長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

わぶ庵が動き出した?

2010-01-09 07:04:15 | Weblog
天真庵を結ぶことになった縁で知り合った
若者たちが、「わぶ庵」というのをつくり、
今月中には、カフェができそうな気配?だ。
今日の夜に、関係者が集い新年のパーティーと
今後の展開などが語られるらしい。はじめて
中に入ることになる。毎日日替わりで店長が変る、
という流行の形でやるらしい。さすが、若い人
らが考え出すことだ。なんか相乗効果までいかなくても、
「動く」という感じがしてきた。古本屋かふぇを計画中の
友だちもこないだの木曜日に、うちの車を貸して、なんとか
古本の引越しは終了。「古本の整理にあと1年かかりそうだ」
と、友だちがいった。自分の引越しと古本の引越しに1年かかった。
整理に1年かけたら、また引越し・・・にならなければいいが・・

明日は「エリカ庵」。月に一度、エリさんとリカさんが整体にやってくる日。
だいぶ常連さんもできてきた。みんなやはり疲れているのだ。
人の体は自分ではわからないけど、やっぱり疲れて
いるんだ、といつも痛感する。
生きてる間は、自分が借りている「体」は、大事にしないとね。
借りているんだから。いつかお返しするのだから。


幻の咄家の笑顔

2010-01-08 08:00:20 | Weblog
昨日は休みだったけど、正月に空いていなかった
かっぱ橋のお店をまわった。月に一度は、界隈を
散策したりする。これは飲食店をやっている人間の性(さが)
かも?

帰りに浅草演芸ホールの前を通った時、高齢の咄家さんが、
演芸ホールの前で写真を撮っていた。うまくいえないけど、
芸人の齢を重ねてきた貫禄とは別に、どこか初舞台のような
ういういしさ、みたいなものが感じられた。
「?」と思いながら、花やしきの横を通り、観音裏の
よくいく蕎麦屋で、突き出しにだされた「蕎麦雑炊の七草かゆ」
をつまみに、白鷹のヌル燗を飲んでご機嫌になった。

今朝の朝日新聞を読んでいると、その咄家のことが紹介されていた。
幻の咄家といわれた三遊亭歌笑さん、70歳。
病気とかいろいろなことがあって、絶頂期に東京を離れ、
40年ぶりの浅草の落語だったらしい。人生の晴れの日の、
晴天のような笑顔の意味がわかった。
晴れたり曇ったり、雨が降ったり・・・
いろいろだけど、たまの「晴れの日」には、そばとかちょっとお酒
を飲みたい気分になる。


ずぼらん

2010-01-07 07:57:57 | Weblog
今年初めてのかっぽれ。
新しい「ずぼらん」に入った。
年末に仕上げた?「深川」は、
坊さんが、吉原に通うお話し。
♪ヨシチョウ 通い
という一節があるのだが、どうも、正確には
「芳町」で、吉原ではなく、男専門の花町があったらしい。

ずぼらんは、どうやら雨の中を、坊さんが修行としょうして、
珠数と木魚をだいて外へでる話から始まるのだが、なんやら
また危うげなドラマが展開されていきそうだ。
あいかたとは、新年の杯と称して、「澤の花」のぬる燗を
飲んで、事始め。彼は今年で還暦を迎える。
風貌は良寛さんを彷彿させるが、どうもかっぽれが板に
ついてきて、おまけにギターも始めたらしい。
お酒を飲むと、パーッと桜色になるタイプだが、これから
まだ一花、二花咲かせられそうな色気がでてきた。

今日は今年初めての定休日。
吉原には通わないけど、近くのかっぱ橋にいく用がある。
来週から「伝授の会」が始まるので、道具を調達しなければいけない。
♪アッ ズボラン ズボラン

「のる」というのは、いろいろな芸事には、大切なことらしい。
伝授の会のメンバーもかっぽれを必須科目にするか・・・・?

あ!かっぽれ かっぽれ 立たなきゃ そんそん!

2010-01-06 07:46:00 | Weblog
「事始めコンサート」も無事に終わった。
ベルギーからわざわざ帰ってきて、天真庵でピアノを
ひいてくれて、翌日の朝、またベルギーに帰る大宅さんと、
クラリネットの山根さんと、俳優の新城さんと、オーボエのかよちゃん
と、二階で「初煎会」もやった。

なかなかいいスタートだ。
今日は、「かっぽれ」の事始め。
習いごとの始まりがかっぽれというのも、なんか今年らしく
て、おもしろい。

いよいよ来週からは「伝授の会」も始まる。
人を教える、というのは、教えられることばっかりのような気もする。

何事も「はじめ」というのはとても大事なことだ。
三日で終わるかもしれないけど、まずやってみること。
とくに、こんな時代がうねっている時は、「どうしようかな」
など迷っている暇があれば、動いてみることだ。
「ああじゃない、こうじゃない」と、評論家みたいな日本人が
増えている気がするけど、まず、そんなどうでもいいことを、
ああじゃない、こうじゃない、いうよりも、ゴミの1つでも
拾ってるほうが、役にたっていると思う。
人の役にもたたず、あれもたたなくなったら、男はおしまい。感謝。

言葉と音楽 ロマン

2010-01-05 06:43:42 | Weblog
朗読が俳優の新城彰さん、クラリネットがN響の山根孝司さん、ピアノが
chmp daction アントワープの大宅裕さん。
ロベルト・シューマンの「詩人の恋」から、始まった。
すべての曲の前に、新城さんが詩を朗読する。言霊と音楽が
まるで、精霊のように踊りだし、クラリネットもピアノも、
詩を語る「語り部」みたいな雰囲気を醸し出していた。
シューベルトの「野薔薇」も、若いころ学校の教材として、
学んだけど、本来はゲーテの語る妖艶な女性のシンボルとして
詠まれたものらしい。酒と薔薇の日々ではないが、やはり薔薇は
近づきすぎると、いつも棘の痛みをともなう、危うげな美しさを
持つものらしい。

後半はマーラーの「さすらう若人の歌」。マーラー自身が作詞した
詩だけに、音楽と詩が、うまくからみあっていた。
圧巻は、フーゴー・ヴォルフの「スペイン歌曲集」だ。
山根氏が15年ほど前に、演奏する縁があり、「いつか日本で
日本語の詩とともに、演奏してみたい」と念じていたものが、
実現した。もともとキリスト教の聖歌だ。聖歌というのは
静かな歌が多いけど、人間が本来持っている情熱的な現象の世界や、それに対峙する実相の世界が、陰陽みたいにうまく表現されているような曲が多い。
スペインの聖地、サンティエゴの道を、いつか歩いてみたいと思っているが、
その時には、またヴォルフの曲などを口ずさみながら、900kの道筋を
とぼとぼと歩いてみたいものだ。たぶんそこは、この世(現象世界)なのか、
あの世(実相世界)なのか、区別ができないくらいの世界ではなかろうか。

昨日の作曲家たちは、みなお医者さんから「精神病」と診断された人ばかり
だった。だからこそ、2世紀以上も世界中の人を感動させる曲をつくった、
ともいえる。音楽は、人間が生きていく途中の、恋のはかなさや、嫉妬や、
煩悶を表現するものが多い。何世紀たっても、途中に科学が進歩し、人間が宇宙
にいったり、墨田区に634mのタワーができるような時代になっても、
「人間そのもの」は、まったく変っていない、のがいい。

事始め

2010-01-04 08:04:12 | Weblog
昨日は庭の雑草を抜いた。
小さな小さな緑だけど、彼らなりに、二酸化酸素を
吸って、酸素を出している、と思ったら、こころもとない
気分になって、あまりはかどらなかった。「雑草」というのも、
人が勝手にきめたことだし・・

店の鉢でひとつ割れたものがあった。12月の風の
強い日に、こけて割れたものだ。それを青い陶器の
ものとかえたら、なかなか店の玄関がしまった感じ
がした。焙煎がしたくて、うずうずしていたけど、
「やはり事始めの明日しよう」と思いとどまり、
家で本を読んだり、年賀状の整理や返事を書いたり
しながら、過ごした。

今日はいよいよ「事始め」

といってもお店は明日から。
今日は、夕方6時から「事始めコンサート」

N響のクラリネットの山根さんと、山根さんとベルギー時代に
いっしょに音楽活動をしていたベルギー在中のピアニストの
大宅さん、そして、天真庵の常連で俳優の新城さんが、
2人の音楽にあわせて、ハイネなどの詩を朗読する、という企画。
発表する前から満席状態で、一般の人に聴かすことができないのは
残念だけど、今年は、こんな企画を時々やっていこうと思って
いる。

2月5日は、マリオネットがやってくる。

3月5日には、KAZUKO BABAさんのジャズ。

4月17日は、いよいよ、「Nobie」が天真庵初ライブ。

ある歌舞伎役者のツイッター

2010-01-03 09:43:54 | Weblog
昨日は歩いて浅草にいってきた。
正確にいえば、かっぱ橋に用があったのだが、
ほとんどのお店がしまっていた。
浅草界隈は、すごい人でごったがえしていた。
今年の正月は、高野山の宿坊で過ごす予定だったが、
スケジュールがうまくいかず、断念。

東京で正月を過ごすときは、浅草で「新春浅草歌舞伎」
を見るのがならわしになっている。まさか当日券があるとは
思わなかったけど、一等席が残っていたので9000円で
購入し、観音裏のいきつけのお店で、お屠蘇がわりにぬる燗
を飲みながら、江戸の正月気分を味わいながら時間をつぶす。

3時になって浅草公会堂にもどり、「奥州安達原」
を観る。この作品はもともと人形浄瑠璃で、源氏が安倍貞任
らを討伐した戦の後日談の復讐劇だ。
主役の貞任の妻と、貞任の二役を、中村勘太郎が演じ、八幡太郎
義家を、弟の中村七之助が演じた。
劇の途中に、「つぶやき」のような声がした。「この子役はいい」
とか、「うーん、ここは少し表現が違う」
みたいなことを、いっている。
振り返ってきると、彼らの親父、中村勘三郎が後の席にいた。
自身も歌舞伎座で公演中だが、合間をぬって、息子たちの演技を
観にきているのだろう。徹頭徹尾、「役者バカ」なところを垣間見る
ことができた。最近ネットの中でツイッターというのが流行っている
けど、やはりつぶやきも、歌舞伎も「生」がいい。とくに生の歌舞伎役者
のツイッターが聞こえたとは、こいつは春から演技がいい。

上機嫌になって、芝居がおわった後は、公会堂の前の「中清」で、
中庭をみながら、てんぷらで、ぬる燗を楽しんだ。できたら「上喜元」
あたりを飲みたかったが、明治3年創業の老舗のぬる燗は、「黒松 白鹿」。
鹿をどんなに飲んでも、トラやオオトラにはなれない。

明日は夕方6時から「事始めコンサート」。
こちらも役者が3人そろって、新春の喜びを奏でてくれるに違いない。


念ずれは花開く

2010-01-02 09:30:51 | Weblog
そんな詩を書いた坂村真民さんが年末に昇華された。

暮れのある日、天真庵の奥のテーブルの下に、
コピーされた真民さんの詩・「本気になると」が、置き忘れていた。
置き忘れていた詩を読んでみたら、こころの奥底
に置き忘れていた大事な感覚みたいなものが
蘇ってきた。「わすれる」というのもいいものだ。

「本気になると」

本気になると

自分がかわってくる

世界が変ってくる

変ってこなかったら

本気になっていない証拠だ

本気の恋 本気の仕事

ああ 一生一度

こいつを掴まんことには・・・ 真民

今年は「本気」にならないと、いけない場面がいっぱいありそう。



だらだら忘年会

2010-01-01 10:42:55 | Weblog
池袋にいたころは、よく「だらだら忘年会」をやった。

年末の資金繰りがうまくいった人は、気前よくいい酒と酒肴を持ってくる。
地獄のような資金繰りをしている人は、あきらめて、はやめにきて、夜逃げ
のように、静かに酒を飲む、普通の人は普通にきて、悲喜こもごもの人を
見ながら酒を飲む。年末は、とにかくリセットできる刹那を楽しもう、みたいな
忘年会だった。

箱根山 かごにのる人 かつぐ人 そのまた草鞋をつくる人

人それぞれ役割がある。今年はきっと、みんなで協力しながら、かごを
かつぐ、みたいなことが多くなると思う。前でかつぐ人が、いっぱい
いっぱいになったら、休んでやらないといけないし、自分がきつくなって
投げだすと、いろいろな人の迷惑になる。「個」の時代といわれるけど、
ヨコにうまく連携しながら、バランスをとっていかないと、うまくいかない
時代でもある。

昨日の夜は、ピアノの赤松林太郎くん、オーボエの渡辺佳代ちゃん、
ソプラノの愛甲雅美ちゃんが、素敵な音楽をやってくれた。
林太郎くんと佳代ちゃんは2007年の大晦日は、お客さんとして
カウンターで大晦日を過ごした。林太郎くんなんて、トリツカレタ
みたいに「死神」を飲んでいたが、昨日は、バッハにとりつかれた
チェンバロ奏者みたいに、やさしい音色のピアノを奏でた。
佳代ちゃんのオーボエはいつ聴いても、元気になるオーボエ。
雅美ちゃんは、5月の「墨田ぶらり下町音楽祭」のとき以来、
ひさしぶりにテンション高い素敵な声が天真庵に響き渡った。

4日の「事始めコンサート」は、18時開演。
N響の山根さん、その山根さんとベルギー時代からいっしょに
研鑽を重ねた大宅さんのピアノ。ふたりの音楽にあわせて、俳優の
新城さんが詩を朗読してくれる会。
「ひとつごと」を一所懸命やってきた人たちが、横につながりながら
優美に広がっていく。今年の「寅」は、そんな年になればいいと思う。