峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

美輪明宏さまの話

2006年05月09日 17時10分09秒 | 思い出話
中学2年だったか3年だったかのある日、
自宅2階のラジオを何気なく聴いていたら、たまたま『ヨイトマケの唄』が流れてきました。
初めて聴くその歌に私は感動しました。
今でもそのときのことを覚えているのだから、かなり感動したのだと思います。

そのときはまだ『丸山明宏』でしたが、間もなく『美輪明宏』に改名しました。
私はレコード店でアルバムを注文し、高校生になってからは渋谷の『ジャンジャン』でのコンサートに何度か通いました。
夜7時からのコンサートに昼の1時頃から並びましたよぉ。

当時は今ほどの人気ではなかったと思いますが、それでもファン層は老若男女さまざまでした。
山手教会の地下、狭い会場の『ジャンジャン』。
当時、美輪さまは反戦歌を積極的に歌っていました。
その反戦歌も、
「♪戦争を知らずに~ ぼくら~は~そだあた~」
みたいな明るい曲調ではありません。

従軍慰安婦の悲惨さを歌った歌や、
「♪世間の奴らは俺たちを 悪魔のなんのと言いやがるが
  今では俺たち悪魔より 人間どもが恐ろしい」
と、恐怖感溢れる曲調の歌などを迫力のある声で歌っていました。

そして、語り。
狭くて暗い会場でした。
下から当たるライトで、美輪さまが経験したコワ~イ話をなさるのでした。
本当に怖かったよぉ~。

美輪さまは、最近では霊能者としての側面で人気が出ていますが、歌手です。
(もちろん、知ってるよネ)
シャンソン歌手としての美輪さまは、
女性らしい優しい声で歌うときは女性らしく。
男っぽい迫力ある歌声で歌うときは男らしく。
どちらも歌えます。

さて、中学時代から「美輪明宏が好き」と友達に言っていたので、
いろいろ美輪さま情報を友達からもらうことはありました。
「猫の話 2」で書いた、友達の‘ヨシコ’ちゃんも私の美輪さま好きを知っていて、
ある日、「美輪さんがロケやるから、そのときお話する?」
と、誘ってくれました。
ヨシコちゃんはそのとき、テレビ関係のお仕事をしていました。
私たち、20代半ば過ぎの頃でした。

「ほほほほほ、ほんとっ
おお。
憧れの人に会える
私は舞い上がらんばかりでした。

上がりきった状態の私は、やっとの思いで少しだけ美輪さまとお話をしました。
「先日のコンサートで、『人生の大根役者』の曲がとても良かったです」と。
それは、フランスのシャンソン歌手、シャルル・アズナブールの『大根役者』の曲に、美輪さまが日本語訳をつけた歌です。

美輪さまは仰いました。
「アズナブールはただ単に役者の話として詞を書いたけど、私は意味を人生に広げて書いたのよ」
この曲は迫力ある男の歌で、私としては今でも美輪さまの歌ベストのかなり上位にランク付けしていますが、
最近のコンサートではあまり歌わないようです。
アルバムには入っています。

美輪さまのコンサートは、去年の夏に聴いたのが最後です。
素晴らしかった。
とくに『ボン・ボヤージ』。
長い一人芝居の語りのあと、歌に入るのですが、その芝居が今までで一番良かった。
どんどん上手になっています。

世間知らずのお嬢様が船乗りの男に惚れて家を飛び出し、世の荒波に揉まれて段々スレていく。
そしてすっかり、したたかな婆さまになったところで、男は他の若い女と出て行くことに。
そんな男を「ボン・ボヤージ」つまり、「良いご旅行を」と言って送り出す。
人生の終盤になってからの、本当の優しさと純情。

老婆になってからの演技が、また素晴らしいのです。
ちなみに『ハウルの動く城』で美輪さまは荒地の魔女役やっていますが、
さらに上の魔女から魔法を解かれ、元の状態に戻されたときの声…
すなわち、ちょっと認知症が入ってる状態になってからの荒地の魔女の声ですが、
その声にそっくりなご婦人を知っています。
『ハウルの動く城』観たとき、あまりのリアルな上手さにびっくりしました。

コンサートでは、エディット・ピアフの『愛の賛歌』も歌いました。
昔は美輪さまの訳詞で、日本語で歌っていましたが、
最近は訳詞を最初に語り、そのあとフランス語で歌うようです。
歌が佳境に入るころ、上から金粉が降り注ぎます。
キラキラと神々しくて、本当にこの世のものとは思えませんでした。

美輪さま、今月15日には71歳のお誕生日を迎えます。
世のため人のため、私のためにも まだまだお元気で現役でいて戴きたいと、
切に願っています。