車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ふらり村岡城下町 in 兵庫県香美町村岡 

2023年09月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

「江戸時代に城下町として栄えた姿を今も残す村岡。山名氏が陣屋を構えた「御殿山公園」や、川筋の武家屋敷などに今も面影を残す古い街並み。」と・・心惹かれるフレーズに抗しきれず😅、早朝からの町歩き。

冒頭に山名陣屋の案内を紹介しましたが、時間的にあまり余裕のない町歩きなので(余裕があっても)、山登り系は負担が重くてパス😅。主目的は旧但馬國に現存する明治期の郡役所2棟の一つを見る事。

明治27年(1894)に竣工した旧七美郡役所(旧美方郡役所)。木造2階建て、切妻、平入、桟瓦葺、外壁は下見板張り。縦長の上げ下げ窓、バージボードにギリシャ神殿風の玄関ポーチ柱、蛇腹などに当時の洋風建築の要素が取り入れられており、旧出石郡役所と共に兵庫県に残る明治期の貴重な郡役所の一つ。昭和62年(1987)に現在地に移築復元され、現在は「村岡民俗資料館まほろば」として利用されています。

二階展示コーナーには、兵庫県指定文化財文堂古墳出土の「金銅装頭椎太刀」をはじめとする41点、及び町内で採集された縄文土器などが展示されているそうですが、目的はこの美しい疑洋風建築の建物だけなので😅。

慶長6年(1601)、関ヶ原合戦の功によって美方郡六千七百石を拝領した山名豊国。寛永19年(1642)、三代目:矩豊の代に黒野村の尾白山西方に陣屋を移して村岡村と改め、これを中心として城下町を形成。以後、七美郡の政治・経済の中核として繁栄してきました。商店街のアーチには山名氏の「二つ引両紋」がくっきり。

町並みに今も残る風情のある佇まい

 藩公山名氏の総菩提寺、天台宗寺院「東林山:法雲寺」『釈迦牟尼如来』を本尊とする但馬七花寺霊場の一つ。

山門から正面に見える、白壁に「二つ引両紋」の土蔵は山名氏史料館「山名蔵」。山門前には「高松宮殿下行啓之跡」の碑が建立されています

わずか20分足らずの町歩き・・😐 町歩きというのもおこがましい短時間ですが、それなりに記憶に残る景色に出会えました。

訪問日:2014年11月16日

 

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大乗寺:山門彫刻 in 兵庫県香美町香住

2023年09月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

香美町香住区森にある高野山真言宗寺院「亀居山:大乗寺」『聖観音』を本尊とします。西国薬師四十九霊場第二十八番札所。 江戸中期の画家『円山応挙』やその一門の手による襖絵などを多く所有する事から「応挙寺」の名で親しまれています。

「寺伝によれば、天平17年(745)に行基が自刻の聖観音を本尊として創建したと伝えられる。その後、戦乱を受け寺勢は衰退するが、江戸時代後期・寛政年間に当時の住職、密蔵らにより再興された。」Wikipediaより

応挙寺とも称される「大乗寺」ですが、今回の参拝目的は、応挙の襖絵ではなく県指定文化財の山門。立ち寄り地の付近を検索して、やっと見つけた「中井権次一統」の彫刻😊。

2011年3月、出石の諸杉神社で初めて出会った丹波柏原藩の宮大工『中井権次一統(なかいごんじいっとう)』。かの地では八代目『中井権次橘正胤』でしたが、今回は七代目『中井権次:橘正次』の社殿彫刻。まずは手挟(たばさみ)から。

木の上で遊ぶ一対の猿。葉の感じ、実の尽き方から見ると、どうやら枇杷の木みたいで、こちらには子猿の姿も見えます。

向拝部分の唐獅子、何か細長くて平たい大きな生き物らしきモノを咥えていますが?? はっ!!もしかしてこれが「獅子身中の虫・・な訳が無い」!!😆

こちらは親子獅子でしょうか?親の背中にじゃれついて遊ぶ子獅子の姿の愛らしさは、霊獣も人も変わりません。

後ろ足で首の下を掻く仕草、ネコ科の生き物を飼った人には馴染みのある仕草ではないでしょうか。

寺社彫刻の定番中の定番は、何と言っても木鼻彫刻。こちらでは唐獅子が主役のようで、実に様々な表情の唐獅子たちが阿吽の呼吸で参拝者を迎えてくれます。からかうような笑顔でニュッと首を突き出し、下界を見下ろす獅子。

思い思いの表情を見せる獅子たち、普段は鋭い爪も、鋭い牙もこんな風にそっと隠しているのですが・・ここから筆者の妄想がさく裂😆

何があったのか、嚙み締めた口の端から牙を見せて突然威嚇しはじめた獅子。吊り上げた口元を抑える前足には鋭い爪が・・

なんて、嘘うそ、そんなにびびら無くとも、お前さんたちが何もしなければ、我らとて何もせんよ。

いやいや、すっかり怖がらせてしまったかな~。長い歳月をここで過ごしていると、つい揶揄いたくなってな。ほれ、我のとっときの宝玉を見せてやるから機嫌を直せ。

そうか、そうか。機嫌が直ったか。何?あの宝玉がもっと見たいというのか?、止めておけ、あんなものを長く見ているとお前も人の姿でなくなるぞ。

ひとしきり貫彫刻の獅子で遊んだ後は再び手挟にもどって、こちらは水と戯れる鴛鴦。木造建築の一番の敵は何と言っても火災。水に縁のある生き物を置く事で、火難除けの意味を持たせます。

同じく火難除けの波乗り兎。にこやかな笑みを浮かべて振り返る親ウサギ。目線の向こうには子ウサギが。

遅れまいと必死に追いかける子ウサギ。目元、口元の表情にいろんな思いがこめられています。

こちらは松に鷹で、いわゆる「松鷹図」と呼ばれるもの。常緑の「松」は生命力の象徴、「鷹」は力強さの象徴として表されます。

とは言え、この鷹・・・一体何を見つけたんでしょうね。羽を広げて下界を見下ろす目の鋭さがもうまるで別の世界の生き物みたいで・・😲

本堂の彫刻も捨てがたかったのですが・・客殿の拝観をしない身にはいささか居心地が悪く😅

式台の円山応拳像にご挨拶をし、「大乗寺」を後にしました。

参拝日:2014年11月15日

 

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余部橋りょうと「空の駅」 in 兵庫県香美町香住

2023年09月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

香美町香住区余部、JR西日本の山陰本線鎧駅~ 餘部駅間にある「余部橋梁(あまるべきょうりょう)」。展示された「山陰本線 余部橋りょう」は、かって余部鉄橋の中央部分の現物で、41mの上空にあったものです。

明治45年(1912)3月1日に開通した「初代:余部橋梁」。鋼製トレッスル橋は「余部鉄橋」の通称でも知られ、2010年7月16日夜に運用を終了するまでの98年間、現役で活躍していました。日本海を背景に、満開の桜の中をゆく赤い列車・・まさに絵のような光景です。

昭和34年4月に開設した「餘部駅」の詳細と、その様子を写した当時の白黒写真。右手には「開設記念」碑が建立されています。

クロスに架けられた日の丸をつけて誇らしげに停車する電車。ホーム一杯に、線路の脇に、餘部駅完成を祝い振られる幾十もの日の丸の小旗・・・

わけもなく胸にこみあげる熱い塊の正体が何なのか・・感動と呼ぶにはあまりにも薄っぺらい知識しかない私たちですが、やはり素直に感動としか表現できません。

二代目となる現橋梁は、エクストラドーズドPC橋と呼ばれるもので、2007年3月からの架け替え工事を経て、2010年8月12日に供用が始まりました。

その際、地元からの「餘部駅に余部鉄橋の記念になるものが欲しい」との要望に応えたJR西日本により、元橋脚の一部鋼材を使用したベンチが「余部鉄橋空の駅開設記念碑」と共に設置されています。

近代土木遺産としての価値が高い旧橋梁の橋脚保存については、様々な観点から検討された結果、兵庫県は2009年3月に餘部駅寄りの3本の橋脚・桁を残すパターンを採用。

また余部周辺の観光資源の整備の一環として、道の駅とともに「鉄橋展望台:空の駅」の整備を行い、2013年5月3日にオープンさせました。

高所恐怖症の私が!ありったけの根性を振り絞って!!必死でこの位置まで歩いて来ました(笑)

夕闇がそろそろあたりを包み始める時間帯に加えての生憎の雨ですが、見下ろす日本海の白波は、怖いくらい強烈な印象だったと、これはご亭主殿の感想。何しろ、下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さは41.45 mもあるのです・・とても間近まで行くなんて、そんな恐ろしい事(^^;)(^^;)

そうこうしているうちに電車が近づく気配。夕闇が迫り始める時間。雨に濡れたホームに近づく電車の明かりは、わけもなくホッとする安堵感を与えてくれます。

激しさを増す雨に追い立てられるように下界に下りた二人。道の駅が開いているうちに今夜の食材をゲットしなければ。御亭主殿、「鉄橋グッズ」で余韻に浸っている場合じゃないですよ(笑)

明日はお天気だと予報では言ってたけれど、どうだろう? お天気になってくれないと明日の「カニ祭りが~~~~~!!」💦 あっ、また電車が来たみたい。こんなシチュエーションなんて、もう二度とないかも。

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私たちが余部鉄橋の存在を知ったのは昭和61年(1986)12月28日、強風にあおられた回送列車が高さ約40メートルの鉄橋からカニ加工場に転落。 従業員の主婦5人と列車の車掌1人が犠牲となり、6人が重傷を負ったという・・悲惨な事故のニュースからでした。

実際にその橋梁を目の前に・・否、見上げて、事故現場に建立された慰霊碑を見た時、胸が締め付けられるような痛みをおぼえました。私たちにはただ手を合わせ、失われた命に瞑目する事しかできません🙏🙏。

撮影日:2014年11月14日

前後しましたが、この日は明日の「浜坂カニ祭り」に参加する為にこちらの「道の駅:あまるべ」にて車中泊をさせて頂きました。地元特産の美味しいお魚はご亭主殿の夕食のおかずに。おいしそうな柿は自分用とお土産用に😊

車で旅をする者にとってこうした施設は本当に有難く大切な場所です。改めて、その節は本当に有難うございました😊😊。

 

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小守(こもり)神社 in 兵庫県豊岡市竹野町

2023年09月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市竹野町松本に鎮座される「小守(こもり)神社」。御祭神は『底筒男命(そこつつのおのみこと)』

木漏れ日が不思議なまだら模様を描き出す境内。県道9号線沿いにありながら聞こえてくるのはハラハラと木の葉の落ちる音。苔の参道をそっと進む私たちのかすかな足音。

「創立年月不詳。延宝5年(1677)本殿を再建す。明治6年(1873)10月村社に列せらる。」兵庫神社庁HPより

覆屋の社殿前より神域を守護されるのは、出雲丹後構えの狛犬さん一対。どれほどの時をここで過ごされたのか、豊かな毛並みはすっかり磨耗し、すでにその表情さえも判別できません。

構え狛犬さんの手前で神域を守護されるのは、同じく出雲丹後系の狛犬さん一対。風化による摩耗はさらに激しく、手を触れるのが怖くなるほど。もしも次にここに来られたとしても・・・今、ここで出会えたことに感謝です。

境内社

境内入り口に建立されていた、松本地区の出身『仲田光成(なかた こうせい)』の書碑。近代仮名書道の第一人者である『尾上柴舟』の高弟で、若くして古典を究め、鋭い線条による空間構成で独自の大字仮名を確立した人物です。リンク先の「豊岡市バーチャル美術館」に彼の書が展示されています。


【 むかし我が 泳ぎし川に来て見れば 流れは今も澄みぬれど あたりに人の 影さへもなし 】

参拝日:2010年11月4日

 

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阿故谷神社 in 兵庫県豊岡市竹野町

2023年09月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市竹野町阿金谷に鎮座される「阿故谷神社」。御祭神は『五百筒磐石命(いおずついわいしのみこと)』江戸時代には「妙見大権現」と称されていたとか。

と・・定番通りに進めたい所ですが、実はこの神社を見つけたのは城崎温泉を後にして小森神社に向かう途中で、全くの偶然。車内からこんな光景が見えて、慌てて車を停めたのです。

社号標のある石段参道・・・途中まで行きましたが石段の先はこんな感じ。城崎温泉のそぞろ歩きで少々お疲れのご亭主殿、これを登る根性は無く、目についた狛犬さんだけを画像におさめる事に(^^;)

でも改めて見ると、このはるか下にも鳥居が有るのですが・・・神社の位置関係が???? でもやっぱり回り道をして確かめに行く根性が無く、ご亭主殿の目的は、とりあえず狛犬さんだけ(笑)

とてもとても中途半端な場所から神域を守護されている出雲丹後構えの狛犬さん一対。傷みもなくとても良い表情で唐突な来訪者を迎えてくれました。

帰宅して地図で確認したところ、眼下に見えていたのは「石原神社」と判明。で、こちらの「阿故谷神社」の別名が「石原神社」だったらしい・・。石段を上がらなかったのは仕方ないけど・・下の神社は平地だったよね(-_-;)

 参拝日:2010年11月4日

 

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海(あま)神社 in 兵庫県豊岡市(旧城崎町)

2023年09月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

旧城崎地区、豊岡市小島海(あま)ノ宮に鎮座される「海(あま)神社」。御祭神は『大綿津見命』。延喜式神名帳にある「海神社(但馬国・城崎郡)」に比定される式内社(名神大社)の論社。

創建は不詳。「天武天皇白鳳3年(674)に絹巻神社の相殿となる。明治3年(1870)別殿に仮遷座し、翌明治4年、現在地に遷座した。明治6年(1873)10月、村社に列し、明治12年(1879)2月、本殿覆を建立する。」

柿葺き・春日造の本殿、お姿は肉眼でかろうじて拝見できましたが、フラッシュ無しで画像に残すには、境内はあまりにも暗すぎます。

本殿覆屋の前より神域を守護されるのは、明治38年(1905)12月建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。 こんなに海が近いのに鎮守の森の守りが固いからなのか、剥落の無い綺麗なお姿。

鮮やかな牡丹の台座

こうして並べると、仲良しの二人が何かとっても楽しいことを相談しているように見えて、できれば仲間に加わりたいような雰囲気。

「境内社:金刀比羅社

境内参道の左手の苔生した一画に鎮座する巨大な岩。式内社調査報告によれば、境内に「鰐岩」と呼ばれる磐座が有るとの事、おそらくこれかと思われます。

また鳥居を潜ってすぐの右手には「耕地開墾の碑」

県道三号線から見る円山川

参拝日:2010年11月4日

 

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ふらり~城崎温泉街 in 兵庫県豊岡市城崎

2023年09月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

古くから歌に詠まれ、志賀直哉の短編「城の崎にて」が生まれるなど、文豪や歌人から愛された「城崎温泉」。平安時代の古今和歌集に「但馬の国の湯へまかりける時、二見の浦と云う所にとまりて…」(藤原阿法師)とあるように、1000年以上も前から都の貴人がはるばる城崎の温泉に赴いていたことが明らかにされています。江戸時代になると、「海内(日本)第一泉(かいだいだいいちせん)」と呼ばれ、有馬、湯村とともに兵庫県を代表する温泉として、多くの観光客を集めてきました。

しだれ柳が緩やかにゆれる「大谿(おおたに)川」。川沿いに軒を連ねる温泉街の風情は、観光パンフレットなどですっかりお馴染み。この景色を見た瞬間「ああ、城崎温泉に来たんだ」と、わけもなく感動します(笑)

舒明天皇一年(629)、コウノトリが傷を癒している事が開湯伝説とされる城崎温泉。駅前には「傷をいやすコウノトリ」が美しい羽を広げて観光客を出迎えてくれます。

城崎駅のすぐ横には「下駄奉納板」があり、各旅館の下駄が奉納されています。毎年新しい下駄を奉納し、古下駄は温泉まつりで焚き上げて供養して、城崎温泉を訪れた人達の足元の安全と健康を祈願するそうです。

「下駄奉納板」横に建てられていた『与謝野 寛(鉄幹)』歌碑

【 手ぬぐいを 下げて外湯に行く朝の 旅の心と駒げたの音 】

城崎駅前文学散歩道の碑と「島崎藤村文学碑」。島崎藤村は新聞社の依頼で、昭和2年に城崎温泉から島根県津和野まで旅行し「山陰土産」という紀行文を連載していました。碑には「大阪より城崎へ 朝曇りのした空もまだすずしいうちに大阪の宿を発ったのは、七月の八日であった。」の一節が刻まれています。

文学碑の横には飲泉設備も設けられており、湯飲みなども用意されています。江戸時代の漢方医『香川修徳』が絶賛したという温泉水・・心身に危険が及ばない限り、何でも試してみたい好奇心旺盛な二人、さっそく味見を・・・

感想・・・まぁ・・薬と思えば(笑)、でも恐々の量にしておいて良かった(^^;)

奈良時代初期の養老元年(717)。僧侶であった『道智(どうち)上人』は、当所鎮守「四所明神」の神託により、難病の人々を救う為に千日間の修行を行い、天平年間(720)に温泉が湧出、これが城崎温泉の始まりと伝えられています。その後、道智上人によって「温泉寺」を開山。以後、温泉寺は城崎温泉を象徴する存在となりました。この常夜灯は「地蔵湯」前に建立されています。

「地蔵湯」の名は、この湯の泉源から地蔵尊が出たことに由来しており、入り口近くには美しく化粧を施された地蔵尊が祀られています。

観光地をそぞろ歩く楽しみの一つが、多種多様なお店の看板。どうです、このおいしそうなズワイガニ(笑)大の偏食家の私が、唯一!胸を張って好物と言い切れるのが、実は「カニ」!!思わず足を止めて見上げ「こんな大きなカニなら、三日くらいはもつかもと」と言ったら、「たった三日かい?!」と突っ込まれました(爆)

城崎ならではと言えるかどうか・・ですが、見た瞬間に「城の崎にて」を思い出させたのですから、やはりこれも城崎ならでは。城崎書房の文字が、一瞬「城の崎にて」とオーバーラップして、とても上手な演出だと思いました。

城崎温泉のそぞろ歩きも「弁財天」の額が架かる鳥居の前で終了。拝殿が見えていれば参拝をと思ったのですが、鳥居の奥に続く石段を見て・・ごめんなさい!パス。

代わりというのは大変に失礼ですが、鳥居の近くに祀られていた地蔵堂の石仏様たちに、この先の旅の無事を願ってお参りさせて頂きました。

訪問日:2010年11月4日

 

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出石(いずし)神社 in 兵庫県豊岡市出石

2023年09月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市出石町宮内に鎮座される「出石(いずし)神社」。御祭神は『伊豆志八前大神(いずしやまえのおおかみ)・天日槍命』。式内社で但馬国一宮、旧社格は国幣中社。「出石大社」「出石大神宮」とも称されます。2011年、2014年の二度に渡る参拝です。

創立年代は不詳。「谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、天日槍命を祀ったと伝える。諸書によれば奈良朝時代すでに山陰地方有数の大社であった事がうかがわれる。但馬の国一宮として別名を一宮さんの呼び名で尊敬され、当時泥海であった但馬を瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、殖産興業に功績を遺された神として尊崇を集める。また、鉄の文化を大陸から持って来られた神ともいわれる。」社伝一宮縁起より抜粋

大正8年9月建立の一の鳥居を潜り、奉納灯篭がズラリと並ぶ参道を進むと二の両部鳥居。鳥居額は「一宮」。

二の鳥居左右より神域を守護されるのは、明治39年(1906)11月建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんは顎から下を無くされたようですが、それでもさすがの貫禄。

あざやかな丹塗・八脚門の神門

神門脇に置かれていた「出石町指定文化財 旧鳥居残欠・2基」。昭和8年(1933)の出石川改修の際に出土した木製鳥居の基部で、作られた時期は不明。

大正3年再建の入母屋造り平入り舞殿形式の拝殿

拝殿前の縁より神域を守護される木製の神殿狛犬さん一対。阿吽共に角を持ち、首には不似合いなほど大きな鈴が下げられています。僅かに残る彩色の跡も気になりますが、重大な相談事でもしているかのような姿が気になって・・気になって(^^;)

拝殿から続く渡り廊下と祝詞殿。

大正3年再建の三間社流造りの本殿。社殿はいずれも豊岡市指定文化財。

泥海であった但馬を瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流したという「天日槍の蹴裂(けさき)伝説」が描かれた絵馬。

社殿の右手、禁足地へ向かう参道の脇に鎮座される「境内社:比賣社」。ご祭神は『麻多島(天日槍の妻)』と「境内社:夢見稲荷社」。

拝殿の左に鎮座される「境内社:天神社

休憩所に保存展示されていた出石神社所有の手押しポンプ車

丹塗りの手水舎

境内の一画に、出石町出身で「治水の神様」と言われた『沖野忠雄 氏』の顕著碑。

最初の参拝は2011年3月の夕刻。参道の灯篭に入った灯の暖かさが泣きたいほど綺麗だったことを今も思い出します。

神社からさほど遠くない(と思う)小野川に架かっていた「ひぼこ橋」の親柱。「天日槍の蹴裂(けさき)伝説」がモチーフと思われます。

参拝日:2011年3月30日&2014年11月21日

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御神名一口メモ

『伊豆志八前大神(いずしやまえのおおかみ)』、天之日子が携えていた八種の玉津宝(珠二貫、浪振るひれ、浪切るひれ、風振るひれ、風切るひれ、奥津鏡、辺津鏡)を神格化したもの。

 

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伊福部(いふくべ)神社 in 兵庫県豊岡市出石

2023年09月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市出石町中村に鎮座される「伊福部(いふくべ)神社」。御祭神は『素盞嗚尊』。『天香山命(あめのかぐやまのみこと)・伊福部宿袮命(いふくべすくねのみこと)』を配祀。

「創立年度不詳。天平十九年、伊福部連其祖:天香山命を祀る。又成務天皇四 年二月に、國造船穂足尼:素盞嗚命を祀る「大生部兵主神社」を、弘原庄中村に鎮座し之を大生部神社と崇めた。天正四年、出石領主山名家より田畑三町歩の黒印を受く。又江戸時代、氏子より田の寄進あり石高十石を有すも、天保四年社殿炎上、安政二年本殿再建にあたり、出石藩主仙石讃岐守よりの寄進で現在の社殿が造営された。」拝殿由緒より

本殿向拝には 見事な躍動感を見せる龍。

向拝の柱を肩にのせ、腕一本で支える力神。

木鼻には玉眼を持った獅子と獏

たまに、獏と像の違いって何?と聞かれることがありますが、獏は全身が巻き毛で覆われており、耳が垂れていないのが最大の特徴。まずは耳を確認して決めています。

本殿扉の彫刻は、逆巻く波間を優雅に飛び遊ぶ鳥・・場所柄からコウノトリ?

見事な羽を広げる鳳凰

入母屋造瓦葺の拝殿前左右より神域を守護されるのは、明治43年(1910)10月建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。

親の足元という絶対的な安全圏の中で、得意そうな顔で振り返る仔狛。人も動物も同じですが、無条件に可愛い。

拝殿と本殿の間より神域を守護されるのは、明治19年(1886)4月建立で、やたら鼻のでかい浪花系の狛犬さん一対。出雲系や岡崎と違って実におっとりとした顔(笑)

遠目からの写真なのでいささか不鮮明ですが、本殿の縁より神域を守護される狛犬さん一対。御祭神により近いせいか、かなり凄みのある表情。

社殿、向かって右手に鎮座される「境内社:福徳稲荷神社」。御祭神は『宇迦之御魂神』。社殿、左手に鎮座される「境内社:天満神社」。御祭神は
菅原道眞公』

観世音菩薩像と板碑

稲荷社の横から山上に鎮座される「愛宕神社」への参道石段が見えていますが、無理は厳禁。下からの拝礼で失礼させて頂きました。

参拝日:2011年3月31日

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御神名一口メモ

『伊福部宿袮命(いふくべすくねのみこと)』、「大己貴命」を始祖とする因幡の古代豪族。「武内宿禰」を祖先として祭る。明治4年に太政官布告により因幡國一の宮・宇部神社の世襲の神官を代々務めてきた。

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宗鏡寺(すきょうじ)&願成寺(がんじょうじ) in 兵庫県豊岡市出石

2023年09月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

豊岡市出石町東條、街の中心部から少し離れた坂の上に門を構える「願成寺(がんじょうじ)」「宗鏡寺(すきょうじ)」

町内の各所に設けられた旧跡案内の看板には、「願成寺のだるま像」と、「宗鏡寺縁の沢庵和尚」が描かれており、町歩きの好奇心をくすぐります。

なだらかな・・と言えば情緒的ですが、足に問題ありの私の感想では、ダラダラと長い坂道😓を登った先に、二つの寺院が見えてきました。

坂道の突き当たりに位置する臨済宗大徳寺派寺院「圓覚山:宗鏡寺」。出石城主の菩提寺であり、『沢庵宗彭』所縁の寺として知られています。

 山門の横の土塀に埋め込まれた瓦は、実際の瓦の縮小版だとか。

「元中9年(1392)、山名氏の菩提寺として入佐山の麓に『山名氏清』によって開基。開山は東福寺の『大道似禅師』。寺号は氏清の法号である宗鏡寺殿に由来。山名氏滅亡後永らく荒廃していたが、出石城主『小出吉英』のすすめを受けた沢庵により元和2年(1616)に再興。たくあん漬けの考案者ともいわれる沢庵和尚に再興されたことから沢庵寺とも呼ばれ、境内には沢庵和尚の墓所もあります。」公式HPより抜粋

境内にある沢庵作庭の池泉鑑賞式日本庭園を見ずに帰るのは残念でしたが、時間にゆとりがない事もあり、門前にて失礼させていただきます。

「宗鏡寺」のすぐ下に、塔頭寺院の一つで臨済宗大徳寺派寺院「萬里山:願成寺」があります。『川崎尚之助』の菩提寺だそうですが名前を聞いても誰??・・後に『新島八重』の最初の夫と聞いて「ほぉ~そうなのか」と・・😅

「もともとは宮内にあったが、大永5年1(1525)に『山名致豊』が此隅山城から有子山城に移ったのに伴って現在地に移転したとされる。享保2年(1722)建造の山門は、一間一戸、入母屋、桟瓦葺、上部は吹き放しの鐘楼門形式で豊岡市指定文化財。」

この山門の前には、京丹後市網野町の「正徳院:住職」から送られた、二体のだるま大師像が置かれています。木造で高さは130cm程。その表情は見れば見るほど味わい深く、見つめる時々の心に合わせて変化します。

また境内の鐘楼の前には、衣の袖で深く顔を覆った「だるま大師像」が座しています。5世紀後半から6世紀前半に禅宗の祖と崇められ、臨済宗の初祖ともされる『菩提達磨大師』

衣の隙間から見えたお顔は静かに瞑目し、同じ目の高さで見つめていると、胸が熱くなります。叶うなら縋りつきたい衝動・・・それが何によるものなのか、単にその時の心情からだったのか・・今も分りません。

「願成寺」横の広い空き地は「宗鏡寺:観光駐車場」となっていますが、入り口近くの一画に、時代も定かでない幾体もの石仏が並んで祀られています。

座すもの、立っているもの、光背の中に彫りこまれたもの、その姿は様々。

その駐車スペースの一番奥まった部分に、比較的新しい地蔵立像が祀られていたのですが、一体だけお体に似合わない時代を経たお首の地蔵様がおられました。

添えられた碑には、寺に着任した折に首のみの地蔵様があった事。由来も不明であった為、そのまま放置できず、お体を添えた事が記されています。
誰がお供えしたものか、お揃いの赤い毛糸の帽子とマフラーが・・とても暖かそうで・・。

参拝日:2011年3月31日

 

コメント (4)
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