鳥取から吉岡・末用を経て鹿野に入り、青谷までの伯耆街道をつなぐルート「鹿野往来」。江戸時代初期に『亀井茲矩』が城を築いたことで城下町が形成され、商工業が盛んな町として賑わいを見せました。鹿野往来はこの城下町の道幅や水路が400年前の形でほぼ残されており、往時の歴史を今に伝えています。
商家造りの古い建物が並ぶ通り。
二段になった熊手が並ぶ一画。厳重な板塀や石垣、緑の植え込みでさえも絶対に真似のできない雅さと優雅さを生み出している・・雅とは絶対的に対照的な存在の筈の熊手の垣根。
富の象徴とも言われた蔵から、数寄を凝らした玄関に続く漆喰と黒板の長い塀。見越しの松は旅人の目を引くに十分の高さで屋敷に趣を添える。
「能勢家:明治期の建築と言われ通りに面して土間、店の間、奥の間。土間から店の間にかけて張りを見上げると「横角」と「縦角」が十文字に組んであり、「横角」に2階の柱をのせている。柱の結合は、釘を使わない「木組み」で建てられており、地震や積雪などの災害に強い建物である。この技術は京都の宮大工から伝わったといわれ県東部には類をみない鹿野らしい造りとなっている。」現地案内より
知って見なければ誰も気が付かないような場所・・思わずしげしげと見入ってしまう刳り貫き細工の燕。
路地の入口に建てられた石柱は足元灯の役目も果たしており、各町内ごとに定められた町紋が刻まれています。
町の中を縦横無尽に流れる水路は、鹿野城主亀井茲矩により造られたもの。多くは安全上の面も踏まえて側溝蓋などでふさがれていますが、往時の面影を残す水路もきちんと残されています。
上町・下町を中心に水路に数か所残された穴開きの丸い「牛つなぎ石」。年貢米などの運搬のため、近郷から集まってきた牛はこの場所に繋がれてしばしの休息をとります。
花筏にしつらえた側溝蓋。流れる水の音はその折々の季節を映し出し、俄か旅人の目と耳を癒し、ともすればそのまま夢の世界に引き込まれそう(^^;)。
歩き疲れたら、商家の前に置かれた床几で一休み。人通りが少ないせいか、街は静か、足元を流れる水の音だけがゆったりと時を刻みます。
要所要所に置かれた鹿野往来の案内碑。
往来歩きの醍醐味は「あてもなく」「気ままに」、足の向くまま~気の向くままにそぞろ歩く事。
そうして思いがけない景色に出会えた時の嬉しさはまた格別。
鹿野往来ではちょっと珍しい下見板張りの建物は「旧山陰銀行」。今はすべての入り口も窓も閉ざされており、往時を物語る事さえ忘れて「ソコ」に建っているだけ。
折角の建物、人々の暮らしの中で一緒に時を過ごしていけたら素敵だね。
明日は鹿野往来に残された社寺を巡る往来歩き
訪問日:2012年4月17日