「福」というのは、そんな意味が含まれている象形文字だ。
美濃の陶芸家のおじいちゃん、そろそろ100歳になる翁が、新宿の伊勢丹で個展を
やっている時に教えてくれた。女子の店員さんにも聞こえるような大きな声で
「ついでに教えてあげるけど、「寿」というのは、田んぼで男のチンポがたっている姿なんじゃ」とのこと。
それはおめでたのはじまりだけど、昼まから、素面で、こんな話をするように、超越した世界にはやくいきたい、と思った。まさに、
白日青山に遊ぶ、の境地か?
うちの大家さんも福がつくけど、今日の易の先生も福田さん。それでこの会が「福の会」
といわれるようになった。今週末にいくけど、下関ではフグのことを「ふく」という。
濁点がとれると、毒も抜ける、そんな縁起だろう。酒蔵も濁るのをいみきらって、濁点を
名前にしないのがならわし。四季桜は、「しきさくら」なのです。
9年押上で天真庵をやってきたけど、お盆の最中に店をあけたのははじめてだった。
「逆里がえり?」というか、東京から離れた人たちが蕎麦を手繰りにきたり、恩人たちが遠く
から遊びにこられたり、あちらの世界から酒を飲みにこられたり、不思議なことがいっぱいあった。
この「現象世界」と、いつかいく「実相の世界」を自由にいききするようなところまで、生きていれれば幸せだと思う。
ときどき、酔っぱらったり、温泉の中でうとうとしたりするとき、「この世なのかあの世なのか」区別がつかなくなるような世界。
さて、これから「卵かけごはん」。とっておきの食べ方が、静かに優美に広がっていることの手ごたえを感じる今日このごろ。
たぶん来年2月の「味噌つくり」は100人を超えるのではないかと思われる。なんとか工夫して、こなしたいと思う。