車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

若狭野天満神社 in 兵庫県相生市若狭野

2023年10月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

相生市若狭野町に鎮座される「若狭野天満神社」。主祭神は『菅原道真公・天忍穂耳命』。

由緒「文和2年(1353)の「西方公事条々」に「大僻天満宮」とあり、650年~700年以前に祀られていた事は間違いない。往古山城国北野天満宮の分霊を勧請して相殿に天忍穂耳命を併祀する。慶応4年(1868)8月本殿を再建。赤松氏以下、付近の領主の崇敬甚だ厚く一般庶民の尊信深く旧幕時代には矢野之庄18ヶ村の産土神として崇敬されて現在に至る。」兵庫県神社庁

絵馬殿をかねた開放的な拝殿。

玉垣の内、拝殿前両脇より神域を守護されるのは、すごく楽しげなお顔の狛犬さん一対。何かとっても良い事があったのでしょうか?是非とも聞かせて欲しいものです。

狛犬さんたちに守られるように拝殿の左側に立ってこちらを見ているのは、氏子さんたちによって奉納されたらしい干支の・・・多分、「寅」😅

もちろん、天神様のお使いである神牛さんも、ゆったりと横たわっておられます。

拝殿の屋根では、楽しそうに飛び跳ねる獅子さん一対。阿形さんの片足は、多分長い年月が奪ってしまったのでしょうが、笑顔は最高でした。

絵馬殿に掲げられた沢山の絵馬は、どれも見応えのあるものばかり。下の段には、絵札のように並んだ赤穂義士の四七士が描かれています。この神社に限らず、播州一帯の神社には、義士の絵馬は欠かせない題材のようです。

若狭野天満神社は、通称「魔除けあじさい神社」としても知られており、境内には沢山の紫陽花が植えられています。 そして、紫陽花と言えばカタツムリ。 「mymy虫の絵馬」を逆さにすると、困った顔が笑顔になるのだとか。キャッチコピーは「悩みの中には、既に笑いが潜んでいる」

「あなたの悩みは私の(my)悩み、あなたの代わりに悩みます」

「あなたの願いは私の(my)願い、 あなたの代わりに願います」

参拝日:2010年8月12日

 

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若狭野大避神社 in 兵庫県相生市若狭野

2023年10月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

相生市若狭野下土井に鎮座される「大避神社」。御祭神は『大避大神(おほさきのおおかみ)』、境内には「稲荷神社」「須賀神社」が祀られています。

由緒「創立年月不詳。秦河勝坂越庄生島に移り来るや屡々矢野村三濃山に狩し往復の途次此の地にて休みて里民に蚕業を教えしかば之を徳として一社を建立すと伝う。」兵庫県神社庁より

開放的な拝殿前より神域を守護されるのは大きな玉に乗った、いわゆる広島型玉乗り狛犬さん。顔立ちは共に怖い系😠。

体つきの割には後ろ足は細く、それだけに確かな技量が感じられる作りとなっています。阿形さんの右耳には修復の後がありますが、それも含めて素晴らしい一対。

この不可思議な人or獣が抱え揚げた船形の水盤は、本殿の横にあったもの。

船形の艫の部分には亀が一匹添えられています。水にゆかりのあるものを水盤に添えるというのは結構いろんな場面で目にします。

拝殿内には沢山の絵馬が掲げられていましたが、いずれも時代を感じさせるものばかり。「伊勢参宮記念」と記されたものが多いのは、日本人にとって神宮が特別なものと言う証でしょう。

他にも時代を反映した絵馬がずらりと並び、そのどれもが捨てがたいものばかりですが、流石に全部となると膨大すぎて載せきれません。

この相撲番付の絵馬は「かなり古い資料的要素のある絵馬」と聞いた記憶があります。力士の番付・四股名などから、天保、嘉永頃の興行番付といった内容であったと思いますが、実際のところは定かではありません😓

参拝日:2010年8月12日

 

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西有年大避神社 in 兵庫県赤穂市有年

2023年10月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

赤穂市西有年野々宮に鎮座される「西有年大避神社」「有年の野々宮」とも号されます。主祭神は『秦河勝(ハタノカワカツ)』

由緒「創立年月不詳 大避大神たる秦河勝坂越庄に来たり住するや屡々此の里に狩りし里人に蚕業其の他の事を教えしかば土人其の徳を慕い坂越村に鎮座せる県社大避神社の分霊を此の地に勧請したるものなりと伝う。」兵庫県神社庁

青銅拭きの屋根が美しい拝殿には〆柱が建立され、左右に一対の砲弾が奉納されています。

〆柱左右より神域を守護されるのは、鬣をなびかせた、一見ライオンのようにも見える狛犬さん。顔の大きさが際立つ一対です。

拝殿の向かって左に鎮座される「荒神社」『素盞鳴尊』を配神とします。

〆柱の奥の拝殿は壁の四方が吹き抜けになっており、絵馬殿も兼ねているようです。神域を守護されるのは、備前焼の宮獅子一対。備前焼の窯元とは非常に近い距離にある事を思えば、無い方が不思議かもしれません。長い年月の内に手足や尾に生じた傷みは丁寧に補修されており、氏子さんたちに大切にされている事が感じられました。

忠臣蔵の本拠地でもある赤穂市、ここでも義士の姿が一人一人、丁寧に描かれた絵馬が奉納されています。手にした獲物や姿装束、どれもその人となりを表しており、時間を忘れて見入ってしまいます。

他の絵馬も、まるでついこの間奉納したばかりかと見まごうような鮮明な鮮やかさを保っており、氏子の方々の思いが伝わるようでした。

参拝日:2010年8月12日

 

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坂越大避(おおさけ)神社 in 兵庫県赤穂市坂越

2023年10月01日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

赤穂市坂越・宝珠山麓に鎮座される「大避(おおさけ)神社」。主祭神は『大避大神(秦河勝)』、『天照皇大神・春日大神』を配します。

由緒に「河勝は太子死後の皇極3年(644年)、海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めたのち、大化3年(647年)に80余歳で死去。河勝公の御霊は神仙化とし、村人が朝廷に願い出、祠を築き祀ったのが大避神社の創建と伝えられている。一方近在の村々30余ケ村に、ご分社を祀り開拓神として今日も信仰されている。」兵庫神社庁HPより

大避神社の正面の海上に浮かぶ「生島」。その山頂には、この地で没した『秦河勝』の墓と伝えられる墳墓があり、一帯は全て神域とされています。

石段参道の先に建つのは神仏習合の影響を受けた神門。延享3年(1746)の再建です。

石段最上段の左右より神域を守護されるのは、丁寧にカールした巻き毛がとても素敵な狛犬さん一対。とても穏やかな顔で参拝者を出迎えてくれます。

神門内には、仏の守護者である阿吽の仁王像と、神の守護者である左右随神が背中合わせに配置され、それぞれに神域と祭神を守護されています。

随身門から真っ直ぐ、神門と同じく延享3年に再建された拝殿が、厳かな雰囲気で参拝者を迎えてくれます。

拝殿前より神域を守護されるのは、天保7年(1836)9月建立の狛犬さん一対。廻船の海上安全を祈願して奉納されました。

拝殿の左手には開放的な絵馬堂がつながり、40枚もの絵馬が所狭しと奉納されています。

「海上安全 順 風」と書かれた船絵馬は、享保7年(1722)の奉納、日本最古のものと云われています。

絵馬殿の一画に置かれているのは「祭禮用和船:楽船(がくぶね)」。瀬戸内海三大船祭りの1つ「坂越の船祭り(国重要無形民俗文化財)」に用いられるものです。

これは奉納絵馬の中にあったもので、坂越浦沖に浮かぶ生島と、和船巡航の様子が鏝絵で描かれています。

こちらは観光案内所に展示されていた絵馬ですが、「大避神社祭禮船:歌船」が鮮やかに描かれています。

祭神『秦河勝』の墓と伝えられる墳墓がある事から、現在でも一般の人の立ち入りが禁じられている生島。祭礼では10数艘の祭禮船が、湾口にある生島の御旅所まで往復します。

参道途中に鎮座される唐破風屋根の社は、その赤い鳥居から直ぐに察せられる「境内社:稲荷社」

社殿の左右より神域を守護されるのは、市内に唯一存在するという、尾道型の狛犬さん一対。慶応2年(1866)5月建立ですから、150年以上もここで頑張っておられる事になります

さらに屋根の上、留蓋の飾瓦には稲荷の神狐さんがいるのですが、これがまたおとぎ話に出てくるような愛らしい姿。

同じく「境内社:恵美須神社」。漁師町らしく海の神様である「恵比寿神」が祀られます。

一の鳥居から参道、境内と見所沢山の「大避神社」、その裏参道と思しき場所に「船岡園十三景」の石碑が建立されています。「船岡園」は大正3年(1914)5月13日、児島高徳卿550年忌の記念大祭典の準備として御墳墓付近3,000坪を開拓し、官幣大社、吉野神社の摂社船岡神社の社号に因み開設されました。そう言えば、船岡園中には『児島高徳』の墓とされる五輪塔があると聞いていましたが・・結局行きそびれてしまいました。

参拝日:2010年8月9日

冒頭の由緒にも記載があるように、「大避神社」は相生・赤穂・上郡一帯の千種川流域にのみ約30数社が鎮座されています。秦の始皇帝の末梢として渡来し、『聖徳太子』に使えた『秦河勝』。推古天皇30年(622年)『聖徳太子』の死後(643年)に起こった「乙巳(いっし)の変」を避けて、摂津国難波浦から出航し播磨国赤穂郡坂越浦へ漂着。生島で没した後、大避大明神となった秦河勝の足跡、辿ってみるのも面白いかもしれません。

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坂越のまち並み in 兵庫県赤穂市坂越

2023年09月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

赤穂市東部の坂越湾に面する港町「坂越(さこし)」。国の天然記念物、瀬戸内海国立公園特別保護地区、ひょうごの森百選に指定された「生島」を包むように広がる美しい坂越湾の眺望と、伝統的建造物群による古い町並で知られています。

天然の良好であった坂越の港は、17世紀になって、瀬戸内海有数の廻船業の拠点として発展してきました。18世紀以降、北前船が停泊する日本海諸港の台頭によって内海の港町の多くが衰退するなか、坂越は「赤穂の塩」を運ぶ拠点として、明治時代まで栄えました。赤穂市を流れる千種川河畔の袂には、その時代を象徴するかのような、北前舟を象ったタイル画が展示されています。

坂越浦から、高瀬舟の発着場があった千種川まで続く「大道」。風格ある町並みは往時の坂越を今に伝えるものとして、都市景観大賞にも選ばれています。

町筋の一画に残る「大道井」は「井筒」とも呼ばれた古い井戸で、坂越の人たちの生活用水として利用され、「生島の船井」「海雲寺の寺井」とともに坂越の三井と言われた井戸です。昭和10年(1935)に水道が通り、その役目は終えましたが、大道井は今も道路の下に残っています。辻に残る石は、当時の大道井の井戸枠の一部だった事が、現地説明に明記されています。

街中でもひときわ目を引く「奥藤家」は、慶長6年(1601)以来酒造りのほか、大庄屋、船手庄屋を勤めた廻船業でも財をなし、金融・地主・製塩・電燈等の事業も興したという、坂越きっての豪商。

酒蔵は寛文年間(1661~1673)の建物で、高さ2m余りの石垣による半地下式の構造が今も保存され「奥藤酒造郷土館」として、酒造用具・廻船・漁業等の資料が無料公開されています。

酒蔵の並びには、旧奥藤銀行を改装した「坂越まちなみ資料館」があります。館内1階には、坂越の名所・旧跡、特産品に関する写真や資料が展示されているほか、この建物がかつて銀行であったことを示す、古いアメリカ製の大金庫も置かれています。

「坂越まちなみ資料館」のならび、茶臼山の南麓に、享禄5年(1532)に開基したと伝える浄土真宗本願寺派寺院「妙道寺」の山門(宝暦3年(1753)年に再建)があります。

山門彫刻の「三人の仙人と一対の獅子」がどれもこれも生き生きと彫られており、その見事さについ時間を忘れてデジカメを向けまくってしまいました。鶴に乗った仙人は「乗鶴仙人」、中国の「王子喬・黄鶴楼」などとも言われています。

鯉に乗っているのは「琴高仙人」、長寿の仙術を行って800年も生きたと言われています。ある時「龍の子を捕らえて見せる」と弟子たちに約束して川の中に入り、約束の日に大きな鯉に乗って現れた故事から、黄河の竜門を登った鯉は龍になると伝えられています。

3尺もある亀に乗っているのは「黄安仙人」、別名「盧敖(ろごう)仙人」とも言います。この亀は三千年に一度だけ頭を出すと言われているそうで、頭が見られた私はラッキーかも😆

千尋の崖に立つ阿吽の獅子は、今まさに可愛いわが子を谷底に突き落としたところでしょうか?その猛々しい姿からは、聞くものを震え上がらせる咆哮が聞こえてきそうです。

山門彫刻が見事なら当然瓦の細工も期待できるはず!、の予想は裏切られず、力士や天女、留蓋の獅子など、どれもこれも期待を遥かに上回りました。これほど揃いもそろった逸品たちに出会えるなんて、本当にラッキー!!

今にもピョンと飛び降りてきそうに高く上げた足。阿吽共に人懐こそうな顔で興味深そうに、参拝者の様子を見下ろしています。

本堂には、寛永9年(1632)に高砂沖で漁網にかかった阿弥陀仏像が安置されます。享保19年(1734)の再建と言う事から、ここが非常に歴史のある寺院である事が伺えます。

寺院を後にもと来た道を引き返し、「大道」の港側端、坂越浦に面して建つ「旧坂越浦会所」にきました。建物は天保2~3年(1831~1832)に建築され、明治時代まで坂越村の会所として使用されたほか、昭和26年の赤穂市との合併までは「坂越公会堂」として使用されていました。

畳座敷から見る奥庭の緑が、真夏の日差しに痛めつけられた目にはとても優しく見えます。管理人の方が入れて下さった冷たい麦茶の味も、思いがけなく嬉しいおもてなしでした。

2階にある「観海楼」と名付けられた藩主専用の部屋に入り、当時の人たちに習って窓際に陣取ってみました。観海楼の名のとおり窓一面に坂越の海が広がり、その先には神の島である生島が見えます。 藩主が見た当時の海は、すぐ側まで波が迫っていたのだとか、きっと格別の眺めだったことでしょう。

訪問日:2010年8月

 

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伊和都比売(いわつひめ)神社 in 兵庫県赤穂市

2023年09月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

赤穂市御崎に鎮座される式内社、「伊和都比売(いわつひめ)神社」。御祭神は『伊和都比売大神』。元々は豊受比売であるとも、また播磨国一宮である「伊和坐大名持御魂神社(現在の伊和神社)」の神『大穴牟遅神』の比売神とも言われ、いにしえより「御崎明神」と称せられていました。

海に面した鳥居額の文字は『東郷平八朗』。日露戦争開戦を前に、勝利祈願のために東郷元帥が訪れた事から帝国海軍関係者の信仰を集め、戦前までは連合艦隊司令長官が艦隊を率いて、海上より参拝を行ったとも言われています。

「もとは大園と呼ぶ前方海上の八丁岩の上にお祀りしてあったのを天和三年浅野内匠顕長矩が現在の地に還座。「播磨なる御崎の石だたみ海の底まで行 くぞ見る」と歌われるように奇岩の上に老松が舞う岩礁の地である。 かつては日本海々戦の勇将東郷平八郎元帥を始め 歴代連合艦隊司令長官の崇敬厚く、しばゝ艦隊を 率いて帝国海軍の勇士が参拝し、現在でも船員漁師 など航海安全と大漁祈願はあとをたたず遠近からの信仰は盛んである。なお特に珍らしいのは古くから若き男女による姫神信仰が盛んで縁結び或は恋人を得るにご利益のある「姫守」をうける人が多く、御崎の景色と共に近時有名である。」案内板より

海を背にして石段を上がると境内が、更に石段を上がると拝殿が見えてきます。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、思慮深そうな吽形さんと、賑やかな事が大好きといった感じの阿形さんの一対。どちらも短足ぽっちゃり体型で、私なんぞはとても親しみを覚えて😅 嬉しくなります。

拝殿の更に奥では、文化13年4月建立の狛犬さんが、若干険しいお顔で神域の守護を担っておられます。なにしろ市内では最も古い狛犬さん、守護される場所も本殿に近く、陽気に笑っていたりなぞ出来ないのでしょう😠

唐破風の拝殿屋根には、今まさに飛び立とうと羽を広げる「鳳凰」の姿。

向背の上段には、常緑の松を間に美しく羽を広げて互いを見守る夫婦鶴。下段には荒波を物ともせずに高く顔を持ち上げる龍が、繊細なタッチで彫刻されています。

絵馬は「伊和都比売神社」の拝殿が描かれたものです。最近は名のある大きな神社でも、既製品に朱印だけを押したものが多い中、こうした神社独自の絵馬を見ると好感度はアップ😊

境内に有る手水は、『浅野内匠頭』の刃傷事件があった年に氏子によって寄進されたものです。大きな事件に見舞われた領民たちは、その災禍を神への寄進によって拭い去ろうとしたのかも知れません。

参拝を終えて、小高い場所につくられた「一望の席」に腰をおろし、ゆったりとした気分で穏やかに凪ぐ海を見ていました。

神前に向って手を合わせ、勝利を祈願した連合艦隊が通過したのは、あの辺りだったのでしょうか? 真夏の日差しをあびてキラキラと輝く海は、遥か彼方で青い空と一つになりました。

参拝日:2010年8月9日

 

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赤穂(あこう)八幡宮 in 兵庫県赤穂市

2023年09月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

赤穂市尾崎に鎮座される「赤穂(あこう)八幡宮」。主祭神は『応神天皇、神功皇后、仲哀天皇』『大石内蔵助』ゆかりの品々や、赤穂義士関係の書状などが数多く残されている事でも知られています。

鳥居の側にあって神域を守護されるのは、天保三年十二月建立の、巻き毛がとてもお洒落な狛犬さん一対。市内では二番目に古い狛犬さんだそうです。
口元の曲線も、見ようによってはとってもチャーミング・・って言ったら叱られそうですね(笑)

由緒に「赤穂の氏神さまとして、室町時代応永13年(1406)に、現在の鎮座地に赤穂市の西(銭戸島)から 応神天皇(八幡大神)を遷座。室町時代は播磨国守護赤松家の庇護のもと維持され、江戸時代は赤穂藩主池田家、浅野家、森家の信仰のもと発展しました。明治維新に神仏分離がなされ八幡神社と呼ばれましたが、昭和27年以降は江戸時代の社名である八幡宮へ戻し、現在に至っています。」公式HPより

境内に向かって右手、拝殿へと続く絵馬回廊には、幾つもの世代の絵馬が奉納されています。

長い年月が板上から色を奪い、そのために形も定かでは無くなってしまったものも多く、見ていても、それが何を願っての事なのか、何を記念してのものなのか、判然としません。それでもじっと見ていると、絵や文字にこめられた人々の声が聞こえてくる気がするのです。

絵馬殿の手挟(たばさみ)には渦巻く波の中に龍の姿が。研ぎ澄まされた爪を見せてその姿は雄雄しく獰猛です。

貫に施された像の目には玉が嵌め込まれており、それが何ともいえぬ迫力を見せて参拝者を見下ろします。

美しい佇まいを見せる拝殿には、その美しさに強さを与えるかの如く、面長な額の両脇から長く伸びた角を持つ鬼(瓦)が下界を見つめています。とはいえ、その表情は何故か優しく、人の切なさを見守っているようにも見えました。

瓦と言えば外せないのが、屋根の留蓋で楽しげに遊ぶ阿吽の獅子。幼子のような仕草と表情は細工瓦好きにはたまりません(*^^*)

参拝日:2010年8月9日

 

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赤穂市立民俗資料館&歴史博物館 in 兵庫県赤穂市

2023年09月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

赤穂市加里屋、木造瓦葺一部2階建のこの建物は、1908年に建設された日本最古の「旧大蔵省赤穂塩務局庁舎」。現在は「赤穂市立民俗資料館」として活用されています。

館内には江戸時代から昭和期までの生活雑貨や祭事用具、美術工芸品や鉄兜などの戦時資料等、多種多数の民俗資料が展示されており、当時の人々の生活を垣間見ることが出来ます。

「赤穂は古くから製塩業が盛んで、明治38年(1905)の塩専売法施行に伴い、大蔵省塩務局の庁舎として、明治41年に国会議事堂を建設した大蔵省臨時建築部技師大熊喜邦の設計、施行は地元赤穂の棟梁である山本近治ほか11名によって建築されました。中央部に屋根窓を持つ主屋と、東に切妻造りの屋根と西に宝形造りの塔屋を大胆に組み合わせた変化のある建物の構造は、木造一部2階建てで屋根は黒色の日本瓦葺き、外壁は淡い白緑色塗装のドイツ下見杉板張りで、現存する日本最古の塩務局庁舎として、また明治の洋風建築として意匠・工法に優れた価値の高い建物として、昭和61年に兵庫県重要有形文化財の指定を受けています。」HPより

専用駐車場から見えたレンガ造平屋建の文書庫。オランダ積みのレンガ庫に黒色の日本瓦葺の屋根が重厚感を出しています。

赤穂城址の一画、かって城内の米蔵があった場所に建つのは「赤穂市立歴史博物館」。水路沿いに立つ西側外観は、かっての米蔵を再現した白壁土蔵の五連造りで、人目を引く外観となっています。

「赤穂の塩・城と城下町と赤穂義士・旧赤穂上水道」をテーマに、1989年に設立。愛称は「塩と義士の館」。今となってはあやふやな記憶ですが、館内は撮影禁止だったのでしょうか・・フォルダには鯱の画像が一枚だけでした。

最後に、これは2006年の画像で、おそらく赤穂城本丸表門の復元工事の風景だろうと思います。こういうのも今となっては楽しい思い出の一枚です。

訪問日:2006年7月16日&2010年8月9日

 

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忠臣蔵と大石神社 in 兵庫県赤穂市

2023年09月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

播州赤穂・・と言えば真っ先に思い浮かぶのが「忠臣蔵」。あれは私が小学生になったばかりの頃、市内に住んでいた叔父に連れられて一度だけ、「義士祭」を見に行った事があります。が・・なにしろ気の遠くなるような昔の話で、記憶にあるのは叔父の肩車だけ(^^;)。イメージとしてはこんな風だったかなと勝手に思い込んでいますが、実際は義士の扮装をした人の行列だったと思います。

「忠臣蔵」の詳細はネットでググって頂ければ容易に知れる内容なので省きますが、市内には日本100名城の一つで国の史跡にも指定された「赤穂城」が残されています。

とはいえ、廃城令を受けた城は、当初、石垣と堀を残すのみでしたが、昭和中期から平成にかけ、櫓・門・塀・庭園が徐々に復元・再建され、今は往時を忍ばせる美しい姿が観光客を出迎えてくれます。

市内各所には、城以外にも義士たちに関する史跡が残されており、代表的なところでは、討ち入りの主役的存在となった国家老『大石内蔵助』邸の長屋門(国指定史跡)。

主君刃傷の事を告げる早駕篭は江戸から四日半をかけて『早水藤左衛門・萱野三平』。第二報は、評定もなく罪人扱いのまま、即日切腹の沙汰が下った事を告げる『原惣右衛門・大石瀬左衛門』。この早駕籠のルートは今も赤穂市内に史跡として点在しています。

息も絶え絶えに城下に辿り着いた家臣たちが、主君の無念を伝える為に血反吐を吐きながら叩いた大石邸の門。

大石邸の向かいには、赤穂城を設計した『近藤三郎左衛門正純』の息子で、浅野家の軍師であった「近藤源八宅跡長屋門」があります。他にも細かく歩けば息継ぎの井戸をはじめ見所は色々あるので興味のある方は是非一度巡ってください。

義士に纏わる寺社は、義士たちが葬られている東京:泉岳寺、義士たちの墓がある赤穂:花岳寺。そして今回参拝した赤穂市上仮屋旧城内に鎮座される「大石神社」。

『大石良雄』赤穂義士四十七柱、および中途で自害した『萱野重実』、更に『浅野家三代・森家七将』を御祭神とします。

境内には忠臣蔵に関する絵馬や、藩民の崇敬を受けた摂末社が多く鎮座し、多くの参拝客が訪れています。討ち入りの様子を描いた大絵馬や顔出しなんかも有りました(^^;)

また境内の一隅には、大石内蔵助が所持していた備前長船清光・康光の大小刀、肖像掛軸など義士所縁の品々を展示する「義士宝物殿」も併設されています。

忠臣蔵とは無縁ですが、「境内社・合祀殿山」の一つ「国助稲荷」の前にて神域を守護されるのは備前焼の神狐さん一対。その姿があまりにも秀逸だったのかしっかりと画像に残していました。

最後は、境内に掲げられていた看板と同じく「本懐を遂げて泉岳寺に引き上げる四十七士」。じっと見ていると、それらの場面が映画やドラマの場面と重なり、民衆の喝采から細かな台詞まで聞こえてきそうです。

訪問・参拝日:2006年7月16日&2010年8月9日

 

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浜坂みなとカニ祭り in 兵庫県新温泉町浜坂

2023年09月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

食べ物の好き嫌いが半端なく物凄い私。実際に好きなものをあげる方が早いくらい嫌いなものが多すぎて、その手の話題になるといつも呆れた顔をされてしまうのですが・・そんな私の数少ない好物の一つが「カニ」。「松葉ガニ・ズワイガニ・越前ガニ・間人ガニ・・」色々呼び名はありますが、とにかくカニの本場で本物のカニを食べる!長いこと憧れていた「カニ祭り」😆2014年11月15日に開催された「浜坂みなとカニ祭り」に、遂にやって来ました!!

漁港の駐車スペースにずらりと並んだ車のナンバーは、何と北海道から九州まで!これには本当にびっくり。どうやらみなさんここで夜を明かしたらしい・・そうか、その手があったのか!

何しろまるっきりの初心者。要領が分からないので、とにかく関係者らしき人に詳細を聞いて。で、まずは長い列に並んで、3サイズの生簀の中から、好みのカニを指定します。一人で食べるので遠慮してSサイズを選ぶあたりが小心者。足のタグを記念に頂いて持ち帰るあたりも初心者丸出し😆。

カニを選んだら再び別の列に並んで、今度はその場でカニを捌いてもらいます。どうですか!!この綺麗なカニ身、カニ味噌も滅茶苦茶美味しそう!!

その間、ご亭主殿は「浜坂麒麟獅子舞」を堪能しておりました。これは私も生で見たかったのですが、でも列に並んでいないとカニが買えない😓

生きた浜坂カニ、普通は皆さん生で食べるのですが、実は私・・生は苦手なので、カニ味噌も含めて全部焼きガニにしてもらいました(係りの方から、二度!確認されてしまった)。テントの下にお食事スペースが設けられていて、ここで皆さんと一緒に頂きます。

焼きたてのカニ味噌!も、カニ身!も絶品。「う~~~ん、生きてて良かった~~!!😍」 風が強くて物凄く寒かったけれど、でも美味しかった!!😍

食べ終わったら市場の見学。このお値段でブランドガニが買えるなんて、本当!!!に「カニ祭りバンザ~イ\(^o^)/」

漁協の屋台の焼きイカがこれまた絶品。お刺身にするイカを焼くなんて贅沢の極み。でもって、ものす~~~~ごく美味!!カニを遠慮してくれた(実はさして好物ではない)ご亭主殿は「当然でしょう」とのたまって、お代わりを所望しました(笑)

会場では『浜坂ダイちゃん』や、どこかの温泉から派遣された『湯桶君』も参加し、祭りを盛り上げています。

年甲斐もなく、『湯~たん』と一緒に記念写真も撮って貰いました。だって折角ここまで来たのに、何でも楽しまなきゃ😊。

楽しい雰囲気にすっかり飲まれて、ついつい色々と買ってしまって大荷物になりましたが、お支払い以上の満足感に顔はにやけっぱなし😊 最高の数時間でした。

来年もまた来ようねと約束して・・・気が付けば9年近くの歳月が過ぎていました。

訪問日:2014年11月15日

 

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