あるみまんの本日の修行

競技者としては引退しましたが、
楽しく完走する為には、
まだまだ修行が足りません、
楽しみのために日々修行です。

ダイアリー1994

2005-07-28 | ダイアリー
前年の暮れに、グローバル協会より湘南ハーフ年間ランキング入賞の知らせがあり、
トロフィーと表賞状が送られてきた、今回は年間順位12位であった、これは嬉し
かっ
た。これならと思いびわ湖の申し込みを決めた。ちなみになりすけ君は8位、6位に

には現在強豪選手の一人のT辺A志氏の名前がある。

1月 館山若潮マラソンに出場。翌日に歯痛を覚える、やがて激痛に変わり歯科医へ
行くが、治療は出来ず、応急処置後、医師が言うことには「口腔外科へ紹介状を書
く」との返答。何かすごいことになってきた、翌日紹介状を持って新横浜労災病院の
口腔外科へ、レントゲン検査の後「含歯膿胞」と言う病名を言われ緊急の応急手術を
された、歯を歯茎でカットされ、歯茎に膿を出す穴をあけられる、口の中が膿だらけ
になるが痛みは治まった。その後CTI検査など経て膿胞摘出手術は2ヵ月半後であっ
た。

2月 負荷心電図をとる、この頃びわ湖は、申し込み時に負荷心電図検査の診断書を
添付しなければならず、ここで既にふるいに掛けてていた模様である(1通1万円)
私はフィットネスクラブの友人から座間の「浅利クリニック」を紹介され、ここは,
健康診断としてやってくれていた為、保険がきいて¥5000でOKであった。M村事
務長様ありがとうです。

3月 佐倉朝日健康マラソンに出場する、相変わらず歯茎には穴が開いていて、給水
のたびに口を濯ぐので、完走タイムは悪い、クリームパンはしっかり食べた。30日

滋賀県庁より「アイアンマン・ジャパン・イン・びわ湖」の選考通知が届く、、「選
考され
ました」の文字があった、嬉しかった!!ようやくスタートラインがみえた。

4月 びわ湖に向けて練習を強化するも19日に「膿胞摘出手術」を控えており思い
切りはできない、一晩入院か、外来でするかどちらでも良いといわれ、入院費をケ
チって
外来でしてもらうことにしたが、後で大変後悔した。後悔の内容はご想像にお任せす
る、、、、、この頃、前年日産でデビューした山形のG藤T郎氏(ハート・ヴューの
チームメイト)が、かわいい嫁さんを連れて山形へ帰った、今でも季節にはさくらん
ぼが届く
良い仲間を持ったものだ。 術後の経過もよく水泳以外は4日目よりOKが出たので
練習を再開するが、ずーと違和感を感じていたバイクポジションに結論を出す。26
インチに乗り換えることにした、この頃の自転車はミヤタの27吋フルカーボンフ
レーム
にオール105組みであったが、サイズが530mと私には20mも大きいフレーム

DHポジションを取ると背中が痛くなった。新しい自転車はキャノンデールR700にほと
んどアルテグラをチョイス、STIレバーだけは重量と引きの軽さで105をチョイス
した、日石のカーボンデープリムを決戦ホイルに練習用にはサンのエアロWOリムを、
サドルはセライタリーターボマチック2でしめて¥?0万であった、当然ローンを組
んだ、、、、

5月 半ばに新しい自転車が出来た、同じ日に新しい「ハート・ヴュー」も新装開店
して
お祝いに行く、H野氏(店長)とは長い付き合いだ、大事な仲間の一人である。
最終の日曜日に、スイムを抜いてバイク&ランで230kmのチャレンジをした、今
から思うとばかげているが、当時はどうしても距離に対する不安が拭いきれず、こん
なことをして自信を付けたのだと思う、内訳はバイク200km+ラン30kmで、
バイク6:30
ラン2:36で走った、翌日地獄を体感したが自信にはなった。後日K松崎氏に話し
たら、「馬鹿なことしましたね」と一蹴された。「半分の距離もしくは時間差でやり
なさい」
とアドバイスを受ける、今思えばそのとうりである。「アルミさんはバイクが強いから
きっとだめです」「三つやって何ぼがトライアスロンですよ」とも言われる、そのと
きは言ってる意味が解らなかったが、後年やっと意味が解る。     

6月 丹沢ボッカ駅伝出場、びわ湖を控え、出たくは無かったが、友人のチームリー
ダには世話になったので(TAを始める前に、活動資金を得る為に土日友人の石材店で
アルバイトを1年間した)最後のご奉公で出場する、この年より荷がポリカンの水か

砂利に変わる。びわ湖の2週間前、湘南ハーフ第1戦出場、師匠のI田氏、練習パー
トナーのNECK林氏の両名も出場、「適当に流してやりなさい」と両氏にきつく言い
渡される、天気が悪く雨であった、途中前輪がパンク、初めてエアーボンベをトラ
イ、1本失敗した、良いシュミレーションになるが、モチベーションが切れて後は適
当に流してしまった。結果は両氏の言うとうりになる。このレースよりM脇CTSさ
ん登場!
S瓶T氏の名前もあった。 6月30日、そごう前より「彦根行き高速バス」を待
つ、
隣には同じようにホイールバックを持つ人がいた、Mr-JOYK村T夫氏であった。

不安ともいえない何か変な感じで、びわ湖に旅たった。Mrのすごさは、このときに
は知る良しも無かった。

彦根行きの夜行バスが到着、私とK村氏と乗り込むと、先に東京から乗っていた
M嶋K也氏と会う、私は初対面であったがK村氏は旧知の仲、元チームメイトだと
紹介される、道中二人の話を聞いてもうびっくり、優勝だとか入賞だとかという単語
が、景気良くぽんぽんでて来る、話を聞いてて萎縮してしまった。M嶋氏とはなんと
宿まで一緒で、スイム会場近くの「千松園」と言う旅館を予約していた。バスはどん
どん走り、いつの間にか寝てしまい,早朝彦根プリンスホテルに到着、私とM嶋氏は
そこで下車、K村氏は彦根駅前のビジネスホテルに宿泊とのことで終点の彦根駅まで
行った、「朝飯前に一泳ぎしましょうと」M嶋氏に誘われ、眠かったが付き合って
2000mほど泳いだ、思っていたより水は綺麗であったが冷たかった。朝食後、自
転車を組み立て、選手登録会場へ、選手用グッツを受け取る、反射テープだとか結構
厳しくチェックが入る、さすがはアイアンマンだと思った。選手はみんなぴりぴりと
していて、ものすごい緊張感を感じたが、自分もその中の一人なのだ、厳しい選考を
通ってきたんだなと誇らしい気持ちになる。話は戻るが、朝泳いだ後、東北訛りで
声を掛けてきた人物がいた。「釜石の鉄人」T 洋氏であった。春先に自転車で転倒
して顔面に傷を負い、まだ傷後が生々しかった。彼とも今でも付き合いがある、

午後、競技説明会、カーボパーティーは彦根プリンスホテルへ、カーボで再び
K村氏と再会、他にあまり知り合いはいないので、最後まで一緒にいた。M嶋氏はさ
すがに知り合いが多くあちこちで談笑していた。K松崎氏にも会い、明日I田氏NEC
K林氏と宿で合流する旨を伝える、「終わったら(レース)皆で長浜で飯でも食いま
しょう」と誘われる。小松崎氏は長浜ロイヤルに宿泊していた(リッチ!!)
翌日コース下見バスへ、ここで再びT 洋氏と会い、談笑しながらいつの間にか寝て
しまった、、、下見にならず、、午後応援のI田氏NECK林氏が到着、3人で彦根プ
リンスへ、私は自転車を預託して出店など覗いていると、ランナーズのI井氏に会
う、彼とはI田氏がまだ港北スポーツセンターのインストラクターをしていた頃、I
田氏を介して知り合いになった。(港北在住であった)I田氏も加わりしばし談笑、
後日取材をさせてくれと言われ、トップ選手になった様な気分になる、取材内容は
TJ誌1994年9月号62Pに出ている、、、、、、I井氏と別れ3人で彦根プリン
スより
彦根城へランニングに行く、帰りにまたT 洋氏と遭遇、昨日と今日の宿が違うそう
で、大荷物を抱え引越し?の最中であった。夕食後M嶋氏を交え4人で明日のことに
思いをめぐらす、話は突然変わるが、この「千松園」という旅館は、「鉄人くらわん
か」の定宿で、N畑S三選手、N取S三選手などが宿泊していた、N畑選手のキャノ
ンデール27in車はアウターに55Tが付いてた、27in車に55Tをつけてた人は私
が知る限り、N畑選手と、われがチームメイト、宇宙人T橋しかいない、

翌朝3時に起床、朝食をとり彦根プリンスへ、自転車に空気を入れ補給食等をチェッ
ク,一度宿に戻りしばし休息、5:30松原水泳場に、最終チェックを受け、応援の
両氏とがっちり握手、スタートラインへ、長い一日が始まろうとしていた。

6:30スタート、バトルは回避できたが、ペースが上がらないままスイムゴール、
半分くらい自転車は無かった、バイクはペースが上がるが中々前に出られない
みんな早い、これがびわ湖かと改めて納得、余呉湖の周回路では1列棒状に、
まるでロードのチームTTのようであった。てっぺん坂の応援がすごくて、いつもはし
ない立ち漕ぎなどしてしまった。オーバペース気味でバイク終了、ランニングへ
湖岸道路を走り農道方面へ、10kを41分でカバーいいペースであった。が12k
m付近で突然失速、暑さにやられた模様である、目の前が真っ暗になった、水路に体
を沈めてしばし休息、実際5分くらいであったと思うが1時間くらいに感じられた、
この後25kmは歩いて走っての繰り返しであった。再び湖岸道路に戻る頃には走る
時間の方が長くなってきたが、エイドでは止まってしまう、氷をもらい帽子とラン
シャツのポケットにいれ走る、長浜市内に入りラスト5km応援は盛大だった、地下道
を出たところでNECK林氏が待っていて、応援しながら伴走してくれた。豊公園が見
えてきたゴールである、ゴールテープを切る前に振り返り、観客にお辞儀をした、極
自然にそうした、そして雄たけびを上げて万歳ゴール、これは今も変わらない私のス
タイル、このときが初めてであった。全ての人に感謝したい気持ちだった。完走タイ

11:07:43

この日371人目のアイアンマンになった。


翌日アワードで名前は呼ばれなかった、このタイムと順位では致し方ないと納得!
川村氏はハワイをゲットする、K松崎氏ハワイは取るがタイム、順位とも納得がいか
ない様子であった。(翌年プロに転向、宮古島、びわ湖でトップ10入りする)
アワード終了後、感無量でびわ湖を後にした。来年も来るぞと心に決める、なぜか
K村氏、帰りのI田車に乗っていた。

翌週NECK林氏と道志へロングライドへ、帰りにK林氏転倒、鎖骨骨折全治2ヶ月
の診断、三ケ木の森田病院に入院してしまう。ジャージの上から見ても、ボッキリと
折れてるのが解るほど、見事な骨折であった。

8月 ハート・ヴュー駅伝チームに欠員が出たとのことで、沼津トライアスロン駅伝
の代走で出場、久々のショートで心臓爆発、苦しいレースをした。翌日より波崎に
向けて、インターバル系の練習に切り替える、この頃スイムのタイムが上がって
短水路で1500m23分台で泳げるようになる、スイムはこのときが一番早かった。

またこの頃、通っていたセントラルにすごいやつが入会してきた、H野T弘氏で
ある、まだこの当時は素直な青年であったが、やたらプライドは高かった。岸根公園
でのインターバル練習などに参加しにきたが、ランニングがものすごく早かった、と
てもじゃないが相手などできないから、早々にお帰りいただく。

9月 全日本波崎一般の部出場 ハート・ヴューのメンバーとI田ファミリー&NEC
K林氏、現地で山形よりG藤T郎氏、久里浜の友人F本氏と合流、カーボで盛り下が
る、、、、(これ以前から波崎のマナーは悪い、、伝統?)翌日レースは強風の中開
催、漁港の中までうねっていて、選手権のスイムの脚きりタイムが5分延長された、
一般の部はウェーブスタートで私は第3ウェーブである、2分間隔でスタート
うねりがすごく波酔いしそうであったが、程なくスイムを終え、バイクへ、行きは向
かい風で辛かったが、ゴリゴリと漕いでペースを上げる、折り返したら追い風でさら
にペースが上がり気持ちよかった、ランニングはバイクを漕ぎきってしまったため
あまり伸びず、2:17:42総合32位エージ3位で初のエージ入賞をする。嬉し
かった。これ以降ロングに専念することを決め、この波崎が最後のショート出場にな


10月 湘南ハーフ最終戦 このときの出場メンバーはすごい、私、S津男お兄さん
T橋K一氏、以上ハート・ヴュー、すーさん、N津さん、なりすけ君、重ちゃん、以

現JOY、I田氏、T野S一氏(境川仲間現在神戸在住)、M脇CTSさん、H野
T弘氏(デヴュー戦)と、今となっては知り合いばかりの出場者であった、総勢36

出場と豪華な最終戦になった、このレースで2位になり最後を気持ちよく終えられた
ちなみに、3位なりすけ君、4位すーさん、5位H野T弘氏で、6位まで表彰され
た。

11月 つくばマラソン出場、NECK林氏の復帰レースでもあった、サブ3を狙いに
行くが、25kmで豆がつぶれ失速する、20kmまで5kmラップが20分台で
あったのでいけると思ったが、、、、、、自己記録の更新はできた、、、

12月 宮古島より落選はがきが届く残念!!I田氏、NECK林氏は出場決定
私は2回目のトライであった、両氏は3度目。

グローバル協会より年間順位3位で、またまたトロフィーと表彰状が届くこれで来年
のびわ湖はOKと思った。

1月  館山若潮マラソン 3:18:08 完走
3月  佐倉朝日健康マラソン 3:35:05 完走
6月  丹沢ボッカ駅伝 20kgの部1走11位(120チーム)
6月  湘南ハーフ第1戦 5:32:17 7位完走
7月  アイアンマンびわ湖 11:07:43 371位完走
8月  沼津トラ駅伝 3走(1000m+30km+10km)1:51:33完走
9月  全日本波崎一般の部 2:17:52 32位(エージ3位)完走
10月  湘南ハーフ第5戦 5:09:06 2位完走

1994年 練習合計

スイム    206500m
自転車   7837km 
ランニング 2299km 

ハワイを本格的に目指す、スタートの年であった。 

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