20年続いている「論語の会」(順受の会)が、昨日あった。
鹿児島産の先生は、20年前は鹿児島に住んでいて、月に一度「手弁当」で
論語を教えにわざわざ上京していた。やっと還暦なのでそのころはアラフォーで
髪を伸ばして、舞踏家か芸術家みたいな風貌だった。渋谷の公共の施設を借りて、
受講者が500円払う、というスタイルだった。その後駅前の居酒屋にいき、薩摩白波の
一升瓶をどんとテーブルに置いて、口角泡を飛ばしながら、ひたすら飲む、という会だった。
みんなまだ若く、底なしみたいな酒豪ぞろいが列挙していたので、うらぶれた安居酒屋の支払い
がワリカンでも5000円くらいかかっていた。ちょうどそのころ池袋に「天真庵」を結び、まだ蕎麦
はやっていなかったけど、鍋やおでんやちょっとした酒肴はできたし、寒山拾得という論語
と同じく中国からやってきたものをテーマにしていたので、渋谷から池袋に道場が移った。
そして押上にきて8年。やっと成人した、というより20年も続いたことにあいなった。
先生も生徒も「かくあらねばならない」とか「こうしよう」みたいな決まりごともなければ、
「論語読みの論語知らず」でいいではないか、という自然体みたいなところが、長く続くコツではないかと思う。
白波の宣伝で「ナナサン」とかいう言葉が流行った。天真庵では銘々が「蕎麦湯」で自由な濃さにして焼酎を飲む。
ルチンやいろいろなビタミネを含有したどろどろの液体の中にも「マタキタクナール」という栄養分が含まれて
いるようにも思う。
「学びて時にこれを習う」「友の遠方よりきたる」・・・・いろいろな「喜び」を反芻しながらの20年。
画廊の先輩の京都長岡の「画廊天真」のお庭から20年前に頂戴した「つわぶき」が、押上
の家の庭で咲いた。天恩感謝の可憐な黄色の花。