先日、大学で先生の発言で気になったことがあった。
明治5年、それまでの太陰暦(太陰太陽暦)を改め、太陽暦にすることとなった。
切り替えは、明治5年12月3日。
明治5年は12月2日までとし、翌日は明治5年12月3日ではなく、
明治6年1月1日とする、というものだった。
ここまでは事実であり、異論はない。
気になったのは次の一言。
「私は12月5日生まれなので、もし明治5年に生きていたら、
その年は誕生日がなかったことになる。」
その時はフムフムと思ったが、というのは嘘で、
当時は数え年のはずだから、誕生日ってどうだったんだろう。
「誕生日がない」としても誕生日自体に意味があったのか疑問だ。
気になって調べてみたら、当時は数え年で誕生日の概念があいまい。
年をとるのは年明け、つまり1月1日であり、誕生日ではない。
誕生日はそれほど重い意味のある日ではなかったのではないか。
もう少し調べてみたら、よくよく考えれば誕生日がないのは
何も明治5年の12月に限らない。
改暦前の当時の暦では、閏月があり、13カ月の年があった。
閏月は翌年にはないから、閏月生まれの人は翌年誕生日がない。
それも今のうるう日の2月29日のように閏月は何月と決まっているわけではなかった。
そもそも閏月は計算上19年に7回あり、1年のどこかに挿入される。
12月に続いて13月があるのではなく、
ある年は4月に続いて閏4月があって5月だったり、
ある年は8月、閏8月、9月などとなっていた。
閏月をどこに入れるかは、ルールが確立しておらず、
暦作成者の判断で決められていたらしい。
ということで、現在の2月29日なら4年後には絶対やってくるが、
同じ閏月は次いつやってくるのかわからない。
仮にまんべんなく閏月を振っていたとしても一巡するのに30年以上かかる。
例えば、明治3年(1870年)は閏10月があったが、
その前に閏10月があったのはなんと1786年だった。(84年後!)
閏4月は1868年にあり、その前は1849年(19年後)
閏5月は1865年と1857年(8年後)とバラバラだ。
更にいえば、改暦で太陽暦になったからと言って、
急に誕生日が重い意味を持つわけではない。
それまでと同じく1月1日に加齢するのであれば、
誕生日を意識する必要性は低い。
現に年齢は数えではなく満年齢とする「年齢計算ニ関スル法律」ができたのは
ずっと後、1902年(明治35年)12月の事。
それでもなお数え年の慣習はなくならず、
1950年に改めて「年齢のとなえ方に関する法律」が施行され、
やっと満年齢が徹底されるようになった。
つまり、明治5年(1872年)当時、
改暦によって12月3日から30日までが飛ばされても、
誕生日がなくなることで違和感を感じる人はいなかったと思われる。
最後に、現在のうるう日、2月29日生まれの人はどうなのかというと、
平年の誕生日は2月28日とみなすよう定められている
明治5年、それまでの太陰暦(太陰太陽暦)を改め、太陽暦にすることとなった。
切り替えは、明治5年12月3日。
明治5年は12月2日までとし、翌日は明治5年12月3日ではなく、
明治6年1月1日とする、というものだった。
ここまでは事実であり、異論はない。
気になったのは次の一言。
「私は12月5日生まれなので、もし明治5年に生きていたら、
その年は誕生日がなかったことになる。」
その時はフムフムと思ったが、というのは嘘で、
当時は数え年のはずだから、誕生日ってどうだったんだろう。
「誕生日がない」としても誕生日自体に意味があったのか疑問だ。
気になって調べてみたら、当時は数え年で誕生日の概念があいまい。
年をとるのは年明け、つまり1月1日であり、誕生日ではない。
誕生日はそれほど重い意味のある日ではなかったのではないか。
もう少し調べてみたら、よくよく考えれば誕生日がないのは
何も明治5年の12月に限らない。
改暦前の当時の暦では、閏月があり、13カ月の年があった。
閏月は翌年にはないから、閏月生まれの人は翌年誕生日がない。
それも今のうるう日の2月29日のように閏月は何月と決まっているわけではなかった。
そもそも閏月は計算上19年に7回あり、1年のどこかに挿入される。
12月に続いて13月があるのではなく、
ある年は4月に続いて閏4月があって5月だったり、
ある年は8月、閏8月、9月などとなっていた。
閏月をどこに入れるかは、ルールが確立しておらず、
暦作成者の判断で決められていたらしい。
ということで、現在の2月29日なら4年後には絶対やってくるが、
同じ閏月は次いつやってくるのかわからない。
仮にまんべんなく閏月を振っていたとしても一巡するのに30年以上かかる。
例えば、明治3年(1870年)は閏10月があったが、
その前に閏10月があったのはなんと1786年だった。(84年後!)
閏4月は1868年にあり、その前は1849年(19年後)
閏5月は1865年と1857年(8年後)とバラバラだ。
更にいえば、改暦で太陽暦になったからと言って、
急に誕生日が重い意味を持つわけではない。
それまでと同じく1月1日に加齢するのであれば、
誕生日を意識する必要性は低い。
現に年齢は数えではなく満年齢とする「年齢計算ニ関スル法律」ができたのは
ずっと後、1902年(明治35年)12月の事。
それでもなお数え年の慣習はなくならず、
1950年に改めて「年齢のとなえ方に関する法律」が施行され、
やっと満年齢が徹底されるようになった。
つまり、明治5年(1872年)当時、
改暦によって12月3日から30日までが飛ばされても、
誕生日がなくなることで違和感を感じる人はいなかったと思われる。
最後に、現在のうるう日、2月29日生まれの人はどうなのかというと、
平年の誕生日は2月28日とみなすよう定められている
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