2010/2/22、東京ドームシティ、ジオポリスのシアターGロッソでの開催。
レッド・カーペット・セレモニーの後、舞台挨拶に主役のローガン・ラーマン、
プロデューサーのマイケル・バーナサン、クリス・コロンバス監督、
日本語吹替え版でユマ・サーマンの声の木村佳乃、主役の吹き替えの稲葉友らが登場。
その話は別記事にします。
ローガン・ラーマン、アレクサンドラ・ダダリオ、ピアーズ・ブロスナン、
キャスリーン・キーナー、ショーン・ビーン。
**
冒頭は海から現れた巨人(ケビン・マクキッド)が普通の男性に姿を変えて
ビルの屋上でショーン・ビーンと言い争いになる。
男はポセイドンで、ショーン・ビーンはゼウス。
ゼウスは最強の武器である稲妻をポセイドンの子が盗んだとし、
14日以内に返さなければ、戦いを起こすと告げる。
*
高校生のパーシー・ジャクソン(ローガン・ラーマン)は、
勉強はからっきしダメで、黒板の文字も歪んで見える。
博物館で、車いすのブルナー先生(ピアーズ・ブロスナン)の講義を受けていると、
臨時講師の女性に襲われる。
「ゼウスの稲妻を返せ」と言われたと告げると、
ブルナーはグローバーにパーシー・ジャクソンをある場所へ連れて行くよう指令する。
わけのわからないパーシー、母サリー(キャサリーン・キーナー)と
グローバーとハーフ訓練所(Camp Half blood)へ向かうが、
ミノタウルスに襲われ、母は煙と消える。
ハーフ訓練所は神と人間の間にできた半神半人デミゴットの訓練所で、
パーシーはアテナの娘アナベス(アレキサンドラ・ダダリス)と出会う。
訓練所にハデスが現れ、母は死んでおらず、稲妻を返せば母を返すと告げる。
パーシーは、稲妻を盗んでいないことをハデスに告げるため、冥界に行くことにし、
ヘルメスの子ルーク(ジェイク・アベル)に地図を借り、
グローバーとアナベスと3人で冥界へ向かう。
冥界までには3つの試練(=3つの真珠を獲得)を乗り越えねばならない。
パーシーたちは、次々と訪れる危機を乗り越えていくことができるだろうか。
ゼウスの稲妻はいったい誰が何のために盗んだのだろうか。
***
ハリー・ポッターの話を現代に実在する場所と、
ギリシャ神話との関連付けで焼き直したような設定。
ボルデモートのような巨悪とその一味は出てこないが、
名所を巡る冒険活劇といえば「ナショナル・トレジャー」のようでもある。
平凡な人物が実は高貴な出という点は「ナルニア国物語」のペベンシー兄弟のようでもある。
ストーリーに突っ込みどころは満載だが、もともと設定が荒唐無稽なので
あまり気にならない。
むしろ、この手の「ダメ男と思われていた自分が特別な能力を持つ人物だとは知らず、
訓練によって本来の能力を発揮し悪と戦う」映画の典型のようなシナリオ展開に
先読みができる以前の「型にはまった」安心感というかマンネリズムを感じてしまう。
原作は一応5巻ものらしいので、当たれば次回作もあり得るんだろうが、
かなり厳しい気もする。
本のあらすじを見ると映画よりもう少しファンタジックな香りがする。
ちなみに原作本は、2005年から毎年1巻ずつ刊行され、
2007年には「ハリー・ポッター」を抜いて、児童書の全米ナンバー1となったそうだ。
本のパーシー・ジャクソンは12歳から16歳までの設定。
パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々
(1)盗まれた雷撃
(2)魔海の冒険
(3)タイタンの呪い
(4)迷宮の戦い
(5)最後の神
レッド・カーペット・セレモニーの後、舞台挨拶に主役のローガン・ラーマン、
プロデューサーのマイケル・バーナサン、クリス・コロンバス監督、
日本語吹替え版でユマ・サーマンの声の木村佳乃、主役の吹き替えの稲葉友らが登場。
その話は別記事にします。
ローガン・ラーマン、アレクサンドラ・ダダリオ、ピアーズ・ブロスナン、
キャスリーン・キーナー、ショーン・ビーン。
**
冒頭は海から現れた巨人(ケビン・マクキッド)が普通の男性に姿を変えて
ビルの屋上でショーン・ビーンと言い争いになる。
男はポセイドンで、ショーン・ビーンはゼウス。
ゼウスは最強の武器である稲妻をポセイドンの子が盗んだとし、
14日以内に返さなければ、戦いを起こすと告げる。
*
高校生のパーシー・ジャクソン(ローガン・ラーマン)は、
勉強はからっきしダメで、黒板の文字も歪んで見える。
博物館で、車いすのブルナー先生(ピアーズ・ブロスナン)の講義を受けていると、
臨時講師の女性に襲われる。
「ゼウスの稲妻を返せ」と言われたと告げると、
ブルナーはグローバーにパーシー・ジャクソンをある場所へ連れて行くよう指令する。
わけのわからないパーシー、母サリー(キャサリーン・キーナー)と
グローバーとハーフ訓練所(Camp Half blood)へ向かうが、
ミノタウルスに襲われ、母は煙と消える。
ハーフ訓練所は神と人間の間にできた半神半人デミゴットの訓練所で、
パーシーはアテナの娘アナベス(アレキサンドラ・ダダリス)と出会う。
訓練所にハデスが現れ、母は死んでおらず、稲妻を返せば母を返すと告げる。
パーシーは、稲妻を盗んでいないことをハデスに告げるため、冥界に行くことにし、
ヘルメスの子ルーク(ジェイク・アベル)に地図を借り、
グローバーとアナベスと3人で冥界へ向かう。
冥界までには3つの試練(=3つの真珠を獲得)を乗り越えねばならない。
パーシーたちは、次々と訪れる危機を乗り越えていくことができるだろうか。
ゼウスの稲妻はいったい誰が何のために盗んだのだろうか。
***
ハリー・ポッターの話を現代に実在する場所と、
ギリシャ神話との関連付けで焼き直したような設定。
ボルデモートのような巨悪とその一味は出てこないが、
名所を巡る冒険活劇といえば「ナショナル・トレジャー」のようでもある。
平凡な人物が実は高貴な出という点は「ナルニア国物語」のペベンシー兄弟のようでもある。
ストーリーに突っ込みどころは満載だが、もともと設定が荒唐無稽なので
あまり気にならない。
むしろ、この手の「ダメ男と思われていた自分が特別な能力を持つ人物だとは知らず、
訓練によって本来の能力を発揮し悪と戦う」映画の典型のようなシナリオ展開に
先読みができる以前の「型にはまった」安心感というかマンネリズムを感じてしまう。
原作は一応5巻ものらしいので、当たれば次回作もあり得るんだろうが、
かなり厳しい気もする。
本のあらすじを見ると映画よりもう少しファンタジックな香りがする。
ちなみに原作本は、2005年から毎年1巻ずつ刊行され、
2007年には「ハリー・ポッター」を抜いて、児童書の全米ナンバー1となったそうだ。
本のパーシー・ジャクソンは12歳から16歳までの設定。
パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々
(1)盗まれた雷撃
(2)魔海の冒険
(3)タイタンの呪い
(4)迷宮の戦い
(5)最後の神
だからもっと面白くなるはず、いやもっと面白いに違いないなんて思ってしまいました。
そういう意味で続編をきっちり作ってもらって、そこで改めて本当の勝負なのかなって気がします。が…これはちとなぁ…
もし続編があるとすれば、第2巻の物語でしょうか。
「魔界の冒険」
ハーフ訓練所を松の木に変身して守り続けるタレイアに毒を注入して枯らそうとした者がおり、ハーフ訓練所は魔物に入り込まれて乱れる。
ケイロンは毒の疑いで左遷され、学校が襲われたパーシーは訓練所に戻って、アナベスとタイソンとともに松を再生させる「魔法の金色の羊の毛皮」を探しに行く。
そのうち、ゼウスやポセイドンの父でもあるクロノス(ローマ神話ではサトゥルヌス)も出てくるそうで、クロノスとゼウスらの戦いになるらしいです。
本のパーシーは12歳から16歳までと言うことは、1巻目が原作の本作は、12歳の設定なんですね。でも、映画は高校生?くらいの
感じでしたよね(^^ゞ
物語に厚みは感じられませんでしたが(^^ゞ
現代とギリシャ神話の設定は新鮮な感じがして
結構面白く観ることができました\(^O^)/
続編は厳しいですか(^^ゞあったら、観てみたい気がするのですが(^_-)-☆
>映画は高校生?
映画の設定は17歳らしいですが本人もほぼ同じ。
舞台挨拶では18才と言ってました。
>現代とギリシャ神話の設定は新鮮
かなり無理やりっぽい気もしましたが、確かに新鮮でした。
>続編は厳しいですか
監督は「当たれば続編を」みたいなことを言ってましたけど、ちょっと微妙ですね。
今の興収から見て赤字は避けられそうですが、
物語自体は単純明快なので、誰にでも楽しめるように作ってあるように思えました。
続編製作して欲しいですが、
アメリカでの興行成績は芳しくないですね。
サクサク行きすぎなのはしょうがないとして、
私は衣装と武器のアナクロなところが違和感でした。
自分だけが特別な存在である自分の素性を知らず、
不幸に出会ってそれを知り、訓練で能力が顕在化し、
悪の親玉と戦って苦戦しつつこれを倒す。
典型的な展開のシナリオでした。
時間がないのに「まずは訓練だ」なんて言っとる場合か、って突っ込んでしまいました。
こいつも年越しでのお返しコメントとなってしまいました申し訳ありません。
>本のあらすじを見ると映画よりもう少しファンタジックな香りがする。
原作は読んでおりませんが、独特の雰囲気に浸れるような作品なのかもしれませんね。
映画化することで映像化・より具象化されると、しょうも無いストーリーを単にダラダラと…となってしまうのかも?
では、また来させていただきます。今後とも宜しくお願いいたします。
これは難しいところですね。
想像されたイメージを具現化すると意外と普通だったりするわけで。
NYやラスベガス、ハリウッドなどで、アメリカの子供たちはハリポタよりも身近(=現実的)に感じたんじゃないかなと勝手に思ってます。