
先日、山越えの道で車を運転しているとき、乾燥注意報の出ている日だったということもあり火事かと疑うような煙がもくもくとのぼっているのが見えた。運転しながらこの時期だから野焼きかもしれない、そう思いながら走る。しばらくして、小山のように積まれた雑草からの煙だった。
あれだけの煙を街中に近い菜園で出したらお咎めを受けそうだと思いながら、のどかな風景だと見ながら通り過ぎた。子どものころには珍しくない田畑の光景だった。核家族化を始めとする社会構造の大きな変化が田畑を宅地化させ、のどかな風景を押しやり、移り住んできた人らの住環境を守っている。
散歩道のひとつに菜園の続く個所がある。最盛期に比べればその面積は大幅に減少し、雑草や雑木が茂り見通せない個所もある。耕作されているところは冬料理には欠かせない生き生きとした葉物が育っている。そんな畑の傍に何個か廃ドラム缶を利用した焼却炉がある。ドラム缶には通風孔がある。どれも異なった切り口だが、ちちょっとした芸術風でいい。これなら安全に焼却できる。
我家も今の所に移り住む前に背戸で廃ドラム缶に穴を開けゴミを燃やしていた。ゴミは隣の山や植木などから庭に散りおちる木の葉を集めたものだった。特に竹の葉が散る光景は風流だが、濡れると掃けなくなる。毎日毎日、朝に夕に妻と母の仕事だった。ドラム缶を使えば安全に燃やせる、これは経験から言える。秋日を浴びているそれはかなりの年代物、ご苦労さんと声をかける。