
山口・広島の県境には小瀬川、木野川と呼ぶ人もあるが、1級河川が流れている。この最下流に架かる橋を栄橋と呼ぶ。橋は国道2号線を兼ねており、幹線道路として重要な役目を担っている。1942(昭和17)年に建設されたが老朽化には勝てず、地震など災害時の安全問題なので架け替えが行われ、30日の通勤時間帯から開通するという。
栄橋は勤務していた工場そばに架かっている橋。工場は小瀬川の両岸にあり仕事はもとより、私用でもお世話になった。しかし、コンクリートはひび割れ、欄干は鉄筋が露出したり傾いたりと痛みの酷さを感じていた。工事は迂回用仮り橋と工事用橋の設置、旧橋の撤去、新橋の建設と大がかりだ。私の定年前から準備は進んでいた。
新しい橋が完成したというので、通りかかりに足を止めて開通直前の様子を眺めた。取り付け部分の道路は改修工事が進んでいたが見違えるように変わっている。今では当たり前だが橋には右折レーンもあり歩道も広くなっている。車も人も気持ちよくなるだろう、そんなことを思っているうち、ふと、この橋のすぐ上流は四境戦争(第2次長州征伐)芸州口戦いの地であることを思いつき、その昔の境界・国境超えの難しかったことを、自由に往来できる現実と比べ維新から150年の時間を感じる。
国境越えといえば島国の日本では想像できない難問題が起きている。中東の地で、望まない戦争に巻き込まれ困難に陥った人らが戦火を避けて故国を捨て居住地外へ移動するときに起きる国境超のトラブル、ポピュリズムの台頭などで一層困難になっている。安心して住める安全な場所を何とかならないのか、報道を見るたびに為政者へ願うこのごろだ。
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