長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

敗戦記念日

2015-08-15 08:28:17 | Weblog

今日は戦後70年目の敗戦記念日。

歴史は繰り返される、というけど、第三次世界大戦の「開戦記念日」や「終戦記念日」

がこの国の歴史に刻まれないことを願う。

そうでなくても「多死の時代」を迎え、まわりの縁ある人たちも、ずいぶん鬼籍に入り、今年

初盆を迎える。

先月友人から電話があり「Kが3月に死んだ・らしい」とのこと。

秋葉原で創業し、最初の作品のパンフやマニュアルを頼んだ会社の社長。

こちらは創業期で、地獄のような資金繰りをしていた時、うち担当の宅急便のにいちゃんだったY

さんが「池袋に貧乏な印刷屋があるのでぜひ使ってほしい」というので、親近感が沸いて

そこに印刷物を頼んだ。秋葉の事務所が狭かったので、半分くらいはその会社の倉庫においてもらった。

後日その倉庫にいくと、自宅兼の倉庫があり、敷地だけで600坪くらいあった。「貧乏?」と思ったけど

、YがぼくとKさんをつなげたいという気持ちが通じた。その後、池袋のKさんの会社にいったら「第一Kビル」

という看板があり、近くに建設中の「第二Kビル」があり、縁あって、そのビルが完成した時、ぼくの会社は

そのピカピカ新築のビルに移った。そのころYは病気で40の坂を超えずに旅立った。大きなウソをひとつついたけど、

とびっきり明るい笑顔が忘れられない。天真庵を押上に結ぶ3年くらい前、Kさんは何かのトラブルに巻き込まれ、

会社と家をとられ、消息がわからなくなった。歯医者にときどきいったりする時に、そのビルの前を歩いたりするたび

「元気にしているのだろうか」と心配していた。まだ少し早い旅立ちだったし、最後がどんな具合だったか知るよしも

ないけど、Kの春夏秋冬に緞帳が下りた。短かかったけど、盛大な人生だったと思う。ゴルフも一番やったし、

19番ホールを一番遊んだ飲み仲間でもあった。鎮魂。