどの真剣さをキャリアと人生にこそ


いろいろな人生経験から思考を繰り返し

そのなかで皆さんに
キャリアと人生の問題解決のヒントを
つむぎだせるようなブログを
これからも書いていきますね。


新年度を来週に控えて

これからも
どうぞよろしくお願いします。

よい週末を

統計調査は数字をよーく眺めよう♪◆統計でウソをつく法から

2010-03-25 21:47:26 | 日記
こんにちは

今日の東京は冬に逆戻りの寒さの中で
卒業式の袴スタイルの学生さんを大勢見かけました

就職難を象徴するような冷たい雨の中でも
希望は捨てずに前に進みましょう!

さて昨日は
就職内定率などの統計調査データについて
「信用はほどほどに!」という内容を書きました。

その続きにもなりますが
いきます。


◆1968年に出た統計学の古典的な本です。

「統計でウソをつく法~数式を使わない統計学入門」
講談社ブルーバックス
ダレル・ハフ 著 高木秀玄 訳

1968年に出て以来、隠れたベストセラーです。
この本にはちょっと思い出があります。


私は文学部の出身なので経済学は全然勉強しませんでした。
大学を卒業する時、慶応出身で商社勤務の兄から

「おまえ、文学部出身なんて会社では使いものにならないぞ!」
と言われて
「せめてこれで勉強しなさーい!」
と渡された経済関係の本の中の一冊なのです。

取ってはみたものの、
しばらく全然読む気はしませんでした。

◆読んでびっくりの発見


数年後に転職して大学勤務になった時
就職データの分析業務をやることになって

そういえばこんな本あったよな~
と思い出して読み出したものです。

読んでびっくり。
読むのが遅すぎました。
早く知っていたら良かった世の中のカラクリです。


◆統計はウソをつくもの?

本に出てくる事例は古いので
今では時代遅れのたとえ話もありますが
この本の一番のポイントを一つあげると


調査統計はウソをつけるものである。
それを知っておけばウソを見つけられる。

という基本的なしくみであって
これこそ情報社会で必要なリテラシー(読み書き)
の古典だなと思ってます。

まだ本屋さんにはあると思います。
新書版なので1時間もあれば読めます。
読んでみてくださいませ♪


◆5つのポイントがあります


私のおすすめの圧巻は
ウソを見破る5つのポイントです。

その1)誰がそういっているのか?(統計の出所に注意せよ)

その2)どういう方法でわかったのか?(調査方法に注意せよ)

その3)足りないデータはないか?(隠されている資料に注意せよ)

その4)いっていることが違ってやしないか?(問題のすりかえに注意せよ)

その5)意味があるかしら?(どこかおかしくないか?)


統計だけじゃなくて、いろいろなものの見方にも応用できますね♪


今のような情報社会では
物事を分析するのに詳細なデータを瞬時に集められます。
そこから出てきた数値はいかにも正確なように思えます。


細かい数字、半端な数字、客観的なデータ。
それでも人間の判断処理が加わるとかならず
なにかおかしい部分もあるものです。


◆単純に信じたり疑うのではなく、「考える」訓練を


古い本でも役にたちます。

物事には原理や原則があるもので、そこから必要な判断を
下す訓練をしていけば、いたずらに世の中の
マスコミ報道に自分の生き方が左右されずに済みそうですよ。

単純に信じたり疑うのではなく、「考える」訓練を

ではまた