
「誰にも見られず四辻へ歳の数だけ豆を置くと願いがかなう」。子どものころ祖母から教えられた節分のまじない。
子どものころ住んでいた古い家並みの集落には1カ所だけ四辻があった。その翌日の朝、路上で冷たい一夜を過ごした願いを込められた包みが幾つも幾つも並んでいた。それを踏まないように学校へ行った。
戦後の混乱がようや落着きを見せ始めたころ、そのころの人はどんな願いや夢を持っていたのだろうか。食料や平和、子らの幸せなど、当時の必死に働く大人の生活を思い出すと、華やかさは無かったろと思う。
そんな中で、誰がどんな願いを包み込み、人目につかぬよう暗い辻に置きに来たのだろう。そんな思い出の辻は道幅の広い明るい交叉点になり、当時の面影は微塵ほどもない。
わが家の前の小さな辻、毎年、数個の包みがある。それを見るとなぜかほっとするのは古い人間かも知れないと思いながら、どこの誰が何を、と続けて思う。今朝、朝刊と一緒に福豆が1袋届いた。販売店さんの心づくしだが、辻に置くにはもう1袋ほしい。
(写真:新聞販売店心づくしの福豆)
「四つ辻に歳の数だけ・・・」始めて知りました。へぇ~、やってみようかな。
やはり先人の知恵、風情がありますね。
節分巻き寿司はいつごろからでしょうか。豆まきして、いわしに柊(ひいらぎ)の枝を刺して入り口にぶら下げておいたことがありますが。
春の足音が聞こえてくるようです。
それは知りませんでした。
うちの地方では、
年の数だけ豆を食べると
良い事があると、聞かされてきました。
今日は神社の節分、豆まきに行ってきました。
すごい人でびっくり!
花水木。ありがとうございました。m(__)m
ゆっくり読ませていただきます。(*^_^*)
是非、人に見られないように四辻へ出向いたください。きっといい年になります。
わが家の前の小さな辻にでも包みを見ますが、今年はどうでしょうか。
鰯とヒイラギ、幼いころはそれしかなかったですね。豆を食べるのはやはり楽しみでした。
四辻へ豆を置いた経験は・・・。
辻に置く豆、エッセイの題材になるかな、など考えていました。