近くにできたシェアハウスの人たちが、蕎麦を手繰りにきてくれた。
うちひとりの女性は、お仕覆に入門。二階のちゃぶ台で、楽しそうに
針仕事をしていた。4時にお店を締めるところ、巨匠たちがぞろぞろ
と来店。「たぶん、今日のプログラムは難しいんだろうな」という予感。
蕎麦が売り切たので、急いで蕎麦打ちをして、リハーサル。
どの世界でも超プロの人たちは、毎日毎日の仕事を真剣に追求していく努力を楽しむ
才能を有している。ポチポチお客さんがこられる時間になるまで、気持ちの入った練習
が続いた。
プログラムを見たら、この「やまね組」の天真庵ライブも22回目。70年前、戦争で焼けた
時に建てた古い小屋みたいなところで、今、輝きながら世界で活躍する音楽家の演奏を堪能した。
戦争な好きな政治家たちのうさんくさい話にことかかない毎日だけど、戦後70年というのは、
「戦争がない平和な時間」の単位であり、その節目みたいな年。最近若者たちがたちあがって、
アホな自滅党の政治に声をあげるようになってきた。まだ捨てたもんじゃない。
珈琲豆も「IS」とかいう連中が暴れている地域からのものが入りにくくなってきた。
平和という言葉がないくらい平和な日々があるからこそ、人は音楽や珈琲を楽しむような日常を得られる。
昨日の演奏会後半は、ウィリアムヘルム・ベルガーのクラリネット、チェロ、ピアノのための三重奏曲だった。
40分ちょっとの長さと、しろうとめでみても、「ちょー、むずかしそー」な曲を、三人の巨匠たちが涼やかに
奏でてくれた。この星の中で、最高の芸術は音楽であり、それを紡いできた「人と人の繋がり」であることを
体の細胞の中まで感じた夜だった。打ち上げで音楽家たちと「死神」を飲んだ。神に少し近づいた気分?
今日は「英語で蕎麦会」。5回目の「英語でぽんびき」よろしく、7時にスカイツリーの広場で集まり、外人さん
をぽんぴきして、天真庵で蕎麦を喰う会。
明日は「かっぽれ」。先週末、女子たちが外人さんの前でかっぽれを踊って、拍手喝さいされた。
ばかになる訓練、生きているを体で表現できる場。