車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

刈谷万燈(まんど)祭~おまけ~ in 愛知県刈谷市

2018年08月06日 08時00分00秒 | 日本の祭り

二日続けて祭りの空気にどっぷりと浸った二人、やっぱり日本の伝統的な祭りは最高。 「刈谷万燈」其の二は、祭りが始まるまでの時間を利用して見聞きしたあれこれを(〃∇〃)
暑さの所為で昨夜はすっかり睡眠不足。駐車場を確保できた安堵感に、アイドリング状態であることを忘れて、いつの間にかウトウト(笑)
夢心地の中に聞こえてきた賑やかな声に起こされて見れば、今夜の舞のリハーサルが始まった様子。

これはのんびり寝てなんていられないとばかり、さっそく街に繰り出すことに。夜露に濡れないようにという事でしょうか?ビニールにくるまれた「万燈」が町衆に見守られて出番を待っています。

「万燈通り」を歩いていると、白馬に乗った美女を描いた巨大な「万燈」のタイル画に遭遇。描かれているのは「巴御前出陣図」。そうあの木曽義仲さんの愛妻で美人の誉れ高い巴さん。

と、機嫌よく書き始めましたが半端な知識しかない私。描かれたタイル画の全部を確実に説明することなんて無理なのでは(-_-;)。 馬上で弓をつがえている若武者は「那須与一」?・・いや馬上の弓名人は他にもいた気がする・・

派手な隈取で見得を切るのは歌舞伎の十八番で、荒事の代表的な演目「暫(しばらく)」。うんこれは多分間違いないと思う(笑)。

これも有名すぎるくらい有名な五条の橋の上の「弁慶と牛若丸」。図柄が分ると、見て歩くのも格別に楽しくなります。

歌舞伎や日本舞踊で有名な「汐汲み」の舞。日本人形の題材にも良く使われています。

艶やかな舞姿の女性の後は、川中島の合戦で上杉謙信との直接対決に臨む「武田信玄」

これはもう・・・何がなにやら(^^;)きっと歌舞伎とか講談の有名な場面に違いない筈なんだけど・・。想像が追いつきません。

祭りの華である「万燈」の舞を盛り上げる囃子方。彼らの存在無くして「万燈」は成り立ちません。

万燈通りのモニュメントはステンドグラス風の「万燈祭」。同じく通りの一画に飾られていた漫画チックな美貌の巴御前。

「万燈通り」に涼やかな影を作る樹木カバーにも「万燈まつり」。こんな風にあらゆる場所に「万燈まつり」が溢れていて、それを探して歩くだけでも十分に楽しめました。

惜しむらくは・・折角の題材なのに、これがマンホールに一枚も使われていないこと(笑) 刈谷ハイウェイオアシスの記念スタンプ。これがマンホールだったら・・(^^;)

その刈谷ハイウェイオアシス内に展示されていた万燈の制作過程の様子。実はこの時の強烈な印象が、私たちを今日の「刈谷万燈祭」へと誘ってくれたのです。

実際に飾られていた万燈の実物。今回の祭りには両方とも登場し、懐かしさもひとしおでした(〃∇〃)

訪問日:2014年7月27日
(刈谷ハイウェイオアシスの画像のみ、2013年11月6日)
 
 
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刈谷万燈(まんど)祭~其の一 in 愛知県刈谷市

2018年08月05日 08時00分00秒 | 日本の祭り

毎年7月の最終土日に、刈谷市にある秋葉社の祭礼「刈谷万燈(まんど)祭」が開催されるとの情報を刈谷ハイウェイオアシスで仕入れていた私たち。前日の「津島天王祭」の朝祭を見終えたその足で速攻、刈谷市に向かい、祭りの開始を待つ事に。

日程の関係で1日目の「新楽(しんがく)」は見られませんでしたが、氏子七町の万燈が秋葉社の境内で舞を奉納する2日目「本楽(ほんがく)」はラストまで見る事が出来ます。まずは刈谷市銀座に鎮座される「秋葉社」への参拝。 御祭神は、神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として広く信仰された「秋葉大権現」

勿論、神社参拝までの道々でも祭り気分を盛り上げてくれる出会いが有り、気分はもうすっかり祭り一色(〃∇〃) 道々に見かけた本物の「刈谷万燈」。近くにいた方にお断りして後ろに立たせてもって記念の一枚。感想は・・こんなに大きいのかぁ~~~!

江戸時代中期から続く夏祭りで、火難防除・町内安全を祈願し、愛知県の無形民俗文化財にも指定されている「刈谷万燈祭」。街中を散策している私たちのすぐ近くで、賑やかなざわめきと華やいだお囃子。急いで賑わいの中心に駆けつけると、「万燈」と呼ばれる張子人形を担いだ一団が見えてきました。

銀座、司町、新栄町、東陽町、広小路の5組の若衆たちが、年毎に粋を凝らして作り上げる「万燈」。 高さ5m、重さ60kの竹と和紙で作られた張子人形「万燈」を、若者が一人で担いで舞うのです。

文字にすると何でもない事のようですが、実際に自分の目で見ると、思わず手に汗を握ります。 重さもそうですが、自分の身長の三倍近い「万燈」を肩に担ぎ上げて舞う・・・立つでも歩くでも無く、舞う!!のです。

もうこの時点で私たちの興奮度はマックス(笑)夕方からの「本楽」への期待は更に膨らみます。

少し早いですが、真近に若衆たちの粋と意地の舞が見られるように、秋葉神社の境内に陣取ります。神事が行われ、境内に水が打たれると、やがて笛とお囃子が近づき「万燈」が入場してきました。 昼間見たものとは随分小さい・・と思ったのも道理、何と子供たちによる「万燈」の舞。

子供らしく微笑ましい舞もありますが、中には思わず「万燈」の担ぎ手を見直す場面も。

それにしても、「万燈」の下から覗く小さな足の何とも頼もしいこと、まさに次の担い手。 「子供万燈」を取り囲む若衆、それを更に取り巻く観衆、中にはきっとこの子達の親族もいる筈。

どんな思いで、舞を演じきる我が子の姿を見ているのか・・そう思っただけで鼻の奥がツ~~ン。もうね、年を取ると涙もろくなるんですよ(笑)

五つの組の「子供万燈」が終るころには、夏の日差しも落ち夕闇が忍び寄り始めました。 続いては若衆たちによる「本楽」。日差しの下でも充分に華やかな「張子の万燈」に灯が入ります。

くるり、くるり・・・ひらり、ひらり・・・、担ぎ手の中には若い女性の姿も。 肩に食い込む60kの重さに歯を食いしばるその顔は、どんな美人女優よりも輝いて美しい。

くるり・・くるりと舞うたびに、夜の気配を濃くしてゆく境内に様々な色が流れてゆきます。 そしてそれを生み出しているのは、本当に一人の若衆の技量、きっとプラス我慢と意地・・その重さに耐え切れなくなった瞬間、別の若衆がすばやく担ぎ手と入れ替わり、舞を続けます。

荒武者が大きく手を広げて魔物を追い、美しい姫武者は黒髪をなびかせて薙刀を振るう。次々と入れ替わる5組の若衆たち。灯りの中に浮かび上がる姫君・武者・魔物たち・・それらが紙で出来た張子であることも、たった一人の力で軽やかに舞い動くことも忘れて・・私たちはただただ、その勇壮さと優美さに見とれ、何度も何度も拍手を送り続けました。

やがて全部の組の舞の奉納が終ると、大通りにすべての「万燈」が勢ぞろいします。 ここでは写真撮影も許可されており、私たちも「万燈」の前で記念の一枚を頂きました。ほんの少しお話もさせて頂きましたが、まさに町方の心意気に支えられた天下の奇祭「万燈祭」

またいつか機会があればもう一度、このワクワク感と感動を味わいに訪れたい。思い出を文字に起こしていく度ごとに、叶えられなくなった願いばかりが増えてゆきます。

訪問日:2014年7月27日

 

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尾張津島天王祭~朝祭りin愛知県津島市

2018年07月30日 08時00分00秒 | 日本の祭り

翌日の「朝祭」を見る為に、急遽「道の駅・立田ふれあいの里」で車泊をすることになった二人。 流石に真夏の車中泊はキツ過ぎて寝不足ですが、大好きな祭り見物の為なら文句も言えません。今回も朝一で指定の駐車場に車を留め、津島神社への参拝を済ませ、その足でまずは車河戸へ。

幻想の世界を見せてくれた津島五車は、夜のうちに提灯を外し、「市江車(いちえぐるま)」とともにきらびやかな幕などで飾られ朝を迎えます。すでに「車楽舟(だんじりぶね)」の準備は出来ているようで、川辺は昨夜とは打って変わった華やかさ。「車楽舟」の最上段には、一番から五番までそれぞれの演目の衣装をまとった「能人形」が飾られます。ただし一番は常に「高砂」と決められており、残り四つがくじ引きで決められます。

車楽舟は2艘の舟を横に並べて固定して一艘に仕立て、そこに屋形を乗せ、その中段に「児(ちご)」を乗せます。「児」は神様の憑代なので、地面に足をつけないよう、常に肩車をされて移動します。

足が地面につかないように・・・簡単に書いていますが実際はかなりの難行。付き添うのは正装のお母さまですが、晴れがましさの中にも我が子を気遣う姿に心を打たれます。

津島の車楽舟は先頭が市江車で「鉾持(ほこもち)」と呼ばれる下帯姿の男子10人が乗っています。

ゆらりゆらりと進む車楽舟。それはもう唯々美しく神秘に満ちて、水面に映る影にさえ神々の息吹が感じられるほど。

ゆらりゆらりと・・・二艘、三艘・・

およそ25分間かけて、市江の車楽船と津島の5艘の車楽船が、舳先を揃えて綺麗に並びました。 時間を聞くと短く思えますが、実際にはその優雅な動きに見とれて、もっと長く感じます。

朱塗りの赤舟に乗った津島神社の神官が、車楽船のお迎えに到着しました。いよいよ朝祭りの始まりです。

昨夜の巻藁船と同じように、車河戸から天王川にゆらりゆらりと漕ぎ出してゆく華麗な車楽船。 巻藁船が炎の中に浮かび上がる、文字通り夜の神迎えなら、この華美な車楽船は太陽の神迎え。全艘が揃ったところで、先頭の市江車に乗っていた10人の鉾持が、揃いの「布鉾」を持って登場。

そうして一人ずつ、「布鉾」を持ったまま天王川に飛び込み、古式泳法で御旅所まで泳ぎます。 

見ている側の時間より、実際に片手を塞がれた状態で泳ぐ鉾持ちにはもっと長い距離・・・うまく言葉に出来ないし、こんな言い方は神事として相応しくないのでしょうが、若者たちの姿は本当に「かっこ良い!!」。時折おこる大きな拍手は、懸命に神事に挑む若者たちへの精一杯のねぎらいと感謝の験(しるし)。 ふと涙ぐみそうになるほど美しい光景なのです。

御旅所前まで泳ぎ渡った鉾持ちは、御神体に拝礼し鉾を持ったまま津島神社へと走ります。そうしてお神輿に還御頂くため、境内にある太鼓橋の注連縄を切るのです。もう何度でも言いますが、その姿はただただ美しい!

津島神社に奉納された布鉾は、拝殿前に立てかけられ、参拝者は自由に触れることができます。 布鉾から滴る水を体につけると悪い所が治るのだと、そこで出会った見知らぬ誰かが教えてくれました。

追記
【昭和55年に「尾張津島天王祭の車楽舟行事」が国の重要無形民俗文化財に、また昭和59年には「尾張津島天王祭の車楽」が県の有形民俗文化財にそれぞれ指定されており、2016年12月には33件の「山・鉾・屋台行事」のひとつとして、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。】

訪問日:2014年7月27日

 

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尾張津島天王祭~宵祭り in 愛知県津島市

2018年07月29日 08時00分00秒 | 日本の祭り

毎年七月の第四土曜と翌日の日曜日に開催される「津島神社」の祭礼「尾張津島天王祭」。大阪の天満天神祭、厳島神社の管絃祭と並び、日本の三大川祭の1つに数えられる津島の夏祭り。その歴史は室町時代からと古く、全国の夏まつりの中でも最も華麗なものと言われています。

祭りは好きだけど人ごみは大の苦手というご亭主殿が、珍しく行ってみようかと言い出しました。本来は神社の例祭なので、神社を先に紹介するのが筋ですが、ここはすっぱりと掟破りで(笑)

祭りの背景や説明などは、市の観光協会や津島神社のHPに、より詳しく掲載されているので省略しますが、国の重要無形民俗文化財・ユネスコ無形文化遺産にも登録された壮大な祭りとあって、人出もかなりのもの。
メイン会場となる天王川一帯には、屋台のテントが立ち並び、それだけで気分はワクワク(*^^*)

この囲いは有料の桟敷席だそうで、天王川を取り囲むように同じような桟敷が並んでいます。 もちろん、桟敷席の予約がない一般の人も、充分に見物できる場所があるので心配は無用。

車河戸と呼ばれる細長い池に浮かぶのは、宵祭に「巻藁舟」となって今夜の主役になる舟。 

こちらに並ぶのは明日の主役を務める「車楽舟(だんじりぶね)」。何もかもが初めての二人には、何を見ても心が沸き立つ嬉しさを抑えられません。

夕方の7時前だと言うのに夏の空はまだ充分に明るさを残し、人々の表情もはっきりと見えます。 威勢の良い太鼓の音が「大治太鼓」の幟をはためかせて、天王川をゆらりと進んでいきます。

太鼓の音に気を取られてふと気がつくと、さっきまでの明るさは消えうせ、あたりはすっかり夜の色。向こう岸のほうからド~~~ンと音がし、やがて夜空に美しい火の花が舞い上がるのですが・・ お世辞にも雰囲気のある写真ではないので、ここは想像力を駆使して(笑)気分だけで花火を味わって下さい。

津島五車の巻藁舟の提灯に灯がともされると、いよいよ宵祭の始まり。 500個余りの提灯をまとった巻藁舟が、津島笛を奏でながらゆうゆうと天王川を漕ぎ渡ります。

舟の進行に合わせて揺らめく提灯、ゆらゆらと川面に映るその美しさはまさに幽幻の世界。 電飾では絶対に表現できない本物の炎の揺らめき、魯のゆれ、竹のしなりに合わせてゆらゆらと・・

手を伸ばせば届きそうな・・見知らぬ誰かが教えてくれた特等席。目の前を悠然と通り過ぎていく提灯の灯りに照らされたご亭主殿の顔は、不思議なほど綺麗で・・・

一艘・・・二艘・・・魅入る人の顔をオレンジに染めながら、ゆったりと去っていく「巻藁舟」。

ご亭主殿も私も発する声をわすれ、ただ目の前を通り過ぎる提灯の炎を目で追いかけるだけ。 5番目の巻藁舟を見送ったら、急いで昼間見た桟敷席の近くまで移動し、一列に並んだ五車を目に焼き付けます。

祭りの後の感想は何時だって、月並みで同じ言葉の繰り返し。お互いに上気した頬を見せ合いながら「良かったね~」「ああ、素敵だったね」を飽きる事無く繰り返すのです。
本当は明日の「朝祭」はもう一つのお祭りの為にパスのつもりでしたが、これだけの感動の後に、流石にそれは無いわ~(笑)。と言うことで、明日は「尾張津島天王祭・朝祭」の紹介です。

訪問日:2014年7月26日

 

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足助八幡宮例祭:足助まつり~其の二 in 愛知県豊田市足助

2016年10月11日 08時00分00秒 | 日本の祭り

足助祭り、山車の曳き回しにすっかり感動の二人ですが、実は御亭主殿のお目当ては火縄銃の鉄砲隊。何が凄いって足助八幡宮例祭での火縄銃奉納、実に百丁を超える火縄銃が揃えられるとあって、近在や遠方からも発砲隊の方々が参加されます。

一度に数箇所で同時に何組もの火縄銃の発砲が行われると言うのですから、その凄さ・・想像もつきません!

円座になって次々と発砲される火縄銃の迫力は、煙硝の匂いと煙幕と轟音とがない交ぜになって何が何やら。そもそも、火縄銃の発砲自体が初体験の二人、そりゃもう、何から何までが「おお!!」「わぁ~!」「す・・凄い!!」の連発。

火縄を使う動作も、銃を構える所作も様々、座ったまま発砲する人、立ち姿で発砲する人。いずれにしても真剣勝負の、その張り詰めた空気を揺るがして、耳を突き抜ける轟音。そして立ちこめる煙の中で、次の火縄を準備する人、とどろく轟音、煙、轟音・・・・・

注連縄が巻かれた火縄銃・・白煙の中で見るそれはまるで何か別の命をもった物のようにも見えて、耳をつんざく轟音がそんな突拍子もない錯覚にさらに拍車をかけます。

足助川沿いで火縄銃発砲があると聞き、私たちも発砲隊の方々の後ろに付いて行く事に。

その途次で、火縄銃の事、火薬箱の火薬の事、興味津々で質問を重ねる私に一つ一つ丁寧に答えて頂いた事、本当に有難うございました。

火縄銃に付けてある大きなしめ縄は、衝撃を緩和するためと身を守る為だとか。火縄銃に詰める火薬はこんな風に包まれて箱に収めて持ち運ばれます。

厚かましいお願いついでに、一緒の記念写真にも笑顔で応じて頂きました。御亭主殿の嬉しそうな顔と言ったら(^▽^)/

足助川沿いの火縄銃発砲は円座ではなく一列になって行われます。奥から次々に上がる白煙。発砲音は水面を渡り木霊となって里の空気を震わせ、やがて流れの中に消えてゆきます。

再び境内に帰ってきました。あたり一面に漂う硝煙のにおい。今回は足助川からの帰りに車に戻り耳栓を準備。今更遅い気もしますが(^^;)それでも多少は耳を保護できるかも。初めての機会を前にしてカメラを手放せない二人、指で耳をふさぐと言うごく当たり前の防御策が取れなかったのです。

実演者のすぐ近くで見学できる為、耳をつんざく爆音を体感できたのは良かったのですが(本当に良かったのか?)、帰宅後の御亭主殿、しっかり一過性の難聴に(-"-) 

火縄銃発砲についつい心を奪われていましたが、同じ境内の一画では「棒の手」の奉納も行われいます。「棒の手」とは、もともとは室町時代から受け継がれた、農民による自衛武術の事だったとか。得物は棒や槍、薙刀など、またそれぞれに流派があるそうで、この時も幾つかの幡が上がっていました。

富岡起倒流の皆さまとの話も弾み、色々とお勉強をさせて頂きました。一緒に肩を組んでの記念撮影までして頂き、本当に感謝です。

何時まで見ていても見飽きる事は無いのですが、私たちはいわゆる他所から来たもの。刻一刻と秋の日は弱まり、そこに留まりたい私たちを追い立てて、時間が流れてゆきます。最後に社務所前に移動して、もう一通りだけ火縄銃の発砲奉納を見たら、ここを後にしましょう。

火縄に火をつけ、銃に火縄を・・着火、火薬に燃え移る一瞬、そして発砲・・その繰り返し。あまりの迫力に、ついついい見境無く距離を詰めて最前列でカメラを構え続けたご亭主殿・・いくら耳栓をしていてもこれではね(笑)

あっという間の8時間でした。この後には神輿渡御もあるのですが、流石にタイムリミット。時間と言うのはどうしてこんなにも好き勝手に早く進むのか。とか言いつつ、実はこれから静岡まで走り「新東名:掛川PA」で一泊。三年に一度の「島田大祭:帯祭り」を見に行くのです(〃∇〃)

訪問日:2013年10月13日

 

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足助八幡宮例祭:足助まつり~其の一 in 愛知県豊田市足助

2016年10月10日 08時00分00秒 | 日本の祭り

毎年10月の第2土・日曜の二日間に渡って執り行われる「足助八幡宮例祭:足助祭り」。この日のため、前日に「鞍ヶ池PA」で車中泊をし、朝一番で「三州足助・宮町」の駐車場へ。早い時間にもかかわらず車へのアクセス条件が良い場所にはかなりの車の数(゜゜;)。いやそれよりも既にお祭りの一場面が私たちの横を通り過ぎていく。ああ、気が焦る!!

「足助まつりは、足助八幡宮(白鳳2年創建)のお祭りです。1700年代中期以前より、現在に近い形のお祭りが行われていた様です。西町、新町、本町、田町の4台の山車が有り、町内を引き回します。 かつては、5日間かけて行われていましたが、現在は2日間に縮まり、土曜日を試楽祭、日曜日を本楽祭と呼んでいます。土曜の夜は御神輿渡行もあり、町内を御輿が巡行されます。 本楽祭(日曜日)には、八幡宮の境内を1周する「引き回し」のあと、夜のハイライトである『梵天投げ』があります。」豊田市足助観光協会より

地域文化資産ポータルの案内には「足助祭りは、足助八幡宮の例祭で足助の馬鹿祭りとも呼ばれ、神輿と4つの町(町方)が出す山車、周辺の自治会(在方(ザイカタ)が出す200挺あまりの火縄銃の鉄砲隊、棒の手(ボウノテ)の警固によって盛大に行われます。」で!!今日一番の楽しみは何を置いても「火縄銃の鉄砲隊」。揃いの法被に身を包んだ男衆の列を見ただけですでに大興奮の二人(笑)

足助八幡宮境内に参集する火縄銃の鉄砲隊の皆さん。肩に担いだ銃身には神聖な注連飾りがつけられ、鉄砲隊の腰帯には、火種を着けるための火縄が巻きつけられた竹筒。もう目に映るすべてが粋で鯔背で!!

拝殿でお祓いを受ける在方鉄砲隊の皆さん。お祓いの後はしばし休憩という事で、火縄銃も木の根元などに立てかけられて出番を待ちます。

そうこうしているうちに、駐車場で見かけた赤馬に乗った武将の像が町内の巡行を終えて宮に帰って来ました。

武者は足助神社の御祭神とされる方で弓の名手『足助次郎重範公』。後醍醐帝に従い、笠置山では足利の大軍を相手に大活躍した人物で、もちろん楠正成・正行押しの私には贔屓の武将(笑)

スケジュールによれば、次の見所は4台の山車の町内曳き。と言う事で私たちもさっそく町中に移動。おごそかな佇まいで先頭を行く方々が身につけている紋付袴の色は「桑染」かな? 黒紋付も良いですが、こういう独特の色合いでの一式と言うのも素敵ですね。

「足助型」と呼ばれる山車は、真上に二本の「梵天」を付け、前方に「出役棚 ( でやくだな ) 」をもつ独特な形式。山車の曳行中はこの出役棚に3人の若者が乗り、日の丸の扇子を両手に持って踊りながら、「おっさ、おっさ」のかけ声で囃したてます。

人力による曳航・・曳手も囃し方も体力勝負、折々に休憩が取られます

町内を曳航する・・と簡単に書いていますが、町内には宿場独特の枡形があり、ここを二階の屋根以上の高さの山車が曳行するのです。その大変さ、壮大さ、それはもう実際に見た者でなければ想像できない「白熱の一時」

縁の下の力持ちと言う言葉がありますが、山車の主役は囃子方よりこちらかも知れません。全身を使って山車の軌道を修正するその姿は、見ている私たちもいつしか歯を食いしばり手に汗。

その不安定な出役棚の上で休むことなく日の丸扇子を振り、声をからしてお踊り続ける黒紋付羽織の囃子方。白地に赤の日の丸はどこまでも青い空に映え、ひたすら粋で男前!

地面につけられた幾筋もの曲線は、引き回された車輪の跡。男衆の粋と意地が描き出す円を残し、4基の山車はお社へと曳行されます。

小さな目線の先にあるは大好きなお父さんの姿?それともいつも優しいおじいちゃんの力一杯の姿? 君たちがこの舞台に立つ姿・・私が見る事は絶対に無理だろうけど・・それでも想像しただけで胸が熱くなる。

巴川に架かる石橋を静々と進む四台の山車。橋の向こうから見る風景は一層おごそか。繰り返された枡形の曳き回しの力強さ、何事も無かったかのように整然と橋を渡る静かさ・・それはこの一連の流れが、単に祭りではなく神事だと言う事実。

足助八幡宮の境内に入った山車はひとしきりお披露目をした後、支所に落ち着くのですが、狭い境内の中で定位置におさまる為には曳き回しが必要。それは境内を出る時も同様です。

「おっさ、おっさ」の掛け声とともに踊り続ける囃し方。手にした日の丸扇子が打ち振るわれる度に歓声があがり、そうして沿道の人たちに投げ下ろされます。実は私、去年に囃子方を勤めたという関係者の方から、その日の丸扇子を頂きました(*^^*)
それは今も大切に玄関の壁に飾られており、それを見る度に祭りの熱気を思い出します。

市役所支所に到着した山車。上の方達は小休止ですが、出役棚の三方は軽妙なテンポで踊り続けています。きっともう足元だってフラフラな筈なのに・・山車の引き回しの折に教えて頂いたのですが、この出役棚の囃し方を勤めるのは前年の新婿さんなんだそうです。人数が足りなくなる年って・・あったらどうするんでしょう (^^;)?

残り二基と共に勢ぞろいした市指定有形民俗文化財の「足助の山車」。

興奮と熱気に包まれた「足助八幡宮例祭:足助祭り試楽祭」。次は待望の「火縄銃鉄砲隊」と「棒の手」の奉納ですが、続きは明日に(⌒∇⌒)。

撮影日:2013年10月13日

 

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秋葉社祭礼:奉納手筒花火~其の二 in 愛知県知立市西町

2016年09月18日 12時00分00秒 | 日本の祭り

9月中旬の日曜日、知立市「知立神社」の境内社『秋葉社』で行われる「秋葉社祭・奉納手筒花火」。いよいよ本番です。暮れ始めた境内に、玉箱を担いだ若衆たちが順に宮入りしてきました。山町・山屋敷町・中新町・本町・西町・宝町、どの町が最初だったか・・・今となっては記憶もあやふや(^^;)

どれだけの時間を練り歩いたのか・・・声はかすれ、足の筋肉は痛々しいほど張り詰めています。粋でイナセで、見栄と意地で、次々と前を行く者に負けずと宮入する若衆たちは、本当に!!男前!

宮入を済ませた若い衆は、手筒花火の両側に付けられた縄の握り手をつかんで円陣をつくります。火種を持った人たちが一斉に点火すると、見る間に炎が吹き出し火柱が立ち上がりました。

真っ赤な火柱は若衆たちの頭上高く天に駆け上り、輝くばかりの火の粉となって降り注ぎます。

全身に火の粉を浴びながら気勢を上げる若衆たちの姿は、まるで火の神の申し子。火の神は火伏せの神に昇華し、人々を火難から守るものとして長く崇敬されてきました。日本伝統の美しさを誇る手筒花火と若衆たちの心意気、火の神への供物にこれ以上のものがあるでしょうか。

若衆たちの奉納が終わると、鳥居の前に固定された大型の手筒花火3本に点火。その炎は高く吹き上がり、神域の寄り代である鳥居さえ焦がさんばかりの勢いで、紅蓮の絵模様を次々と描き出してゆくのです。

手筒花火に続いて乱玉花火、初秋の夜空を焦がす花火の音、火薬の匂い、人々の熱気・・熱く降り注ぐ火の粉の赤。

一つの町衆の心意気が終わり、次の町衆へ、また次の町衆へ・・火の神への奉納は引き継がれます。

およそ二時間に渡って繰り広げられる秋葉社祭の奉納手筒花火、私たちは言葉も無く見入ります。火の粉をかぶる若衆、それを見守る同じ町の先輩たちは、その勇壮な姿をカメラに捉えます。腰をかがめて炎に顔を染めながらシャッターを押すあの法被姿の方は、もしかしたらあの中の誰かの親御さんなのかもしれない・・・ふっと、そんな事を思いながら。そうして私たちは炎の乱舞の最期の瞬間まで見届けて・・名残を惜しみながら境内を後にしました。

撮影日:2011年9月18日

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秋葉社祭礼:奉納手筒花火~其の一 in 愛知県知立市西町

2016年09月18日 08時00分00秒 | 日本の祭り

9月中旬の日曜日、知立市「知立神社」の境内社『秋葉社』で行われる「秋葉社祭・奉納手筒花火」。

愛知県豊橋市のマンホールデザインにも使われている「手筒花火」。一度は本物を見たいと思っていた二人に、やっとその機会が巡ってきました。知立の某駐車場に車を入れて町に繰り出した二人の前にさっそく登場したのは「奉納玉箱」を担いだ鯔背(いなせ)な一団。

案内では「周辺6町の氏子衆がそれぞれに「手筒花火・大筒・乱玉」などを打ち上げる」という事なので、多分他の場所でも同じような光景が繰り広げられているのでしょう。家々の軒先、境内の入口、どこもお祭ムードが一杯。初めての体験という事もあって、ワクワクがとまりません。

秋葉社の御祭神『火之迦具土大神 ( ひのかぐつちのおおかみ)』。伊邪那岐命・伊邪那美命二柱の御子神で火の主宰神とされています。その神に奉納する花火、これ以上相応しいものは無いでしょう。境内では正装した神社関係者に氏子の方々が勢揃いされて、見ているこちらも自然と身が引き締まります。

厳粛な雰囲気に包まれて神事も終了した様子。参拝を終え御朱印もちゃんと手書きで頂けました (⌒∇⌒)。境内の外からは奉納玉箱を担ぐ一段の小気味よい長持ち唄が聞こえてきます。

市内6町の若衆が「奉納玉箱」を担ぎ「長持ち歌」を歌いながら練り歩く・・これがまた何とも耳に心地よく、気分を盛り上げてくれるのです。去年の長野県で遭遇した「小野・矢彦の田ノ実祭」で初めて聞いた若衆の長持ち唄。あれ以来、すっかり魅了されてしまったらしく、独特の節回しを聞くだけで胸アツ(〃∇〃)

鯔背な若衆の後ろから続いてやってきたのは、揃いの法被に身を包んだ何とも可愛らしい「奉納玉箱」を担ぐ小さな列。将来の若衆を見守る男衆の目配りの優しさ。もう一挙手一投足に目頭も熱くなり「がんばれ!」と心の声。

4時を回ったところで神社に戻り、これから繰り広げられる予定の花火見物の場所確保(笑)。折角、朝早くから高速を使ってここまで来たのですから、人の頭を見るのは避けたいもの。と思ったのですが、手筒花火の奉納までにはまだ3時間近くの待ち時間(^^;) その間に消防車が出動、重要文化財の「多宝塔」「拝殿」、鎮守の森一帯に放水が行なわれます。

雅な楽に合わせて巫女さんたちによる奉納舞。次第に遠ざかる昼間の明るさにとって代わる秋の夜の気配。

さぁ、いよいよ夜空を焦がす炎の神事が始まります。観覧席のあたりも急に人の数が増えてきました。明日のブログは「火花に浄められる知立神社・奉納手筒花火」の紹介です。

撮影日:2011年9月18日

 

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