長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

粒々皆辛苦の毎日

2011-02-01 08:25:03 | Weblog
「粒々皆辛苦」、いい言葉だ。
中学時代の苦手な数学の先生から教わった、いや
その先生のノートの表紙にそう書かれてあったのだが、
数学はダメだったが、この言葉が残っている。

昨日、寸胴に大豆の粒々を水に浸した。無農薬で日本の農家のひとが
丹精こめてつくったもの。粒々皆辛苦のかたまりだ。
今年も「味噌をつくる」季節がやってきた。池袋時代から毎年つくっている。
市販されているものは、ほとんどのものが、外国産の大豆をつかっている。
デフレというか、大量生産で安価なものを、求めた結果、豆腐もそうだけど、
蕎麦も外国の野菜に席巻されているのが実情だ。せめて毎朝、食卓にのぼる味噌汁
の味噌くらいは、納得するものに・・という気持ちから続けている。
「時代」なのか?今年は「私もやりたい」という女子が集まってきた。
今日が第一回目の日。音楽家、芸術家、陶芸家、イタリアンのシェフ・・
多士済々の人が、天真庵で味噌をつくる。まるで「農家カフェ」。

農家といえば、最近、農業をやっているバカモノ、みたいなわかものが
よく遊びにくる。どうも、方向的には、茨城とか福島あたりが「縁」
を感じる土地だ。その中の青年のひとりが、昨日遊びにやってきた。
「昨日、6人でかもを7羽ゲットしました」とのこと。
詳しく書くと、なんだけど、その場で〆て、血を抜き、内臓をとり、学生アパートの
物干し竿に、ほしているらしい。
「命をいただく」というありがたい食物連鎖で、われわれは生かされているのだけど、
「どうぞ私の命をつかってください」という命があるわけではない。
ばかものみたいな若者に、いろいろ教わった。こんな人たちが、後にひかえて
いるので、まだまだ日本は大丈夫だ、とひさしぶりに思った。

夕方にはせんしゃくんが、大分のお土産をもってきてくれた。
大分から毎月やってきて、「竹細工」をやっている人たちが、
週末に「大分見学」にいってきた、そのお土産。
清水さん、佐藤さん、大谷さん、と三人の先生が順番に上京して、
竹細工を教えてくださった。彼らのアトリエの写真なんかを見せて
もらった。みんなイキイキ写真で、竹のにおいや、竹の精たちが
語ってくれるようないい写真だった。煎茶にあいそうな小さなおまんじゅう
もおいしかった。大分には、田能村竹田という、煎茶と深くかかわっった文人
がいた。煎茶をいっしょに学んでいる友人の縁で、「竹の人」たちと
家族のようにつきあうことになった。まことにありがたいことだ。
6日は、また新しい先生がくる。その日も「歓迎会」をやるらしい。
今年は「せんしゃくんの幹事」が、大活躍。