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こんにちは。
慶應義塾図書館旧館
先日、仕事で慶應義塾大学・三田キャンパスを訪問しました。
就活では有利とされる慶應義塾大学の就活状況から
いろんなヒントを書いてみますね。
★★★定期更新★★★
5月・6月も週2回(水・日)予定です。
★★★☆☆☆★★★
◆就職状況改善傾向
※※※
学生部就職・進路支援担当によると、昨年度慶大学部卒業者・修士修了者8147人のうち就職者は5462人で69.2%、院進学者は1232人で15.6%となった。就職率は一昨年度の66.8%と比べ、2.4%の増加。
就職者の半数以上である2872人が、3人以上の慶大生を採用するほどの規模の企業に就職した。これは一昨年度比155人の増加。
(データは3月31日のもの。就職率・進学率ともに進路未報告者を除いた数値)
※※※
慶應塾生新聞2012年5月10日から
記事による慶應卒業生の就職先上位5社は
1.三菱東京UFJ銀行(121人)
2.みずほフィナンシャルグループ(84人)
3.慶應義塾大学病院(76人)
4.三井住友銀行(55人)
5.野村證券(51人)
3位の大学病院を除けば、金融関係に強いことがわかります。
慶應のOBには、銀行に入行してエリートとして出世した人がたくさんいます。
そういう先輩たちを見習うのもかまいませんが・・・
同じOBなら、ぜひオススメの人物がいます。
慶應義塾の学生でなくても、この人物をちょっと目標にしてみよう。
◆宝塚を育てた男~小林一三(こばやし・いちぞう)~
※※※
甲府の大地主の跡取りに生まれた一三は、慶應大学を出て三井銀行に就職した。
当然、三井銀行の幹部候補生の一人だった。
(しかし上司の勧める縁談を断って、一三は愛人の芸者と結婚した)
上司の心証を著しく害し、信用第一の銀行員として、『業務に不適格、成功見込みなし』との大きな判を体中に貼られたようなものだった。
※※※
田中孝顕『ナポレオン・ヒルの成功哲学日本編』騎虎書房1991年から抜粋
※※※
地味な銀行員生活とは肌が合わず、銀行員として落第だった。
たまたま大阪支店長岩下清周が三井を辞めて大阪で北浜銀行を創設、その参加事業に参加を求められて小林は直ちに三井銀行に辞表を出し、家族と共に大阪へ出かけた。
だが、岩下の失脚、北浜銀行の破綻で彼は浪人となり、貧窮生活を味わわねばならなかった。
※※※
邑井操「器量をつくる」PHP文庫1986年から抜粋
小林一三はこの後、阪急の前身の有馬箕面電軌の専務を皮切りに、宅地開発・ターミナルデパート・宝塚少女歌劇など伝説的な事業を次々と立ち上げます。
『彼は銀行家では失敗し、事業家では成功している。』
『人には向き、不向きがある』
(邑井操)
~・~・~
彼が普通の慶應の卒業生ならば銀行の上司を頼り、
慶應出身者の狭い社会の中で生きることしかしなかったであろう、と言われています。
一三が自分の意志で愛人と結婚したのは
譲れない自分自身の価値観があったのだとも言われています。
安定した銀行員を自ら辞めて、さらにまったくのゼロから出発し
奇抜なアイデアを武器に大活躍した小林一三のスタイルのほうが
本来の慶應の塾風なのかもしれないよね。
~・~・~
◆小林一三の起業家精神を生かそう
さて、知り合った現役の慶應の学生たちで小林一三のことを知らない人が多かったので
少し残念。
彼が銀行から飛び出して、さらにゼロになって
そこから再出発したのだという事実を覚えておこう。
同じ状況で、きちんと這い上がることができる慶應OBが
今の銀行にはどのくらいいるのだろう。
そして慶應以外の学生にとっても就活のヒントになると思うよ。
内定した企業名だけで一喜一憂しても意味はないんだ。
内定して、入社してからあとの仕事で本当に勝負がついてくるんだ。
ということで★
福澤諭吉先生
6月の更新予定も原則として毎週水・日です。
ではまた☆
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先日、仕事で慶應義塾大学・三田キャンパスを訪問しました。
就活では有利とされる慶應義塾大学の就活状況から
いろんなヒントを書いてみますね。
★★★定期更新★★★
5月・6月も週2回(水・日)予定です。
★★★☆☆☆★★★
◆就職状況改善傾向
※※※
学生部就職・進路支援担当によると、昨年度慶大学部卒業者・修士修了者8147人のうち就職者は5462人で69.2%、院進学者は1232人で15.6%となった。就職率は一昨年度の66.8%と比べ、2.4%の増加。
就職者の半数以上である2872人が、3人以上の慶大生を採用するほどの規模の企業に就職した。これは一昨年度比155人の増加。
(データは3月31日のもの。就職率・進学率ともに進路未報告者を除いた数値)
※※※
慶應塾生新聞2012年5月10日から
記事による慶應卒業生の就職先上位5社は
1.三菱東京UFJ銀行(121人)
2.みずほフィナンシャルグループ(84人)
3.慶應義塾大学病院(76人)
4.三井住友銀行(55人)
5.野村證券(51人)
3位の大学病院を除けば、金融関係に強いことがわかります。
慶應のOBには、銀行に入行してエリートとして出世した人がたくさんいます。
そういう先輩たちを見習うのもかまいませんが・・・
同じOBなら、ぜひオススメの人物がいます。
慶應義塾の学生でなくても、この人物をちょっと目標にしてみよう。
◆宝塚を育てた男~小林一三(こばやし・いちぞう)~
※※※
甲府の大地主の跡取りに生まれた一三は、慶應大学を出て三井銀行に就職した。
当然、三井銀行の幹部候補生の一人だった。
(しかし上司の勧める縁談を断って、一三は愛人の芸者と結婚した)
上司の心証を著しく害し、信用第一の銀行員として、『業務に不適格、成功見込みなし』との大きな判を体中に貼られたようなものだった。
※※※
田中孝顕『ナポレオン・ヒルの成功哲学日本編』騎虎書房1991年から抜粋
※※※
地味な銀行員生活とは肌が合わず、銀行員として落第だった。
たまたま大阪支店長岩下清周が三井を辞めて大阪で北浜銀行を創設、その参加事業に参加を求められて小林は直ちに三井銀行に辞表を出し、家族と共に大阪へ出かけた。
だが、岩下の失脚、北浜銀行の破綻で彼は浪人となり、貧窮生活を味わわねばならなかった。
※※※
邑井操「器量をつくる」PHP文庫1986年から抜粋
小林一三はこの後、阪急の前身の有馬箕面電軌の専務を皮切りに、宅地開発・ターミナルデパート・宝塚少女歌劇など伝説的な事業を次々と立ち上げます。
『彼は銀行家では失敗し、事業家では成功している。』
『人には向き、不向きがある』
(邑井操)
~・~・~
彼が普通の慶應の卒業生ならば銀行の上司を頼り、
慶應出身者の狭い社会の中で生きることしかしなかったであろう、と言われています。
一三が自分の意志で愛人と結婚したのは
譲れない自分自身の価値観があったのだとも言われています。
安定した銀行員を自ら辞めて、さらにまったくのゼロから出発し
奇抜なアイデアを武器に大活躍した小林一三のスタイルのほうが
本来の慶應の塾風なのかもしれないよね。
~・~・~
◆小林一三の起業家精神を生かそう
さて、知り合った現役の慶應の学生たちで小林一三のことを知らない人が多かったので
少し残念。
彼が銀行から飛び出して、さらにゼロになって
そこから再出発したのだという事実を覚えておこう。
同じ状況で、きちんと這い上がることができる慶應OBが
今の銀行にはどのくらいいるのだろう。
そして慶應以外の学生にとっても就活のヒントになると思うよ。
内定した企業名だけで一喜一憂しても意味はないんだ。
内定して、入社してからあとの仕事で本当に勝負がついてくるんだ。
ということで★
福澤諭吉先生
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