峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

『生まれてくれてありがとう』応募文

2006年05月16日 11時45分28秒 | 自作品
去年、ポプラ社で『生まれてくれてありがとう』というテーマでの作品募集がありました。
どうしようかと迷いましたが、私の作品にいくつか装丁をデザインして下さったMilkyさんが企画したというので、
ギリギリでメール応募しました。
私の作品は採用されませんでしたが、ここに全文を載せます。
私にとっては貴重な体験を綴った内容です。





『宿ってくれてありがとう』

 私のお腹に初めて命を授かったのは、20代の最後の年。私と夫はもちろんのこと、それぞれの両親も大喜びでした。
 実家近くの産婦人科で何度か診察を受け、医師が首をひねり始めたときも、新しい命の誕生を疑いませんでした。

 ある晩、夢を見ました。お腹から何かが抜け出ていってしまう夢。
 翌日、義母に
「赤ちゃんが出ていっちゃったかもしれません」
と、冗談半分に言うと、義母は笑いながら、
「そんなことあるはずない」
と答えていました。
 そして次の診察のとき、医師から3ヶ月になるのに心臓も出来ていないことを告げられました。
 この子は生まれることができないというのです。
 ボンヤリした頭で病院を出て、実家に戻ると堰を切ったように母の前で泣きました。

 間もなく大出血があり、入院。翌日に手術。
 全身麻酔を受け、私は眠りに落ちました。
 麻酔の夢の中で、なぜか俳優の中井貴一さんに似たアンドロイドが現れ、
「人間の身体は機械のように精密なものだ。精神の力だけではどうにもならない」
と、言われました。
 次に、カプセル状のエレベーターのような乗り物で上下に移動し、そこから下りると、私はガラス張りの部屋のようなところの前にいました。
 そこは、「生命」の字のつく部屋でした。その中に「何か」があり、私はそれをじっと見ていました。
 そのときの私には「私」という意識はなく、ただそこにいてそれを見つめていました。
 そのうち、誰かに揺り動かされました。

「起きてください。手術は終わりましたよ」
 看護婦さんの声でした。
 意識が戻ると同時に、私の脳裏に今の自分の記憶が、どこからか飛んで来ました。
 それはまるで、何枚もの薄い鉄板が強力な磁石に吸い寄せられるように、ペタペタと私に貼りつきました。
 一枚一枚の鉄板に、自分の名前、住所、今の状況などが書いてあるようでした。
 私はその記憶を鬱陶しく感じました。記憶が貼りつく前の自分が心地良かったのです。
 後からできた情報及び、悲しみや執着。それらが一切削ぎ落とされた、素の魂の状態が。
 たぶん、命の大元に帰ったのであろう、我が子を見つめていた時間が。

 その後、私は3人の子供を授かりました。人間の形に生まれ、心優しく育ってくれている3人の子供たちが愛しいのはもちろんだけれど、この子への愛情と感謝も、私は忘れたくありません。

 この企画を目にしたとき、テーマの主旨とは違うと感じながらも思い出し、書きたくなったのは、私の最初の子である、生まれることのできなかった子のことでした。

 一度は私に宿ってくれてありがとう。
 今どこかであなたが幸せになっていることを、心から願っています。