餅つきの時には、みんなが一体感ができる。それがすばらしい。
「おいしいものを食べる」より「おいしく食べる」ほうが、だんぜんうまい。
うちの甥っ子たちの一番人気がイクラだった。天真庵でやる気骨の鮨会では
、「このうにはどこでとれたの?」と聞くのがタブーだ。気骨の鮨職人が
「あの、ロスケがのっとった北方領土・・・」ということになり血圧があがるのだ。
ロスケ、というバカにした言い方は、70年前に終わった戦争の始まり、つまり
日本が中国や朝鮮やロシアを侵略しようとしていた時代のなごり。なごり
ではあるが、その「おごり」みたいなものが、たくさんの犠牲者をつくった。
縄文時代の途中まで、食べ物はみんなで狩猟にでかけ、獲物が採れた
時はみんなで分け合い、採れないときは、みんなで空腹に耐えた。
そんな時代に産まれた縄文土器は、生かされていることに感謝する神への畏敬
みたいなものがある。弥生になり米というものを発見してからは、「蓄える」という
ことができるようになり、「もっとほしい」・・・モアモアという欲がでてきて、争い
や貧富の差がでてきた。その時にできた器があの白い無味乾燥な器。
それが現代に至り、われわれは、同じような器を使い、解決の糸口が見えない
紛争と貧富の差ひしめく星・地球で70億の人間がどないして、喰っていこうかと右往左往している。
お米と米国を同じレベルで語りたくないけど、戦争を経済と結びつけて世界中で戦争をしかけてきた
張本人でもある。ベトナムで負け、中東で負け、兵隊さんたちも心も体もくたくたに疲弊しているのに、
また植民地よろしく日本人を巻き込んで戦争をしかけようとしている。彼ら肉を喰う時に、アゴをへび
のようにはずして喰うような姿を見るたびに、そこにアッパーしてやろうかと思う。
天真庵の建物は70年前の東京大空襲で焼けた時に、栄吉翁が建材を集めて建てたもの。
古色蒼然としているけど、「平和の70年がつけた古色」の風合いである。ひきかえに、70年もの間
、アメリカ軍の基地として犠牲になり続けた「沖縄」がある。北方領土や沖縄が他人事である日本人
がいる間は、ほんとうの「平和」は訪れないし、ほんとうの「幸せ」を感じる日本人は皆無ではなかろうか?
時々天真庵でやる沖縄の唄を聞いていると、そんな人間の悲喜こもごもの「いとなみ」が見え隠れする。
楽しい調べの中に、人間の根源的な孤独感が内包されている。
29日(土) 沖縄 Song Night
演奏:片山恵理(三線)・古田将幸(ギター)
17時開場 17時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)