旧甲賀郡水口町(みなくちちょう)は滋賀県東南部に位置した町です。甲賀郡甲賀町、土山町、甲南町、信楽町、甲西町、蒲生郡竜王町、蒲生町、日野町に隣接。天正13年(1585)、秀吉の命によって水口岡山城が築かれるとその城下町として整備され、江戸時代には城下町がそのまま近世東海道の宿場町に転じ、土山宿と共に近江国側の宿場町として栄えてきました。歌川広重の描く「東海道五十三次」には、50番目の宿場として「東海道五十三次 水口 名物干瓢」が描かれています。「町の木:ヒノキ」「町の花:サツキ」「町の鳥:雉」を制定。古代は東海道、中世は伊勢大路が通る要衝として開けた。
明治22年(1889)、町村制の施行により、甲賀郡水口村・柏木村・伴谷村・貴生川村・北杣村が発足。
1894年、水口村が町制を施行して甲賀郡水口町が発足。
1942年、水口町が甲賀郡柏木村(第1次)を編入。貴生川村・北杣村が合併、甲賀郡貴生川町が発足。
1948年、大字泉・酒人・宇田・植・北脇が分立し、新たに甲賀郡柏木村が発足。
1955年、 甲賀郡伴谷村、柏木村、貴生川町と合併し、改めて水口町が発足。
1956年、甲賀郡土山町大字今郷地区を編入。
1956年、甲賀郡甲賀町大字嶬峨・和野地区を編入。
2004年、甲賀郡土山町・甲賀町・甲南町・信楽町と合併、甲賀市水口町となりました。
マンホールには、水口神社の例祭・水口曳山祭で使われる曳山の車輪がデザインされています。(近江鉄道本線 水口石橋駅付近の商店街)
「米屋町 曳山」
淡海環境プラザ展示マンホール「東海道五十三次の五十番目の宿場町であり、また二万五千石の城下町として栄えた享保二十年(約二百七十年前)から伝わる 水口曳山祭(水口祭)で巡航する「曳山の車輪」をデザイン化したものです。 周囲には、町の花「さつき」を図案化して配置しています。」
昭和37年12月制定の町章は「水口町の「水」を図案化したもので、円形で団結平和を、 左右の翼で発展飛躍を示し、のびゆく水口町を象徴して います。」合併協議会資料より
「町の花 :サツキ」がデザインされた、路上タイル画
撮影日:2008年7月19日&2009年3月21日