二階へあがる階段のところに、石臼が置いてある。
四国の南條先生の家で代々使われたものを譲り受けた。
池袋でギャラリーをやっていたころは、茣蓙をひいて、
蕎麦の実をいれて、ゆっくりと蕎麦を挽いていた。
先週、陶芸家の久保さんと電話をしていたら、石臼の話になった。
「茨城県に石臼つくりの名人がいて、珈琲豆を挽く石臼をつくったらしい」
とのこと。さっそく、ほぼぶらじるをもって、昨日筑波山ろくに
ある名人の工房にいってきた。
石臼をつくることに命をかけてきたその名人は、見るからに
匠のオーラにつつまれていて、あったその瞬間に「ほんもの」
だとわかる翁みたいな人だった。挨拶もそこそこに、ほぼぶらじる
の豆を石臼に少しづついれ、半時計回りに、ゆっくりと石臼を
まわしてみた。臼の横から、琥珀色した粉がでてくる様は、その香り
とともに感動ものだ。
それをペーパドリッパーに入れ、ゆっくりと抽出してみた。
囲炉裏のテーブルに座って、名人とコーヒーと石臼談義。
つくりかけの「珈琲の石臼」があったので、それが完成したら、
いただくことになった。
朝出かけ際にSPICE CAFEの伊藤シャフに、そんないきさつ
を立ち話してたら、「お店でだすといいですね」といわれた。
が、はたして、そんな余裕はあるだろうか?とも思うが、
とにかく、「ゆっくりな時間を過ごす」時の大切な小道具みたいな
コーヒーには、かかせないような道具になりそうな気がする。
機械でつくるおむすびと人が結ぶおむすびと味が違うように、
ミルで粉砕する粉と、石臼とでは、大きな違いがでる。
どちらにしても、おいしいものをつくったり、ほんものを追求
していくのは、骨が折れる。
「粒々皆辛苦」・・・米や蕎麦の一粒一粒、珈琲の豆の一粒には、
みなそれにかかわる人たちの辛苦がかかわっているのだ。
だから昔から食事の時には、「感謝」の気持ちをあらわすのだ。
2月5日(金)の夕方の「マリオネットのコンサート」
は、すでに満席になっていて、おことわりした人もいたけど、
一組のキャンセルがでたので、縁がありそな人があったら、
ご一報くだされ。池袋のギャラリーのころからやっているコンサート。
ポルトガルギターとマンドリンが奏でる不思議なワンダーランド。
四国の南條先生の家で代々使われたものを譲り受けた。
池袋でギャラリーをやっていたころは、茣蓙をひいて、
蕎麦の実をいれて、ゆっくりと蕎麦を挽いていた。
先週、陶芸家の久保さんと電話をしていたら、石臼の話になった。
「茨城県に石臼つくりの名人がいて、珈琲豆を挽く石臼をつくったらしい」
とのこと。さっそく、ほぼぶらじるをもって、昨日筑波山ろくに
ある名人の工房にいってきた。
石臼をつくることに命をかけてきたその名人は、見るからに
匠のオーラにつつまれていて、あったその瞬間に「ほんもの」
だとわかる翁みたいな人だった。挨拶もそこそこに、ほぼぶらじる
の豆を石臼に少しづついれ、半時計回りに、ゆっくりと石臼を
まわしてみた。臼の横から、琥珀色した粉がでてくる様は、その香り
とともに感動ものだ。
それをペーパドリッパーに入れ、ゆっくりと抽出してみた。
囲炉裏のテーブルに座って、名人とコーヒーと石臼談義。
つくりかけの「珈琲の石臼」があったので、それが完成したら、
いただくことになった。
朝出かけ際にSPICE CAFEの伊藤シャフに、そんないきさつ
を立ち話してたら、「お店でだすといいですね」といわれた。
が、はたして、そんな余裕はあるだろうか?とも思うが、
とにかく、「ゆっくりな時間を過ごす」時の大切な小道具みたいな
コーヒーには、かかせないような道具になりそうな気がする。
機械でつくるおむすびと人が結ぶおむすびと味が違うように、
ミルで粉砕する粉と、石臼とでは、大きな違いがでる。
どちらにしても、おいしいものをつくったり、ほんものを追求
していくのは、骨が折れる。
「粒々皆辛苦」・・・米や蕎麦の一粒一粒、珈琲の豆の一粒には、
みなそれにかかわる人たちの辛苦がかかわっているのだ。
だから昔から食事の時には、「感謝」の気持ちをあらわすのだ。
2月5日(金)の夕方の「マリオネットのコンサート」
は、すでに満席になっていて、おことわりした人もいたけど、
一組のキャンセルがでたので、縁がありそな人があったら、
ご一報くだされ。池袋のギャラリーのころからやっているコンサート。
ポルトガルギターとマンドリンが奏でる不思議なワンダーランド。