明日は、自分が習っている織田流煎茶道の初煎会だ。
雅号を「南九」にして、初めての初煎会だし、着物を
着て颯爽といきたいものだが、お店があるので、今年も
蕎麦だけが、初煎会に参加することになる。
うちでやっている「一滴の会」というお花のお稽古も、
料理人や芸術家など多士済々な人が多いが、煎茶の
会のほうも、陶芸家や音楽家など、「かわった人」が多い。
かわった人といえば、うちのお店にくる、しかもカウンターの
ほぼきまった場所に、座るひとも、「かわったひと」が多い。
昨日は、初めてのい人も含めて、「この辺で、カフェをやりたい」
という人が、いっきにカウンターに座った。まるで、時間をきめて
集まってきたみたいだった。
ひとりは、この道のことを熟知している人だ。
彼と焙煎とか、珈琲の話をしながら、
「これからのカフェは、珈琲がまずいけど、人がくる」
くらいの、人間力、つまり人を呼び込む人間の魅力みたいな
ものがある人でないと、店の経営はなりたたないのではないか、
という結論になった。背反することだけど、そうだと思う。
ぼくの蕎麦の師匠、達磨の高橋さんに、「師匠がもし中近東の
砂漠で店を出しても、お客さんがおいかけてくるのではないでしょうか」
と辺な質問をしたことがある。ちょっと間をおいて、「くるかもしれませんね」
といった。世界一周する飛鳥の中でも蕎麦打ちをしている師匠。ますます元気で、
蕎麦の伝道を、世界に向けて発信し始めた。すごい人だ。やはり「達磨」
なんだろう。でも彼の蕎麦は、やはり「うまい」。
人間力をもった人が、うまい、と思ったものをだすお店が、これからの
いいお店、かも。
雅号を「南九」にして、初めての初煎会だし、着物を
着て颯爽といきたいものだが、お店があるので、今年も
蕎麦だけが、初煎会に参加することになる。
うちでやっている「一滴の会」というお花のお稽古も、
料理人や芸術家など多士済々な人が多いが、煎茶の
会のほうも、陶芸家や音楽家など、「かわった人」が多い。
かわった人といえば、うちのお店にくる、しかもカウンターの
ほぼきまった場所に、座るひとも、「かわったひと」が多い。
昨日は、初めてのい人も含めて、「この辺で、カフェをやりたい」
という人が、いっきにカウンターに座った。まるで、時間をきめて
集まってきたみたいだった。
ひとりは、この道のことを熟知している人だ。
彼と焙煎とか、珈琲の話をしながら、
「これからのカフェは、珈琲がまずいけど、人がくる」
くらいの、人間力、つまり人を呼び込む人間の魅力みたいな
ものがある人でないと、店の経営はなりたたないのではないか、
という結論になった。背反することだけど、そうだと思う。
ぼくの蕎麦の師匠、達磨の高橋さんに、「師匠がもし中近東の
砂漠で店を出しても、お客さんがおいかけてくるのではないでしょうか」
と辺な質問をしたことがある。ちょっと間をおいて、「くるかもしれませんね」
といった。世界一周する飛鳥の中でも蕎麦打ちをしている師匠。ますます元気で、
蕎麦の伝道を、世界に向けて発信し始めた。すごい人だ。やはり「達磨」
なんだろう。でも彼の蕎麦は、やはり「うまい」。
人間力をもった人が、うまい、と思ったものをだすお店が、これからの
いいお店、かも。