先日、蕎麦のお弟子さまのひとりが真っ黒な顔をして自分で育てた
有機野菜を持ってきてくれた。ふぞろいだけど、みんな朝まで土に植わって
光合成をやっていたので、「どうだ」といわんばかりの元気な顔をしている。
とうもろこしは、「とうもろこしごはん」にする。土鍋に普通より若干少なめの水
(普通は米一合に、水一合)を入れ、生のとうもろこしをこそげ入れ、芯も
ふたつに切り、そのまま土鍋に入れ、塩と酒を加えて、15分。はじめチョロチョロ中パッパ・・
赤子が泣いても蓋とるな・・・の教えをまもって(正確には、沸騰した時に、すばやく蓋をとり、しゃもじで
まぜる)待つと、おいしいごはんが炊ける。中パッパの火かげんなどが、五感をとぎすませて、めいめいが
工夫すればいい。炊飯器やチンは簡単だけど、「それなり」の域をこせない味しかでない。
トマト。これは、油といっしょにとったほうが体にいい。ドレッシングをつくる。
そばやには「甘汁」というかえしがある。簡単にいうと、ザラメとみりんと九州の甘い醤油を鍋で、ゆっくり
混浴に入るようにして(混浴ではなく温泉でもいいし、家庭の風呂でもかまわない)な気分で「あわせ醤油」
をつくる。それに、酢とさらだ油をペットボトルに入れ(分量は、それぞれの性質とか、好みがあるので、それぞれが五感を
はたらかせてつくればいい)、ヤカシャカすればできあがり。それに柚子胡椒を少し入れるのが天真庵流。
トマトを適当にきり、黄瀬戸(トマトとの色のコントラストがぐんばつ)に入れ、大葉を適当に切り、ドレッシングを
まわしいれると、「わいるどトマトの夏サラダ」のできあがり。
満願寺とうがらしは、蕎麦汁に山椒をきかせた汁とからませると、ごはんやお酒が、グビグビいいながら
嚥下していく。
残った野菜は、タッパーに蕎麦汁を入れ、そこに適量の酢をほりこみ、唐辛子を適当に切っていれる。
九州では、「はりはり漬け」という。元気な野菜たちが、まるで夏のプールで遊ぶ子供たちのように、いきいき
tおしている姿が圧巻。でもすぐたべるとあかん。美味いものは、時間がかかるのだ。
さて、今日明日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」だ。
珈琲も、お茶もお湯を注ぐ、だけの単純なものだから、だれでも「それなり」には
いれられる。簡素なものの中の「ほんもの」までたどりつきたいと思うのなら、それなり
の覚悟をして、ゴールなき高みを目指していくしかない。どの道も同じ。
「これでいい」と目標値が低い人は、そのレベルの景色しか見れない。
蕎麦のお弟子さまで、自分で野菜をつくる人が多く、それらを食べたり、自分ちの庭で
野菜などをつくって食べたりすると、自分の命の力が違ってくる。
あと水は、今日あたりbunkanの人たちが静岡の富士山の麓から汲んできてもらう。
健康で持続可能な生活を目指すなら、食べ物や水は、しっかりと「きめる」ことが必要だと思う。
みんな大きな自然の愛に包まれて「生かされている」ということに感謝する謙虚な気持ちも大切やと思う。