今日は戦後70年目の敗戦記念日。
歴史は繰り返される、というけど、第三次世界大戦の「開戦記念日」や「終戦記念日」
がこの国の歴史に刻まれないことを願う。
そうでなくても「多死の時代」を迎え、まわりの縁ある人たちも、ずいぶん鬼籍に入り、今年
初盆を迎える。
先月友人から電話があり「Kが3月に死んだ・らしい」とのこと。
秋葉原で創業し、最初の作品のパンフやマニュアルを頼んだ会社の社長。
こちらは創業期で、地獄のような資金繰りをしていた時、うち担当の宅急便のにいちゃんだったY
さんが「池袋に貧乏な印刷屋があるのでぜひ使ってほしい」というので、親近感が沸いて
そこに印刷物を頼んだ。秋葉の事務所が狭かったので、半分くらいはその会社の倉庫においてもらった。
後日その倉庫にいくと、自宅兼の倉庫があり、敷地だけで600坪くらいあった。「貧乏?」と思ったけど
、YがぼくとKさんをつなげたいという気持ちが通じた。その後、池袋のKさんの会社にいったら「第一Kビル」
という看板があり、近くに建設中の「第二Kビル」があり、縁あって、そのビルが完成した時、ぼくの会社は
そのピカピカ新築のビルに移った。そのころYは病気で40の坂を超えずに旅立った。大きなウソをひとつついたけど、
とびっきり明るい笑顔が忘れられない。天真庵を押上に結ぶ3年くらい前、Kさんは何かのトラブルに巻き込まれ、
会社と家をとられ、消息がわからなくなった。歯医者にときどきいったりする時に、そのビルの前を歩いたりするたび
「元気にしているのだろうか」と心配していた。まだ少し早い旅立ちだったし、最後がどんな具合だったか知るよしも
ないけど、Kの春夏秋冬に緞帳が下りた。短かかったけど、盛大な人生だったと思う。ゴルフも一番やったし、
19番ホールを一番遊んだ飲み仲間でもあった。鎮魂。